ひとかけら



この指先に残る熱が、永遠ならばきっと。きっと、この痛みも懐かしいものへと変われるのだろう。このどうにも出来ない痛みですら。


――――この想いが恋だと気付いた瞬間、同時に理解した。もうどうにもならないということを。


指先を伸ばして、そっと。そっとその背中に触れてみた。少し熱が残る、汗ばんだその背中に。
「―――ん?」
少し気だるそうな声と同時に振り返るその顔を、少しだけ目を細めて見上げた。気付けば何時も少しだけ、こうしてわざと視界をぼかしているような気がする。真っすぐ見ることを、逸らしているような気がする。
「…まだ熱が残っている……」
シーツの波に埋もれたまま、背中を指で辿った。指先に汗の雫がこびりつく。それすらも今は、ひどく愛しいものに思えた。こうして彼から零れるもの全てが。
「お前なぁ…俺を帰さねーつもりか」
背骨のラインを辿った所で、指の動きは止められた。手首を掴まれ、そのまま。そのまま、シーツの海から引き上げられたせいで。
「私が帰るなと言ったら、ここにいてくれるのか?」
掴まれた手首の力が優しいのが、もどかしい。このまま強引にきつく結んで、引き寄せて欲しいと願ってしまう自分は―――我が儘なのか、それとも浅ましいのか?
「お前にしては随分と情熱的な言葉だな。でも足りねーな」
くすりとひとつ微笑うその顔は、まるで子供を諭すような穏やかさで。この何時も変わる事のない穏やかで広い心が自分にとって何よりも安心出来るもので、そして何よりも不安にさせるものだった。どちらも本当の事だからたちが悪い。
「じゃあ、これでどうだ?」
空いている方の手でその顔を引き寄せ、そのまま口づけた。触れて離れるキスを繰り返して、やっぱり少しだけ視界をずらしてその顔を見つめる。
「まだ足りねーよ。もっと、してくれ」
耳元で囁かれる声に混じる吐息はまだ熱が残っている。その熱さが逃げてしまわないように、舌を伸ばしてその唇に触れた。厚くて熱い、その唇に。


愛に終わりがあればいいと思った。想いが途切れる瞬間があればと。そうすれば、この終わりのない迷路から解放されるのだから。自らに食い込んで離れない、無数の鎖が解かれるのだから。けれども。けれどもそれ以上に。それ以上に、望んでしまう。願ってしまう。


―――目の前の存在に恋焦がれ、狂わされる。溺れるほどの愛を望み、醜い程望んでしまう。


生まれて初めて、自分を怖いと思った。
「…ジス…ト……」
こんなに醜く、こんなにも穢たない自分が。
「…サレフ……」
このちっぽけな身体の内側に潜んでいる事に。
「…好きだ…ジスト……」
こんなにも欲深く、こんなにも淫らな自分が。


触れるだけの口づけではもどかしくて、深く唇を奪った。それに答えてくれる舌の熱さと動きに、どうにもならない疼きを感じた。


背中に絡めた腕を解く事すら躊躇われる。このままきつく抱きついていたいと、ただそれだけを願うほどに。
「しょーがねえなあ、本当に俺を帰さねーつもりだな」
降ってくる声の響きの優しさが、今は痛い。もっと冷たくあしらってくれてもいいのに。こんな自分を拒絶して引き剥がしてくれてもいいのに。
「―――ジスト……」
顔を上げれば優しい瞳が自分を見下ろしてくれる。その優しさに溺れて、そして壊れてしまえたら楽になれるのだろうか?それとももっと。もっと、苦しい?
「そんな顔すんな…離れられなくなる……」
汗の匂いが鼻孔を埋める。この匂いが消えるのが怖い。消えないほどに身体に刻んで、染み込んでくれればいいのに。そうすれば少なくともこの不安からは逃れられる。
「…すまない、私がこんなにも…こんなにも君が好きで……」
「好きといわれて謝る理由はねーだろ?その言葉は俺にとっては何よりの褒美だ」
「…ジスト……」
「どんな報酬よりも、どんな褒美よりも俺にとってはお前のその言葉が一番だ」
「―――好きだ、ジスト」
「もっと言ってくれ」
「…好きだ…君だけが好きだ…本当に好きだ……」
「ああ、俺もだぜ…サレフ」
伝わっている?言葉では足りないほど溢れているこの想いは。溢れて零れているこの想いは。君に、全部伝わっているのだろうか?君に届いているのだろうか?
「…愛している…ジスト……」
言葉なんかじゃもう追い付かないのに。どんなに伝えても足りないのに。それでも言葉でしか想いを見せる方法がないから、こうやって。こうやって、告げるしかない。溢れて零れているこの想いを。


真っすぐにその視線を見返せないのは。見つめた瞬間に、全てが。全てが剥き出しになりそうな気がしたから。堪えていたものすら全て剥がされて、この醜いまでの執着心が、暴かれてしまうから。


―――でもまた、別の心が告げている。それすらも暴いて、見せてしまいたいと。全てを曝け出してしまいたいと。



「さよならじゃねーのに…お前にこんな顔をさせてしまうのは…やっぱ俺のせいだよな……」



またこの場所へ戻ってくるのは分かっている。君にとっての『還る』場所はここしかないんだと理解しているのに。頭ではちゃんと分かっているのに。それでも消えない不安と醜い嫉妬心と、尽きない独占欲が。その全てが私に絡み付き喰い込んで、離れない以上。
「…ジスト…好きだ……」
傭兵である君に帰る場所なんてなかった。留まることを知らない君に、戻る場所なんてなかった。それでもここに。この場所に還ってくると告げてくれたのに。私の元が還る場所だとそう言ってくれたのに。―――それでももっと、と。求めてしまうのを止められなくて……。


愛に終わりがあればよかったのに。想いが途切れる瞬間があればよかったのに。けれどもそれ以上に願い望むものがある限り。今ここに在る限り。
「―――好きだよ…ずっと……」
そう告げて微笑う私の顔はきっと何処か。何処か壊れているのだろう。それでも君の瞳は私を優しく包み込んでくれる。優しく、見つめてくれる。




指先に灯っていた熱が全身に広がり私を飲み込んでゆく。それを感じながら、私はただ思っていた。―――君だけが好きだと。それだけを、思っていた。