瞼が触れるくらいにそばにあるその顔を見つめていたら、気が付いた。突然、気付いてしまった。自分が悔しいくらいに目の前の相手が、好きなんだという事を。
――――悔しいくらいに、大好きだっていうことを……
「―――お前が誰よりも負けず嫌いだってことは俺が一番知っているが…だからってこんな時にまでそれを発揮する必要はないだろう」
唇が触れる寸前の距離まで辿り着いたその瞬間、エフラムはため息とともに目の前の相手に告げた。告げずには、いられなかった。
「別にそんなものを発揮した覚えは私にはない」
そんなエフラムに対して何を言っているんだとばかりの表情でヒーニアスは返答した。本当にこの男は何を訳のわからないとを言っているのだと、不遜な表情まで浮かべている。
「…だったら何で目を閉じない?……」
このまま唇を重ねるだけの瞬間までまじまじと自分の顔を見られれば、エフラムとしてもぼやかずにはいられなかった。大体どうしてこう目の前の相手とは、甘い空気が流れないのか?自分たちは想いを確かめ合った恋人同士ではなかったのか?
「何だお前はそんな些細な事を気にするのか?器の小さい男だな」
「―――普通は気にするだろう?」
何でこんなに偉そうな態度で『器が小さい』なんて言われなきゃならないのか。この理不尽さに流石のエフラムも深いため息をつかずにはいられなかった。そもそも何で自分がこんなにも譲歩しなければならないのか。
「私は気にはならない。お前がどんな顔でするのか…見てみたかったからな」
悔しいがこの場合はきっと惚れた方のが負けなのだろう。今の一言が不覚にも嬉しい言葉だと思ってしまったのだから。
「…全く…お前には叶わないな……」
「当たり前だ。私を誰だと思っている?」
胸を反りかえしそうな勢いで言ってくるのが、悔しい。このまま言われっぱなしでは男のプライドに関わる。何時だって戦歴は五分でなければならないのだから。
「ああそうだな、お前には叶わない。だけどコレには弱いだろう?」
「―――っ!」
意地悪そうにひとつエフラムは微笑うと、そのままそっとヒーニアスの唇を奪った。こうすればどんな瞬間でも、ヒーニアスの心が溶かされるのが分かっているから。
触れあっている唇が。柔らかいその感触が。
「…んっ…ふぅっ……」
甘く溶かされてゆく。こころも、身体も。
「…はぁ…ぁっ……」
全てが溶かされて、何も考えられなくなる。
「―――ほら、な。キスだけで目が潤んでいる」
唇が離れても互いの唇から引く唾液の糸が、名残惜しそうにふたりを結ぶ。それをぺろりと舐め取ると、潤んだ瞳で自分を見つめるヒーニアスを抱きしめた。
「本当に普段もこうならどんなに可愛いか」
「…男が可愛くても仕方ないだろう……」
耳元で囁かれればじんわりと湧き上がってくるものがある。そのまま身を委ねねば、もう自分ではどうにもならなくなる。それが悔しいから必死になってヒーニアスは反撃を試みるが、背中にしっかりと廻している腕のせいで全然意味のないものになっていた。
「いや、俺にとっては意味がある」
真顔で言われて不覚にもときめいてしまう自分が嫌だった。悔しいがどんな場面であろうとも、この男が見せる真剣な表情が堪らなく好きだった。好きで、好きで、どうしようもなくて。
「お前が可愛ければ、俺が嬉しい」
言われている事はかなり失礼な気がするけれど、それでも。それでもさっきの真剣な顔が見られるならいいかもしれない―――そんな風に思ってしまう自分は、本当にどうなってしまったのか?
「嬉しいから、もう一回だな」
頬を手のひらに包まれ、再び唇が降ってくる。その感触はきっとどんな砂糖菓子よりも甘いものなのだろう。そして何よりも美味しいものなのだろう。だって甘いものが苦手な自分がこんなにも望んでしまうものなのだから。
目を閉じるのがもったいないと思った。口づけをしようとするその顔が、ひどく。ひどく心をときめかせるから。だからずっと見ていたいと思った。ずっとその表情を見つめていたいと。
「―――だからどうして、目を閉じないんだお前はっ!」
だって、見ていたいから。少しでもたくさん、その顔を。一番好きなその顔を見ていたいから。ずっと、ずっと、見ていたいから。
「どうして、こうお前は無粋なのだ?」
もう少しで触れる距離になって言ってくる相手に思いっきりヒーニアスはため息をついた。そして反り返らんばかりになってエフラムに言い放つ。
「…お前なぁ……」
本当に何でこうなるのだろうか?やっといいムードになったというのに。見事にふり出しに戻っている。
「私がお前の顔を見ていたいのだ。何も問題なかろう」
「―――それは、愛の言葉と受け取っていいのか?」
エフラムの言葉にヒーニアスは微笑った。それは鮮やかな華のように艶やかで、綺麗で。見惚れずにはいられないほどで。
「当然だ。私の中で最大級の賛辞だ」
この笑みがある限り、この件に関しては不戦敗でもいいと思った。そのくらい、エフラムにとっては堪らない笑顔だったから。
ぎりぎりの瞬間まで互いの顔を見つめながらキスをした。一番大好きな顔を瞼の裏に焼き付けて。こうして目を閉じても鮮やかに浮かぶほど直近で見つめて。そしてキスを、する。
――――好きだから、悔しいくらいに…大好きだから。