一目ぼれ、って言ったなら。
コイツは信じるだろうか?
本命はずっとお前の方だって言ったなら。
コイツは信じてくれるだろうか?
「もう、スカサハったらっ!」
「ごめん、ラクチェ」
ガシャンと大きな音が響いたと思ったら、スカサハとラクチェがぶつかってラクチェの手に持っていた皿が落ちて割れた音だった。
「ごめんじゃないでしょうっ?!本当にスカサハったら何時も何時もぼーっとして、しっかりしてよお兄さんなんだから」
「ごめんね、ラクチェ」
ここに来てから気付いた、何時ものやり取り。気の強いラクチェと、何処かぼーっとしているスカサハ。兄弟なのに実に対照的なふたり…見ていて飽きないけれど……。
そんな妹にぺこりと謝りながら、割れた皿を懸命に拾うスカサハ。見掛けよりもずっと細い指で。って本当に男の指なんだろうか?…と。
「あっ!」
俺が声を上げたのとスカサハが声を上げたのは同時だった。拾った皿の破片でその綺麗な指を切ったからだ。
「もうホント何やっているのよっ!」
その声に振りかえったラクチェがぱたぱたとスカサハの傍によって、飽きれたように彼を見る。俺と言ったら考える間もなく立ち上がってスカサハの傍によっていた。
「何よ、ヨハルヴァ」
「そんな拗ねた顔すんなよ、せっかくの美貌が台無しだぜ」
…ってやっぱ何時もの癖でラクチェを口説いてしまった…いや別に間違っていない筈なんだが…その筈なんだが……
「うるさいわね、あんたに言われても嬉しくないわよ」
そりゃーそうだろう。お前にはいとしのシャナン様がいるんだからなぁ。俺がその事実に気付いたのはシャナンがこの軍へと帰って来てすぐだったけど、不思議とショックはなかった。あれだけラクチェに熱を上げていた筈なのに…ゲンキンな奴だと自分でも思う。だってさぁ。
「それよりも、スカサハ。平気か?」
「…あ、ヨハルヴァ……」
この何処かぼーとしたラクチェの双子の兄が。こいつを始めて見た瞬間に、俺は不覚にも恋に落ちてしまった。本当に不覚だと自分でも思う。熱を上げていた筈の相手の兄で、しかも同性だったりする。それでも…それでもラクチェに紹介された瞬間、俺の心の中で何かが途端に弾けたんだ。
「うん、平気だよ」
「見せてみろ、指」
決して人前に目立とうとはせずに、にこにこと笑顔を絶やさないで。何時も穏やかに控え目に笑っているこいつが。強気の妹を宥めながら、それでも何時も心配しているこいつが。
「…うん……」
―――こいつがどうしようもない程、好きで……
戸惑いながら出してきた白い指先に俺は迷わず舌を這わした。そして傷口を綺麗に舐めとってやる。他人の事には敏感なこいつはひどく自分の事には鈍感だったりするから、俺はどうしても目が離せない。
「ちょっとヨハルヴァ何やってんのよっ!」
「バーカ消毒だよ。ここから変な菌でも入ったらどーすんだよ」
と言いつつ少しヨコシマな気持ちが入っていないわけでもないけれども。いやなんかすげーいやらしく舐めてなかったか?俺。
「あ、ありがとうヨハルヴァ」
そんな俺ににっこりとスカサハは言って来た。畜生何でこいつこんなにも可愛いんだっ?!誰もいなかったら押し倒すぞ、コラ。
「もう大体スカサハがぼーっとしているからいけないんでしょっ?!しっかりしなさいよ。あんたこれでもお兄ちゃんなんだからっ!」
「ごめんね、ラクチェ」
―――あーあまた始まった。俺はこのままで充分だと思うけどな。別にしっかりしなくったって、今のまんまで充分可愛いんだからよ…。
目が、離せないから。
他人の事に敏感でそして自分の事に鈍感なお前だから。
他人を庇って自分が傷つく事ばかりで。
―――だから。
だから俺くらい、お前自身を庇ったっていいだろう?
俺くらい、お前を護ったっていいだろう?
