さがしもの



何を望むでもなく、何を願うわけでもない。ただそばに、そばにいたかった。それだけで良かった。それだけで、良かったの。


触れた指先から伝わるぬくもりが、ゆっくりと消えてゆく。静かに消えてゆく。それをもう一度この指先に灯すことは、許されないの?
「――――ゼト……」
名前を呼んで見上げれば、そこにあるのは騎士の瞳だった。ただ一人の『男』ではなく、私に仕える唯一の騎士の瞳。それはずっと貴方が私に与えてくれていたもの。その瞳でずっと私を支え、そして私を護り続けていてくれていた瞳。そんな瞳を持つ貴方に私は恋をした。恋を、した。
「行きましょう、エイリーク様。皆が待っています」
けれども私が願ったものは、その瞳ではなかった。その瞳じゃない。私が欲しかったものは、今この瞬間に見せてくれたその焼けるほどの熱さを秘めた、その硝子より先に在るものだから。
「…はい…ゼト……」
けれども、それは決して手に入らないもの。どう願っても、決して手に入れてはいけないもの。それでも、どうしても。

―――――触れた瞬間の指先のぬくもりが、その先に在った瞳の熱が消えなくて……

先に踵を返し、歩みを進める後ろ姿を見つめた。紅い髪が風に揺れて靡く様を見つめた。広くて大きくて、私の全てを護ってくれて、そして全てを拒絶する背中を見つめた。こうして私たちはずっと、少しだけ距離を置いて歩み続けるのだろうか?こうやって、一番近くに見える位置で、けれども無防備に触れる事が許されない位置で。
「―――戦いが早く終わるといいですね」
愚かな女だと自分でも思う。こんな風に争いの最中で、私は恋する気持ちを止められないでいる。それ以上に考えしなければならない事があるのに、私はこうしてこの背中を見つめ続ける事を止められないでいる。こうして瞳がずっと。ずっと貴方に盗まれている。
「ええ、早く…終わるといいですね……」
殺伐とした戦いの中に身を任せれば、こんな甘い感情を止められるのだろうか?胸に疼く切ない気持を消すことが出来るのだろうか?それとも。それとも、そんな場所に立っても…私は貴方だけを想い続けてしまうのだろうか?


望みも願いも全部。全部、こころから消すことが出来たらいいのに。全部、全部。


出口のない迷路に迷い込み、抜けたいと願いながらも、迷い続ける事を選ぶ私がいる。貴方を想う気持ちがなくなればと思いながらも、それ以上に貴方を求め彷徨う私がいる。どうすればいいのという疑問は、もうとっくに遠い場所にいってしまった。もうそんなことすら考えられない自分がいる。

――――ゼト…と、名前を呼べば必ず貴方は振り返ってくれる。振り返って私が恋をした瞳を向けてくれるの。けれども、それは私が欲しい瞳じゃないから。私が望むものではないから。

この永遠の矛盾から私はどうする事も出来ないでいる。どうにも出来ないでいる。どうしたらいいのかなんて事すら考えられなくなって、どうにも出来なくなってただ。ただ貴方の背中を見つめる事しか出来ない。それしか、出来ない。


微かに触れた指先のぬくもりが、ずっとだったならば。
このぬくもりがずっと。ずっと、繋がっていてくれたならば。
―――――私はもう何も。何も、いらないのに。



「ゼト将軍、エイリーク様っ!こちらです」
呼ばれる声に我に返り、私は咄嗟に『王女』の顔をした。恋するただの女じゃない、この国の王女としての顔を。それは貴方が私に向けている瞳と同じ意味だった。そうやって『私』という部分を隠して沈める事が、この場所に立っている意味だから。
「フランツ、敵の様子はどうだ?」
迷うことなく振り返る事もなく、進んでゆく背中。ほんの少しの余韻もほのかな甘さも何一つ残さず拒絶すらする背中。その強さに惹かれ恋し、そして苦しむ。私の矛盾はどうしたら、折り合いをつける事が出来るのだろうか?それともこのまま永遠に、迷い続けるのだろうか?


――――― 一瞬だけ、重なった指先。一瞬だけ、触れ合った指先。


その瞬間に見上げた先に在ったものが。ふたりが重なった視線の先に在ったものが。それが、同じものだと気付いても。その先に在る求めたものが同じだと気が付いても。

その指をこのまま絡めることが出来なくて。このまま繋げ合せる事が許されなくて。

どちらが先に気付いたのかなんて、そんなことは無意味だった。どちらも気付いてしまったのだから。互いの中に在るものを。互いの中に芽生えたものを。ふたりが、気付いてしまったのだから。
こころで呼び続けた名前が、何度も何度も呼び続けた名前が。貴方が答えてくれていた事に気付いても。気付く事が出来ても。それでも指先を結ぶ事が出来ない。身体を結ぶ事が出来ない。心を結ぶ事が…出来ない。
「――――ではこの作戦で…よろしいですか?エイリーク様」
「はい、ゼト。貴方の言うとおりでお願いします」
繋がっているものは、この戦場の上の細い糸しかなくて。主君と騎士という切れない鎖で繋がれていながらも、心を繋ぐのは一瞬のぬくもりと心の奥底の熱情だけで。形あるものは何も。何もなくて。
「では作戦に取り掛かる。フランツ、カイル、フォルデっ!」
「はいっ!」
ただ頼りなくも消す事の出来ない、想いだけで繋がれている。それだけで、結ばれている。


ふたりが、探したものは同じだった。同じものを探して、そして見つけたのに。それを手にする事がどうしても出来ない。どうしても…出来ない。こんなに近くに在るのに、こんなにそばに在るのに、それなのに手に入れる事が出来ない。

――――こんなにも、愛しているのに。こんなにも、愛しすぎているのに。

何も望まず何も願わず、こうして。こうしてそばにいられるだけで。そばにいるだけで。けれどもそれすらも。それすらも、苦しい。苦しくて、苦しくて、どうしていいのか分からない。


気付かなければよかった。見つけなければよかった。けれども気付いてしまった。見つけてしまった。ふたりがさがしていたものを。ふたりが、さがしたものを。