重たい瞼を開いたら、それ以上に鈍く重たい自分の身体を感じてひどく不機嫌になる。それでもぼんやりとする頭のまま上半身を起こしたら、腰のあたりに鈍い痛みが走って思わず目の前の布団にうずくまってしまった。その途端頭上から声が降ってきて、不快指数が増すのを止められなかった。
「目が覚めたか?」
その声の主の顔がまざまざと頭の中に浮かんできて、更に昨夜の事が思い出されて不機嫌が頂点に達して相手の顔を睨みつけたら…悔しい程に見惚れる笑顔を、自分に対して向けてきた。
「おはよう、ヒーニアス」
不遜とも思える態度で、けれどもうっとりするほどの男前で自分を見つめてくる男にどうしようもなくときめいてしまう自分が情けないと思いつつ、それでも目が離せずにバカみたいに見つめていたら、そっとひとつ唇が降りてきた。
「―――っ!」
その生温かい感触にやっと我に返って咄嗟に唇を離しても、相手は臆することなくまた悔しい程の見惚れる笑みを自分に向けてくる。――――コレは何よりも反則だと思う。
「目覚めのキスだ。気持ちイイだろう?」
「誰が気持ちイイだっ!!」
耳元に息を吹きかけられるように囁かれ不覚にもうっとりしかけたが、その自信満々のセリフに一気に現実に引き戻された。
「素直になれよ、キスだけで蕩けるような表情しているくせに」
「そんな顔私がする訳ないだろうがっ!」
「全くお前は…昨夜俺の腕の中で散々―――」
「それ以上言うなっ!!それ以上言うと貴様をこの弓で射抜くぞっ!!」
相手の口を塞ごうと身体を起こせば、また鈍い痛みが襲ってきて蹲らずにはいられなかった。幾ら今日一日何も用事がないからって、こんな状態になるまで好き勝手していいわけがない。こんな足腰が立たなくなるまで……
「この、絶倫男が!」
ベッドの横に置いてある愛用の弓にも届く事無く、自らの手は痛みを伴う腹を抱えていた。そんな情けない状態で相手を上目遣いに睨みつけても、当然何の効果もなくて。
「それは俺にとって褒め言葉だ。ヒーニアス」
今にも踏ん反り返りそうなほど不遜な態度で、それ以上にくらくらする程の雄の匂いのする笑みを相手にさせるだけ、だった。
思えば昨夜は自分の方にも少しだけ落ち度があったかもしれない。互いに公務に忙しく、こうして再会出来たのは実に気付けば半年ぶりだった。そんな事もあってか、それ以上に久々に逢ったエフラムがひどく男っぽさを増し只ならぬ雄の色香を放っていた事もあり、身体が火照ってしまい抑える事が出来ずに、つい自分から求めてしまったのだ。
「…だからって…こんなになるまで…することないだろうが……」
「何か言ったか?」
聴こえないようにぼそりと呟いたはずなのに、上着を羽織る手を止めて振り返るのは流石だと思った。何が流石なのかはもう自分でも分からなかったが。
「何も言っていないぞ。それよりもとっとと着替えろ、目障りだ」
「何だ、俺の身体にまた欲情したのか?」
「お前はっ!!」
弓まで手を伸ばすのは億劫だったので、手元にあった枕を思いっきり顔にめがけて投げてやった。けれどもそれは目的を果たす事が出来ずに、エフラムの手に綺麗にキャッチされてしまう。
「乱暴だな、姫は。まあその方が馴らしがいもあるがな」
「誰が姫だっ!!」
「俺にとっては、お前だけだな」
上着を羽織ったまま肌蹴た先にある逞しい胸板には、昨日の情交の跡が残っている。それが昨夜の行為を思い出させて、ヒーニアスの耳をいやがおうにも熱くさせる。そしてそれ以上に、こんなセリフを吐かれて不覚にもときめいてしまっている自分がここにいるのが現実で。
「―――お前だけだ、ヒーニアス」
卑怯だと、思った。そんなむせかえるほどの雄の笑みを浮かべられれば、くらくらせずにはいられない。ただでさえ目覚めたばかりで、何処か意識が朦朧としているのに。いや、朦朧としているはただのいいわけでしかなくて、本当はとっくにその笑みが鮮明に網膜に焼きついている訳で…。そんな事をぐるぐると考えていたら、再び唇が降りてきた。それを拒むことは、もう自分には出来なかった。
目覚めた瞬間に、その顔があって。ずっと思っていた顔がそこに在って。
「…んっ…ふっ……」
自分の記憶している輪郭と少しだけ違う、少しだけ大人びたその表情に。
「…はぁっ…エフ…ラ…んんんっ……」
自分の知らなかった時間がひどく悔しかったから。だから。
―――――だから、その全てを欲しがった。少しだけ前に進んだ時間の全てを。
気が付けばその両腕はエフラムの背中に廻っていた。無意識に自らに引き寄せ、もっとと深いキスをねだる。それに気付いて、エフラムはひとつ口許だけで微笑った。ヒーニアスには気付かれないように。
「お前は…そんな表情したら…抑えが利かなくなるだろう?」
唇は離れたけれど、睫毛は重ねたままだった。互いの吐息が奪える距離で見つめあい、額を重ねて微熱を感じた。
「私は至って普通の顔だ…そんな風に見えるお前の目がおかしいのだ」
「全くお前は…素直じゃないな。こんなに俺にしがみついてるのに」
「それはお前がっ!」
「俺がどうした?」
その先の言葉を言おうとして、咄嗟にヒーニアスの口の動きが止まった。それ以上を告げたら間違えなく墓穴を掘る。それに気が付いたからだ。そう、お前のキスが気持ちイイからだ――――なんて告げられる訳がない。
「まあ、いい。まだ時間はたっぷりとある。今日は一緒にいられるんだろう?」
自信たっぷりな物言いにまた少しだけ不機嫌になった。けれども一日一緒にいられると言ったのもまた自分自身だった。それも昨夜の行為の中で、一緒にいられるとしがみ付きながら言ったのだ。息を乱しながらも、背中に爪を立てながらも、一緒にいられると。
「でもお前のせいで私はまともに動けん。どうしてくれる」
けれどもこのまま負けっぱなしは悔しい。悔しいからささやかな反撃を試みる。でもきっと。きっとこれも無駄なのだろう。だって。
「――――それならば、こうすればいい」
逞しい両腕がいつの間にか自分をふわりと抱き上げる。その宙に浮く感覚に一瞬何が起こったのか分からずに呆然としたら、上半身が不安定に揺れて、咄嗟にその首筋にしがみついた。
「お、お前…何してっ…」
「俺の姫だからお姫様だっこだ」
「だから私は姫じゃないと、こらっ降ろせっ!」
エフラムの言葉にヒーニアスは抗議の姿勢とばかりに腕の中で暴れる。けれども暴れれば暴れる程上半身は不安定になって、よりきつくしがみ付く結果になるだけだった。
「まともに動けないんだろう?それも俺のせいで。だからこうして責任を取っただけだ」
「そんな理由認め―――っ!」
それでも尚も口で反撃を試みる恋人にエフラムは反撃すらも閉じ込める、甘いキスをした。意識すらも溶かす、甘い、甘いキスを。
目覚めた先にあった不機嫌の塊は、繰り返される甘いキスによって溶かされて、そして消えていった。