CRAZY FOR YOU



――――きっかけなんて…もう忘れちまった……。


どちらが先に触れたかなんて。どちらが先に唇を重ねたかなんて。
そんな些細なことは、忘れてしまっていた。本当に俺は、忘れていたんだ。


きっかけなんてどうでもいい。結果すらもどうでもいい。未来なんて知りはしない。ただ今。ただこの刹那、全てを忘れられるならば。


「あんたから求めてくれるなんて…嬉しいねえ」
無造作に脱ぎ捨てた服に一瞥をくわえてから、ラガルトは正面に立つマシューに向き直った。自ら衣服を脱ぎ捨て、そのまま自分に近付いてくるその瞳は。その瞳は、明らかに乾ききっていたけれども。それでも瞳の奥底に微かに灯った暗い欲望をラガルトは見逃さなかった。
「いいだろ、別に。それよりもヤるのかよ…ヤんねーのかよ……」
首筋に腕を絡めラガルトに顔を近づけるとそのまま耳元で囁くように告げた。微かに頬に髪が当たる。それがひどくくすぐったかったが、ラガルトはそのままマシューのしたいようにさせた。何も身に付けていない身体を摺り付け、耳に舌を忍ばせる。その仕草はまるで猫のようだとラガルトは思った。決して心から懐くことはしない猫。こうして自分に媚びを売りながらも、毛だけは逆立てている、猫。
「あんたから求められて拒む理由はないからねぇ―――無茶苦茶にして欲しいかい?」
背中に腕を廻して、そのまま背骨のラインを指で辿った。それだけで敏感な身体はピクリと反応を寄越す。何時しかこうして触れられるだけで、反射的に反応する身体になっていた。そう仕込んだのは、自分だが…そう望んだのは彼だ。
少しでも早く快楽に溺れたいと願ったのは彼。全て溶けて無にしたいと願ったのも彼。だからそうなるように仕込んで、手懐けた。身体だけ、手懐けてやった。
「しろよ、構わないから…だから……」
髪に指が絡まったと思ったら、強引にマシューは口付けてきた。早急な口付け。貪るような口付け。強引に唇を抉じ開けたせいで歯が当たる。それでもマシューは懸命にラガルトの唇に吸い付いてきた。ぴちゃぴちゃと淫らな音を発しながら、貪欲に舌を求めて来る。
そんなマシューを一瞬だけ目を細めて見つめて、ラガルトはそれに答えてやるために激しく舌を絡めてやった。


夢を、見た。夢を、見続ける。
お前の笑顔が瞼の裏に焼きついて離れないから。
だから、夢を見る。見たくない夢を。
崩れてゆく。お前の笑顔が崩れて落ちてゆく。
ぼろぼろと剥がれて、そこから血が滴って。
そして。そして死体となったお前が。
『モノ』となったお前が、涙を零す。


――――真っ赤な血で、出来た涙をぽたぽたと流してゆく……


喉元に噛み付くように口付けられて、マシューの口から細い悲鳴が零れた。それでも構わずにラガルトはそこを執拗に攻めたてると、その肌に指を落としてゆく。しなやかな、その肌に。
「…ふっ…くっ…んっ……」
胸の突起を指の腹で転がしながら、血が滲むまで喉元を吸い上げた。軽く歯を立てれば、ちくりとした痛みがマシューを襲う。それが快楽に飲まれかけた意識を呼び戻して、ひどくざらついた気持ちになった。そのまま潤み始めた瞳を開き、ラガルトの髪に指を絡める。そのまま引き寄せて、痛みではない快楽をねだった。もっと深い、快楽を。
「気にいらなかったのかい、これが?誰か見せたくない相手でもいるのかねえ」
唇を離して血が滲むその個所に指を這わせれば、睨むような瞳が返って来た。その瞳がひどく愛しく思えて、ラガルトはもう一度そこに指を這わした。生気のない人形みたいな瞳とは違う、その挑むような瞳が。
「…そんな事どーでもいいからっ…だからもっと……」
「もっと、して欲しい?」
「…してくれよ…もっと俺に触れよ…もっと俺を……」
「無茶苦茶にして、欲しい?か」
ラガルトの問いにマシューは答えなかった。答えない変わりに自分から唇を重ねてくる。それが答えだった。
「ふ、しょうがないヒトだね、あんたも」
唇を離させてひとつ苦笑をすると、ラガルトは再びマシューの身体に指を這わした。どこをどうすれば悦ぶかを知り尽くした肌に。


