――――頭上に浮かぶ月だけが、ふたりを見ていた。そっと、見ていた。
四角く区切られた空間から覗く月は、ひどく。ひどく心をざわつかせた。丸い球体が淡く光るだけで、それだけで胸の奥がざわめいてゆく。まるで何かに追われるように。
「何を見ていたんですか?」
背後からする声に振り返れば、予想通りの相手がいた。まだ表情に幼さを残しながらも、自分を翻弄して犯してゆく彼が。
「―――月が…満月だなと思って」
気付けば身長が同じくらいになっていた。出逢った頃は大きな瞳で見上げてばかりいる子供だったのに。今はこうして自分と同じ位置に立って、その瞳が私を……。
「将軍、月よりも僕を見てください」
大きな手が私の頬を包み込む。何時の間にこんなにもこの手は逞しくなっていた?何時の間にこの腕は、私を抱きしめるようになっていた?
「…フランツ……」
綺麗な金色の髪はずっと。ずっと、変わらないのに。なのに君はあのころとは違う生き物になって、私の前に立つ。そして私を追い詰めてゆく。
その腕に抱きしめられ、覆いかぶさるように唇を奪われる。こんな激しいキスを、君は何時から私に与えるようになっていた?こんな大人のキスを君はいつから?
「…ん…ふっ…はぁ……」
思い出そうとしても、忍び込んでくる舌の動きに翻弄され思考が拡散した。意識を繋ぎとめる前に、根元まで舌を絡め取られて。そして私は溶かされてゆく。子供だと思っていた君の腕の中で。
痛い程真っすぐに見つめる瞳はずっと変わらないのに。
それなのに君の身体は変化してゆく。大人の身体になって。
そして私を『性』の対象として見るようになっていた。
――――私を見つめる瞳は何一つ、変わらないのに……
なのに君は私を好きだと言う。私を抱きたいと告げる。それはまるで。まるで私だけが、ずっと。ずっと同じ場所に置き去りにされているみたいだった。
小さな指先は今こうして形を変化させて、私の身体を翻弄する。触れるだけで熱を帯びて、意識が溶かされてゆく。
「…綺麗です、将軍……」
低く囁く声がまるで別人のように聴こえてくるのは、私の耳元に残っているのが君の幼い声だから。見上げてくる大きな瞳と、必死で追いかけてくる姿が残像としてずっと。ずっと、消えないから。
「…フランツ…はぁっ……」
ベッドの上に組み敷かれ、熱い吐息を吹き掛けられる。夜に滲んだ視界を堪えてその顔を見上げれば、それは一人の『雄』の顔だった。
「誰よりも綺麗です」
「…あぁっ…はっ…ぁぁ……」
指が、触れる。敏感な個所に触れて、撫でられる。指先で転がされ、痛い程に摘ままれる。その刺激を私は堪える術を知らない。堪える事が、出来ない。
「―――愛しています、将軍。ずっと…僕は貴方だけ……」
胸の果実を口に含まれながら、紡がれる愛の告白がひどく遠くに聴こえた。加えられた個所から広がる熱は、全身を駆け巡るほど熱いのに。
「…あぁ…ぁぁ…フラ…ンツっ……」
髪に指を絡め、目を閉じて名前を呼んだ。その名前を強く心に刻んで、夜の海に溺れていく。その名前だけを、刻んで。
――――奪うキスを夢見たのは、どちらが先だった?
溺れるような口づけと、目眩がするような抱擁。
望んだのは、どちらからだった?どちらが先だった?
絡みあった視線の先に結ばれたものが、ふたり。ふたり、おなじものだと気付いたのは何時からだった?
初めて君に抱かれた時も、こんな満月の夜だった。黄色い球体だけが、私たちの背徳の行為を見ていた。静かに見下ろしていた。
「愛しています、貴方だけを」
あの時も熱に浮かされるように、何度も何度も告げられた。好きだと、愛しているんだと。それが若さゆえの一時的な情熱で、過ちならば良かった。それだけならば、ただ身体を繋いで終わりだった。けれどもその熱は何時しか私を飲み込み、戻れない場所へと連れてゆく。二度と戻れない場所へと。
「…フランツ…あぁっ!……」
のけ反った喉に唇が落ちてくる。そこを軽く噛まれるだけで、じわりと広がってゆく快楽を止める術を知らない。止められ、ない。
「…ああっ…あぁぁっ!!……」
熱い楔が埋め込まれる。引き裂かれるような痛みと、目眩を覚えるような刺激が同時に襲ってくる。こうなったらもう。もう、後は堕ちてゆくだけ。深い場所まで堕落してゆくだけ。
「…フランツ…フラン…んんっ…んんんっ!」
濡れた音だけが、響く。上からも下からも。繋がってぐちゃぐちゃになった音だけが。このまま混じり合って溶かされて、何もかもが分からなくなって。分からなく、なって。
「…愛しています…ゼト…僕の…僕だけの……」
「――――あああああっ!!!」
背中に爪を立てた。食い込むまで爪を立てて、消えない跡を作る。消したくない跡を…作る。
置き去りにされたくないと思った。このまま独り。君が違う生き物になってゆくのに私だけがずっと。ずっとこの場所に留まっていたくないと。だから指を絡めた。だから身体を重ねた。そうしてふたり。ふたり、何処にも戻れない場所へと。
月だけがずっと。ずっと、見ていた。私の罪を見ていた。
「…貴方は僕を愛していない…それでもいいんです……」
変わってゆく君の手を取った私は、一体君の何を望んだ?
「それでもいいんです。貴方がこうして僕の腕の中にいてくれるなら」
ここにある愛情を、ここにある肉欲を、ここにある君の心を。
「―――例え貴方が誰を見ていても……」
その全てを望んだのに、何一つ返せない。何も君には返せない。
―――――溺れるほどの愛欲を望みながら、私は君の面影を追いかけている。幼い君の、面影を……
ここにあるのが愛なのかそれとも別のものなのか、私には分からなかった。けれどもこうして君に抱かれたいと願う私がいるのも事実だった。君の熱に溺れたいと望む私がいるのも―――本当のこと、だった。