漆黒の闇の中で、ぽつりとひとつ光が零れる。それを掴もうと手を伸ばしたら、触れる前にそっと。そっと光は弾け飛んだ。
――――瞼の裏に零れ落ちるものが、ずっと。ずっと、綺麗でいてくれたならば。
手を伸ばしてその髪に触れてそのまま指を絡めたら、細くしなやかなそれはするりと指先をすり抜けてゆく。それを名残惜しげに見つめていたら、髪よりももっとしなやかな指先が絡まってきた。
「…髪よりも…指を絡めていて…ください…」
儚く微笑うその顔を見ていたら何故かひどく泣きたくなった。理由など何も分からなかったけれど。けれどもただどうしようもなく切なくなって。
「…ニニアン……」
震えている指先はどちらのものだったのか?どちらの指先が震えていたのか?それすら分からなくなるほどに、僕はただひたすら苦しくて。
「…好きだよ…ニニアン…君が……」
苦しくてどうしようもなくて、君を抱きしめた。抱きしめることしかできなかった。どうしたらこの想いを伝えられるのか分からなくて、全部伝えられるのか分からなくて、ただきつく君を抱きしめることしか…出来なかった。
――――全てを奪うほどの激しい口づけをしても、君の全てを奪う事は出来なくて。
月すらも隠す闇がそっとふたりを飲み込んでゆく。瞼の裏に微かに光っていた光すら今はもう何処にもなくて。ただこうして触れ合っている暖かさだけが、世界の全てになったような気がした。この、ぬくもりだけが。
「…エリウッド…様……」
見上げる瞳に映るのは僕だけで、けれども君の瞳からは淋しさは消えなくて。君が溢れるくらいに好きだと言葉の雨を降らせても、隙間すら何処にもないほどに君をきつく抱きしめても、それでも消えない。君の瞳から、淋しさが消えない。
「どうしたら君を微笑わせる事が…出来るんだろうな…君をちゃんと……」
絡めあう指先から伝わるぬくもりは哀しいほどに優しい。違う、優しいから哀しいんだ。優しすぎるから、苦しいんだ。
「…ごめんなさい…エリウッド様…私は…私は……」
それ以上告げられなくなった君が苦しいから、僕は耐え切れずにそのままそっと口づけた。こうして愛を与えれば与えるほど、君は喜びそして苦しんでゆく。この矛盾を僕はどうする事も出来なかった。
『エリウッド様のお傍にいられる資格なんて…わたしには、ないんです…わたしは…あなたをだましているのですから…』
胸に落ちて来るものは、暖かくて。暖かくて優しくて、苦しい。それが私の中に注がれてゆく。溢れるほどに注がれてゆく。それは苦しいほど嬉しいもので。どうしようもなく嬉しいとそう思わずにはいられない私は、何処までも罪深い。
好きだという言葉は何度も心の中で告げていた。何度も何度も告げている。貴方が好きですと。貴方だけが、好きですと。
「…エリウッド様…好きです……」
けれども私はこの想いの破片しか貴方に差し出していない。こんなに溢れて零れている想いなのに、私は手のひらで包めるほどの小さなものでしか貴方に差し出していない。
「…好き、です……」
目を閉じれば聴こえてくるのは貴方の命の音。とくんとくんと、優しい音。このままこの音に包まれて私を消してくれたならばいいのにと願った自分は、きっと。きっとどうしようもない程に我が儘で身勝手なのだろう。嘘で塗り固め本当の事を告げずに、それでも貴方を愛した私は。貴方に愛された私は。
―――愛される資格なんてないのに、それでも望んでしまった私は。貴方の愛を願ってしまった私は。
拒まなければいけなかったのに、それ以上に止められない想いが私を支配した。身体中を駆け巡り、止められなかった。貴方に愛される喜びが、嘘をつく後ろめたさをいとも簡単に打ち消した。罪を重ねても、願わずにはいられなかった。止める事が出来なかった。
「ごめんね、僕は君の淋しさを消すことが出来ない」
優しい瞳が、貴方の優しい瞳が、どうしようもないほどに好きで、好きで。その瞳をそばで見ていられれば、私は何も欲しくないと思っていた筈なのに。それなのに。
「君にはずっと微笑っていてほしいのに」
望んでしまった。願ってしまった。貴方の瞳が私を捉えてくれたその瞬間、願ってはいけないものを望んでしまった。気付かれないようにそっと伸ばしていた手を、貴方は絡め取ってくれた。きつく、結んでくれた。貴方がこの手を、この心を結んでくれた。
「そんな事…言わないでください…エリウッド様は何も…何も悪くないのです…ただ私が貴方を…好きになってしまっただけなのですから……」
いっそ、叶わなければよかった。そうすれば諦められた。永遠とも思える時が貴方を優しい思いにしてくれただろう。けれども叶わなければ、私は永遠に満たされなかった。永遠に女として、心が満たされることはなかった。
喜びと苦しみは紙一重で、そのどちらも貴方だけが私に与えてくれるもの。貴方だけが、私に与えてくれたもの。
「…私が…貴方を…好きになってしまっただけですから……」
どうしてこんなにも、私は貴方が好きなのだろう?どうして、こんなにも。どうして心は止められないの?どうして気持は抑えきれないの?自分ではどうにも出来ない場所で、私は貴方に恋をしている。どうにも出来ない想いで私は貴方を愛している。
絡めあった指先だけが世界の全てならばいいのに。
「…それは僕も同じだよ…ニニアン……」
このぬくもりだけが、ふたりの全てだったらいいのに。
「…僕も…君を好きになってしまっただけなんだ…」
漆黒の闇がふたりをそっと。そっと隠してくれたらいいのに。
―――――世界からはみ出して、零れ落ちてしまえたら…いいのに……
睫毛の先にひとつ光が零れた。それはまるで残像のように僕の瞼の裏にこびり付いて離れなくて。それを追いかけるように瞼を開けば、光は弾けて散らばった。細かい粒子となった光は闇に紛れ、静かに溶けてゆく。それはまるで僕らのようで。そっと闇に隠れたふたりのようで。
「…好きだ…ニニアン…君だけが本当に好きなんだ……」
ただ苦しく、ただ切なく。ただ愛しく、ただ恋しく。君という存在が僕にもたらす感情の全てが、僕にとってはどうにも出来ないものだった。どうにも出来ない場所で、僕は君を想った。君に恋した。――――ただ君を、愛した。
漆黒の闇にぼんやりと浮かぶ光は、ただひたすらに綺麗でただひたすらに哀しかった。