導火線



――――夢ならば醒めないでと願った。これが夢ならば永遠に醒めないでと。


瞼の裏にこの瞬間を永遠に閉じ込められたならば、もう。もうなにもいらないのに。もうなにも、ほしくない。
「ヒースさんの手、とても暖かいですね」
戸惑いながらもそっと触れてくれた指先のぬくもりが泣きたくなるほど優しくて、私はせいいっぱい微笑んだ。今はそれしか出来なかった。
「…プリシラさん……」
そのまま指を絡めて頬に充てる。その感触が永遠に消えなければいいと叶わない願いを願いながら目を閉じた。貴方の顔を思い浮かべながら瞼を閉じる。少し不器用でけれども優しい貴方の、その笑顔を思い浮かべながらひとつ祈る―――どうか、涙が零れてきませんようにと。


ささやかな約束だった。小さな約束だった。けれどもこれしかなかった。ふたりを結べるものはこの約束しかなかったから。


出逢えただけで奇跡なのだとそう言い聞かせて、全てを閉じ込めようとした。こうして貴方に出逢えただけでしあわせなのだとそう思い込む事で諦めようとした。けれども出来なかった。けれども、出来ない。こうして視線を交わし合えば、こうして言葉を紡げば、こうして…ぬくもりを重ね合わせれば。どうやっても。どうやっても、諦める事なんて出来なかった。
「貴方のその不器用な優しさが私を苦しめるのですね。けれどもその優しさが私はどうしようもない程に…好きなのです」
この手を取って何処までも逃げられたならば。誰にも知られない場所に二人きりで逃げる事が出来たならば、私は何よりもの幸せと何よりもの後悔を手に入れることになる。それが出来るほどに私が…愚かな女だったら良かったのに。
「――――プリシラさん…俺は……」
「いいの、何も言わないでください。分かっているから。分かっているから今は何も……」
貴方が迷うことなく私の手を取れる人ならば、きっとこんなにも貴方を好きになってはいなかった。そう、私の手を取らない貴方だからこそ…私は苦しい程に貴方が好き。貴方が、好き。
「何も言わないでください。今は、ただ。ただこうしていて」
貴方は誰よりも騎士だった。誰よりも誇り高い騎士だった。廻りがどう言おうとも、貴方以上に立派な騎士を私は知らない。だから貴方は決して私を連れてはいかない。


指先が重なり合って、そっと重なり合って。それが消えないでと願いながら瞼を開く。
「―――俺は君が……」
開いた先に在る貴方の顔が笑顔だったら良かったのに。そうしたら私も微笑う事が出来るから。けれども貴方がそんな顔をするから、私は。
「…ヒースさん…それ以上は…」
私は微笑えない。微笑えないよ。どんなになっても最後に見せるその顔は笑顔にするんだって決めていたのに。
「…言わないで…言ったら私は…私は自分を抑えきれなくなる…っ!」
もう出来ない。出来ないよ、だって止められない。止める事が出来ない。零れ落ちる涙を私はもうどうする事も出来ない。



「――――それでも言わせてくれ。俺は君が好きだ」



何が正しくて何が間違っているのか、もう俺には分からない。分かっているのはただひとつ。ただひとつこの想いだけ。この君に対する想いだけ。これだけだ。俺にはこれしかないんだ。
「…ヒースさん……」
告げなければ良かった?叶わぬ想いならば閉じ込めて、必死に閉じ込めてこのまま。このまま押し殺して永遠に心の奥深くに。
「君だけを苦しめはしない。君だけにこの想いを背負わせはいない。だから―――」
けれども溢れてきてしまう。どんなに閉じ込めても、どんなに必死になって押し殺しても、こうして溢れて零れてきてしまう。君への想いがどうやっても。
「だから泣かないでくれ。君の苦しみは全部俺が持ってゆくから、だから微笑ってくれ」
だからこうして。こうして全てを剥き出しにして、溢れさせて零れさせて、そして。そして空っぽになれたならば。永遠の後悔よりも永遠の傷と想いを選べたならば。
「それは無理です。だって私も貴方と同じくらいううん…貴方以上に…ヒースさんが好きだから」
君が、微笑う。泣きながら、微笑う。その顔を俺は永遠に忘れない。忘れたくても忘れられない。忘れたくないから、忘れない。


願いはただひとつ君の笑顔。君がずっと。ずっと微笑っていられる世界をこの手で護る事が出来たならば、きっと。きっと俺は死の瞬間自分を誇れるだろう。騎士として男として。


見つめあう。濡れた瞳を重ね合って、そしてそっと。そっと唇を重ねた。最初で最期のキス。けれどもそれはどんなものよりも、きっと。きっと綺麗だから。
「…エトルリアに帰ったら空を見上げます……」
唇が離れても指先は離さなかった。もう少しと。後、もう少しと願いながらぬくもりを分け合った。
「…貴方が飛んでいる世界を…見上げます……」
どうにも出来ないもどかしさと、どうにもならない切なさを、ふたりで分け合う為に。



瞼の裏に焼きつく貴方の顔が、私と同じ顔だった。泣きながら微笑うその表情だったから。だから私は。私は……。
「貴方と出逢ったのは奇跡でもなんでもない。この出逢いは私にとって何よりも必要なものだった。今、分かりました」
「―――プリシラさん……」
「分かりました。私は貴方を好きになる為に、そして貴方は私を好きになる為に出逢ったんです」
諦められないのならば、諦めない。叶わなくてもいい、結ばれなくてもいい。私が貴方を好きだという事だけが、本当の事だから。だから。
「だから好きでいます。ずっと、貴方を好きでいます。どんなになっても大好きです」
傍にいる事が許されなくても、二人で生きる事が許されなくても。それでもこの想いは私のものだから。私だけのもの、だから。
「俺も好きでいる。どんなになっても君を好きでいる。君が、好きだ―――プリシラ」
「……はい!……」
だからずっと。ずっと、貴方を思い続ける。貴方を好きでいる。貴方だけを、ずっと。


ふたりで微笑った。泣きながら、微笑んだ。そして告げる―――好きだ、と。ただそれだけを告げる。不器用だけどただひとつの本当の気持ちを。ただひとつの、想いを。