はちみつ



蜂蜜のように蕩けそうで、そして甘いキス。そんなキスが、したいのに。


挑むように睨みつけてくる瞳に、エフラムは苦笑を隠しきれなかった。常にどんな時でも自分に対して臨戦態勢を張ってくる相手に、甘いムードを作り出すことの難しさに。
「…ヒーニアス…別に俺はお前に対決を申し込んでいる訳じゃないんだが……」
背中に手を廻して抱きしめようとしたら、ぴしゃりと手を叩かれた。本当に手厳しい。それでもその手を指に絡めて…絡めてから抱きしめられるようにまではなれた。そこまで行くのにどれだけ苦労したのかは、この際置いておいて。
「――うるさい、この私が不覚にもお前に……」
そこまで言ってはっと気付いたような顔をすると、そのまま口を噤んでしまった。きっとその先は彼にとっては決して言いたくない言葉なのだろう。けれどもそうなると逆に聴きたくなってしまうのが、世の常で。
「お前に?何だ、ヒーニアス?」
ついいつもの癖でニヤニヤと笑いながら聴いてしまう。せっかく恋人同士になれたのに、長年培ってきた『ライバル同士』の関係が抜けない。これでは念願の『甘い関係』になるのは永遠に無理そうだ。
「うるさい、お前にはデリカシーというものは持ち合わせていないのかっ?!」
「俺はヒーニアスの事なら何でも知りたいんだ。だから聴きたいと思っただけだ」
「…お、お前は……」
さっきよりずっと。ずっと不機嫌になって自分を見返してくる。そんな所も可愛い…そんな風に思ってしまうのは、完全に惚れた弱みでしかないのだが。だが、そんな顔を見ていると、ついつい苛めてしまいたくなるのも本音で…。
「教えてくれないと、身体に聴くぞ」
「――――お前はっ!」
耳元でそっと囁いてやれば、瞬時に耳が真っ赤になるのが分かる。しかしその反応を楽しむ間もなく、思いきり頭を叩かれた。それもしっかりとグーの形で。
「この馬鹿者がっ!!!」
「だってお前が教えてくれないからじゃないか」
頭を押さえて痛みを訴えても、ヒーニアスには通用しなかった。相変わらず不機嫌そうに睨みつけるだけで。でも。でも、その目尻が朱に染まっていたから。
「…本当に、どうしたら素直になってくれるんだか……」
しょうがないと溜息をひとつ付くと、そのまま。そのまま怒られる前にその唇を塞いだ。目尻の朱い色を、信じながら……。


甘くて蕩けるキスがしたい。甘い、甘い、キスを。
心も身体も溶かされるような、そんなキスを。
唇が痺れるほどの、身体の芯が疼くほどの。
そんなキスが、したい。甘い、甘い、キスが。


どうして自分はこう素直になれないのか。つい何時もの癖でこんな風に言ってしまうのか。塞がれた唇の熱さに目眩を覚えながら、頭の中でぐるぐるとそんな事を考えていた。
「…ヒーニアス……」
唇が離れた瞬間に、優しく名前を呼んでくれる瞬間が好きだ。普段の厳しい声とは違って、ひどく優しくなる声が。けれども悔しいから、絶対に本人にはそんな事は言わないけれど。
「これで機嫌治ったか?」
本当は機嫌なんてとっくに治っているのだけど、悔しいから睨みつけるままにした。けれども目尻の熱が治まっていないから、無駄なような気がするのだけれど。
「見くびるな、エフラム。そんなもので誤魔化される私ではない」
十分誤魔化され、意識が蕩かされているのに。どうしてもこんな風に言ってしまうのは、やっぱり何処かで悔しいと思っているから。―――悔しい、から。
「本当にお前は難しいな…まあその方が、手ごたえがあって楽しめるが」
ずっとライバルだと思っていた関係を、違うものへと変化させたのは目の前の相手だ。いきなり好きだと言ってきて、答えを考える間もなく唇が塞がれて、そして。そして、そのまま……。
「私に勝とうなど十年早い」
そのまま、こうして。こうしてこの男を受け入れている。それどころかそうされる事に喜びすら感じるようになっている。嬉しいと、思ってしまう自分がいる。
「今のところ、勝負は引き分けだろ?」
にやりと不敵に微笑って、顔が再び近づいてくる。間近で見るその顔は、男にしてはひどく綺麗なものだと思う。けれども綺麗だけど、強い顔だ。自信に充ち溢れた、充実した男の顔だ。そんな顔をずっと見ていたいと思ってしまう自分は、ある意味どうしようもなく重症なのだろう。でも、止められなくて。
再び唇が己の唇に触れる瞬間まで、ずっとその顔に…見惚れていた……。


ずっと追いかけ合って、ずっと追い越しあって、そして。
「…ヒーニアス……」
そして、ともに並んで歩いてゆきたいと。
「…好きだよ……」
ずっと同じ道を歩いてゆきたいと。
「…エフラム……」
だから、負けられないんだ。負けられない。
「…私…だって……」
こうやってともにいる権利を手に入れるために。


「……だ………」



もっと素直になれたら、きっと。きっと、もっと甘い関係になれるのだろう。けれどもそうなってしまったら、何だか全てに負けてしまうような気がしてしまうから。だから、踏ん張る。この場所にずっと。ずっと、いられるために。



聴こえないような小さな声で呟いた言葉は、けれどもエフラムにはちゃんと届いていたから。唇の動きで、伝わっていたから。
「本当に…お前は……」
苦笑交じりのため息とともに、降りてくるのは優しい腕。普段の荒々しい彼とは想像もつかないほどの、優しい腕の中。
「俺のツボを刺激するのが上手くて、困る」
抱きしめてくれる腕の優しさと、髪を撫でてくれる指先が。その全てが、ヒーニアスの睫毛を、心を震わせる。その、全てが。
「本当、悔しいくらいに」
きっと重なり合っている個所から、この胸の鼓動が伝わっているだろう。けれどもやっぱり悔しいから。悔しいから、それは言わないけれども。
「―――悔しいくらい…可愛いな……」
「可愛いというのは禁止だと言っただろうっ!」
そんな風に言われて嫌じゃない自分を自覚していても、それでもこうやって否定してしまうのは。
「そんなこと言われても、お前が可愛いからお前が悪い」
「…何だっ、それは……っ!」
「だから全部お前が悪い」
「ふざけるなっ!エフラムっ!!今ここで勝負しろっ!!」
同じ位置に立ちたいという思いと、自分がこんなにも彼を好きになってしまっているのを見破られたくないから。


「…身体で勝負なら…受けてやる……」


予想通りに飛んできた拳を受け止めて、そのまま抱きしめ唇を塞ぐ。それは甘い、キス。甘い、甘い、キス。はちみつのように、蕩けるようなそんなキス。
「…卑怯だぞ…エフラム…こんな……」
心も、身体も、溶かしてしまうような。意識をとろけさせるような、そんなキス。
「こんな?」
囁かれる声が甘く響いて、疼いてくる。それを止める術を、ヒーニアスは知らないから。止められない、から。だから。


「…こんな…キスされたら…私は…お前を怒れなくなる……」


蜂蜜のように甘くて蕩けるキス。そんなキスがしたい。飽きるほど何度も何度も、そんなキスをしたい。ずっと、ずっと、していたい。



「―――当たり前だ。俺は誰よりお前の事を分かっているんだからな…勝負よりもキスがしたい事も全部分かっているからな……」