優しくなんてしなくていい。ただ無茶苦茶に。
無茶苦茶に抱いてほしかった。そうしたら。
そうしたら何もかもを。何もかもを忘れられるから。


――――その瞬間だけは、忘れられるから……


わざと乾いたままの指をマシューの蕾に突き入れた。その痛みに一瞬、マシューの身体がぴくりと跳ねる。それでも構わずにラガルトは中を掻き回した。
「…くふっ…はぁっ…ぁぁ……」
吸い付くように指を締め付ける内壁が、濡らしてもいないのに淫らに絡みついてくる。痛みは快楽を伴うものだと、教えられた身体が。
「…ぁぁっ…ラガル…トっ……」
髪が揺れる。汗が額から零れて顎のラインに伝ってくる。それをぺろりとラガルトは舐めた。微かに塩気のするその雫を舌先で転がして、そのまま飲みこむ前にマシューの舌へと落としてやった。
「…ラガル…ト…んっ…んんんっ……」
その雫を吸いながら、マシューは舌を絡めてくる。そのたびに髪から飛び散った汗がラガルトの頬に当たった。
「…んんんっ…んんっ!」
夢中になってキスをしてくるマシューが子供みたいに見えた。している行為は子供とは程遠いのに、何かに必死で掴まろうとしている子供のように見えた。それがひどく。ひどく、ラガルトにとっては……。
「―――掴まんなくても…いいのによ…今あんたの中に挿ってやるんだから……」
ひどく憐れに見えた。ひどく哀しく見えた。ひどく切なく、見えた。



多分、きっと。きっと見たくないものをみたのだろう。
思い出したくないものを、忘れたいことを。そんな所だろう。
だから俺んところにあんたは来るんだ。好きでもなんでもない男に。
敵だとすら思っていた男に、抱かれにくるんだ。


―――でも俺も同じだ。あんたを抱きながら、何かから逃れようとしているのだから……


細い腰を掴むと、そのまま一気にラガルトは突き入れた。指で慣らしたとはいえ乾いた指だったせいもあり、ソコは挿入を拒んで締め付けてくる。それでも構わずにラガルトは抉じ開けた。抉じ開けて一気に奥まで貫き、そのまま腰を揺さぶる。
「あああっ…あっ…あああっ!」
擦れ合う肉の摩擦を感じながら、激しくマシューを追いたてた。わざと乱暴に腰を突いて、追い詰めていく。けれどもそれこそが。それこそが、彼が自分に望んだものだから。
「…もっと…もっとっ…あああっ……」
もっと、無茶苦茶にしろよ―――と、唇は告げている。声にならずに喘ぎに摩り替わりながらも。それでも、そう告げている。
「―――まだ…飛べねーか、意識…まだ…残ってるのか?……」
消したいものが消えない。忘れたいものが忘れられない。一瞬でいいのに。この瞬間だけでいいのに。脳裏にこびり付いて離れない。今だけ、この刹那だけでいいのに。
「…ラガルトっ…もっと…もっ……」
指を絡めてキスをした。そっと触れるだけのキスをした。一瞬、動きを止めて。その慈しむような口付けが、ひどく。ひどくマシューの胸に痛みを伴わせる。どうにもならない痛みを、どうにも出来ない痛みを。
「…イきな…今、イカせてやるから…だから―――忘れな……」
柔らかく微笑うとラガルトはマシューを激しく突き上げた。今度こそ本当に意識を飛ばさせるために。真っ白にさせるために。ただ一瞬の開放のためだけに……。



『―――愛している、レイラ……』


永遠に胸に閉じ込めた言葉。胸の奥に閉じ込めた言葉。
もう二度と抉じ開けられない。二度と剥き出しには出来ない。
けれども時々胸の奥から染み出してきて、そして。
そしてそっと俺を、傷つけてゆく。そっと痛みを灯してゆく。


何時になったら俺は。俺は本当に微笑う事が出来るようになるのだろうか?



意識を失ったその身体をベッドに横たえ、ラガルトはその顔を見下ろした。ひどく生気のないその顔を。
「―――もしかして俺が……」
きっかけは、自分からだ。不意に見せた隙を見逃さなかった。普段の道化の雰囲気で隠されていた孤独を見つけ、自分がその隙を突いた。
「…俺があんたの傷を…抉じ開けてんのかもな・……」
その孤独があまりにも自分に似ていたから、だから埋め合うようにその身体を求めた。身体だけを、求めた。互いの中にある傷を埋められるようにと。けれども。
「…だって今俺も……」
けれども埋めようとすればするほど、空虚なものが押し寄せてくる。傷口が少しずつ開いてくる。それは。それは……
「…俺も…嫌な事を…思い出してんだからよ…アイツの事を……」
それはもしかしたら。もしかしたら、ふたりの中にはあってはならない感情のせいかもしれない。存在してはいけない想いのせいかもしれない。


気付いてはいけないから、だから蓋をしよう。それがもっと。もっと互いを傷つける事になろうとも、それでも。それでもこの想いだけはどうしても認めてはいけないものだから。



――――それでも、止める術だけは知らなかった。それだけが、分からなかった。