―――死ぬと分かっている運命ならば。
それならば最期は、愛する者の腕に抱かれて死にたい。
冷たいシーツの上だけが今の世界の全てだった。
「…レックス……」
今まで生きてきた自分のちっぽけな人生。ちっぽけで、くだらない人生。
「…レックス…愛している……」
そのひとの人生の価値なんて、その後の人間が決めるものだけれども。それでも僕にとって生まれてから死ぬその瞬間まで自分の人生はちっぽけなものだと思った。
兄に憧れ、そして兄に怯え。今こうして兄の手によって殺される未来を目の前にしながら。目の前にしながら、逃げようとも隠れようともせずに。
「――アゼル、何をそんなに怯えているんだお前」
怯えているのはお前を失う事。それだけだ。自分なんてどうでもいい。どうなっても構わない。こんな身体なんてこんな命なんてどうでもいい。でも。でもやっぱりお前を失うのを夢見ながら怯えている。
「レックスが好きだから」
腕を伸ばしてその広い背中に抱きついた。広くて大きな背中。誰よりも大好きな背中。どうして、どうして僕はこんなにも彼が好き?
「だったら怯える必要はないだろう?俺はアゼルを誰よりも愛しているんだから」
何時もそう、だった。何時も彼の手だった。救いの手は何時も彼のその大きな手だった。
兄の呪縛から逃れたくて逃げ出した時、差し伸べられたのはこの手で。そしてエーディーン様に失恋した時も、慰めてくれたのはこの手だった。
そして今。今『死』と言う最期の宣告を受けた自分が縋ったのは、やっぱりこの手だった。
「…それともアルヴィスに怯えているのか?……」
死ぬのは怖くない。怖くはない。怖いのは、お前を失う事それだけだ。それだけだから。
兄は僕を許しはしない。兄の手から逃げた僕を、決して。決して許しはしないだろう。そして。そして多分…多分…シグルドも…皆も…きっと……。
でもそれを僕が口にしたとして、どうなる?滅びる運命である僕らは、未来の為に歴史の為に、死にゆく運命である自分がその流れに逆らってどうなるの?
どうにもならない。動き出した歯車は誰にも止める事が出来ない。
それならば。それならば、最期はお前の腕の中にいたいと思うのは…我が侭なのか?
「―――兄は関係ない…僕は…」
「アゼル?」
「…僕は…お前がいればそれでいい……」
そうして自分からお前の唇に口付けた。貪るように、唇を奪った。
愛して、いる。
そう気付いたのは、何時だった?
何もかもから逃げた僕を。
それでも見捨てなかったお前。
手を差し伸べてくれたお前。
お前だけが僕の世界の全てだとそう気付いたのは何時だった?
ただ気付いた時には、戻る事の出来ない場所まで来ていた。
どうしようもない程にお前が好きだと気が付いて。
そしてどうしようもない程にお前を欲しくなって。
欲しくなって、そして。
そしてどうしようもない程にお前を求めた。
誰にも渡したくなくて、自分だけのものにしたくて。
―――自分だけの…ひとに……。
「…ああっ…レックス……」
深く抉られ、喉を仰け反らせて喘ぐ。
その涼やかな匂いのする髪に指を絡めながら。
その髪を、乱しながら。
「…はぁ…ああっ…もっとぉ……」
「――アゼル…愛している……」
「…もっと…あああっ!…」
何度も腰を揺すって、深くお前を求める。
その凶器が僕の全身を埋め尽くすまで。
隙間なく埋め尽くすまで。
何度も何度も、挿入を繰り返し。
そして快楽を貪った。
何もかもが考えられなくなるまで。
―――何もかもが、見えなくなるまで……
壊れていると気付いたのは、何時だったか?
お前の瞳が壊れていると気付いたのは。
アルヴィスから逃げ出した時か?
それともグランベルが俺らを敵だと見なした時か?
いや違う。もっともっと前だった気がする。
ただそれでも俺はお前に手を差し伸べた。
愛しているから。お前だけを愛しているから。
壊れた瞳のかけらを拾い集めて、そしてお前に返す為に。
お前にもう一度、笑って欲しかったから。
何度も何度もその細い身体を貫いた。
求めるなら、その分だけお前に返した。
声を殺そうともせず、ただ快楽のみを求めるお前。
一匹の獣になって俺を求めるお前。
それでも、お前は綺麗だった。
純粋に欲のみを貪るお前は、何よりも綺麗だった。
そこにあるのは壊れた狂気と壊れた愛。
それでも俺らにとってその歪んだ世界が、全てだったから。
廻りがどうであろうとも。
お前がいて俺が居るその世界が。
その世界が全てだった、から。
「―――あああっ!!」
何度目かの絶頂をお前は迎えると、俺はその身体の中に白い欲望を吐き出した。
愛している、お前だけ。
お前だけが僕の世界にいればいい。
他に何もいらないから。だから。
だからお前だけがいてくれれば、いい。
愛している、お前だけを。
お前だけが幸せでいてくれればいい。
他には何も望まない。だから。
だからお前が笑ってくれれば、いい。
窓から差し込む細い光が、朝を告げる。
最期の、朝を。
その光を見つめながらアゼルは笑った。
―――これで終わる、と。
全ての執着と全ての後悔と、そしてちっぽけな自分自身が。
誰よりも愛するこのひとの傍で。
終わる事が、出来ると。
その笑みを見つめながらレックスは思った。
お前にとっての幸せは、壊れることで。
そして何もかもを忘却の彼方に押しやって。
ただ純粋に。純粋に俺がいて、お前がいる事だと。
何もかも全てのものを消し去ってふたりだけでいる事だと。
そして。そしてそれは。
…レックス自身の望みでもあると……
最期の愛だから。
最初で最期の愛だから。
歪んで崩れてそして何もかもがなくなって。
残ったものがこの『最期の愛』だけだから。
―――ふたりで、みつめあって。そして笑いあう。
幸せだね、と。こころで呟きながら。
…しあわせだよね、と……