こんな綺麗な月の夜だから。
「…はぁはぁ……」
スカサハは額から零れる汗を拭き取ると、大きく息を付いて空を見上げた。そこにはぽっかりと大きな月が光っていた。
「やっぱり俺ってしっかりしないとダメなのかな?」
顔を合わせれば妹に口癖のように言われる言葉。実際自分は確かにぼーっとしていると思う。よくドジをするし、失敗も多い。けれども。
けれども戦場の上では今までそんな事一度もなかった。でもこれからもないとは…言い切れない。一瞬の隙が命取りになる場所で判断ミスは決して許されない。
「…ダメだよな…やっぱ……」
父親の形見である銀の大剣を鞘にしまうと、そのままその場にしゃがみ込んだ。自分の父も母も剣士だった。英雄シグルドと共に戦った剣士。強くそして優しかった父と母。そのふたりのようになりたい。幼い頃別れ別れになったふたりへの記憶はほとんどなかったけれど、その優しさと強さだけは…それだけは憶えている……。
何時しか自分もこの剣で大切なものを護れる程に強くなりたい。強くなってもう誰も泣かせたくはない。本音を言うならば争い事は嫌いだった。戦うのも傷つけ合うのもイヤだった。それでも。それでもそれ以外に護る術がないのならば…この争いをなくす事が出来るくらいに強くならねばならない。
―――強く、ならなくては。
でも本当は時々。時々どうしようもない淋しさに襲われる。ふと、誰かに寄りかかりたいとそう思ってしまう事が。
そんな風に弱い部分を乗り越えなければ、本当の意味での『強さ』は手に入れる事が出来ないのだろうか?
―――カサリと、音がして。スカサハは振り返った。
そこには自分が全然予想しなくて、けれども何処かでひどく納得してしまった相手がいた。
「…ヨハルヴァ……」
何でだろうと、思う。何でかなと、思った。何時も気付くと視界に不思議と入ってくるのは。そして。そしてそれを何故か当たり前のように感じている自分が。
「こんな夜中まで剣の稽古か?」
「あ、うん。俺ラクチェみたく強くないから」
「バーカ何言ってんだよ。おめーは充分強いよ」
そう言って隣に座ってきたヨハルヴァをふと見上げてみた。同性なのにヨハルヴァの腕は逞しくて、自分なんかと全然違う。体つきも身長も体格も。こうやって一緒にいるとその違いが顕著に現われてちょっとだけコンプレックスを感じてしまう。
「でも俺ぼーっとしているし、冷静な判断出来ないし…」
それが何だかイヤでつい俯いてしまった。まともに顔を見るのが何だか少し出来なかったから。
「何イジけてんだよ。お前ら戦場では『死神兄弟』って言われているんだぜ。それに」
けれどもそんな俺の気持ちを知ってか知らずかその大きな手がそっと、そっと俺の髪をくしゃりと撫でて。そして。
「…それに?…」
その手に弾かれるように見上げた先の瞳の思いがけない真剣な色に。その瞳の色に急に心臓がドキリとして。
「…俺は…変に強くてしっかりしているようなお前より、何処か抜けててでも…でも優しいお前の方が…好き、だぜ…」
その言葉に今度は心臓がどきどきと妙に騒ぐのを止められなかった。
―――俺は何を言っているんだろうと思った。
ついつい本音をぽろりと零してしまった。
だって、こいつがあまりにも。
…あまりにも、淋しそうな瞳をしていたから……
「…好き、だぜ……」
それでも止められずに俺はつい続けてしまった。けれどもスカサハの態度は俺には予想外だった。―――イヤがっていない。それどころか…耳まで真っ赤にしているっ?!
月明かりしかない暗闇とはいえこんな至近距離にいればスカサハの表情など手に取るように分かる。俺は信じられないと言う気持ちと同時にもしかして?と内心喜んでいる自分を抑えきれなかった。
「…あ、そうだよな。俺ラクチェの兄だもんな…」
自分で言った言葉に、予想外にスカサハは傷ついていた。どんなに鈍感な奴だってその顔を見れば…分かるだろう。分かる、から。
「関係ねーよ。俺が好きなのは『お前自身』なんだからよ」
「…ヨハルヴァ……」
その言葉にひどく嬉しそうに笑うから。だからもう俺はどうしようもなくなって。
「ああ、もうダメだ。お前が全部悪い、責任取れよスカサハ」
「えっ??」
びっくりまなこのまま俺を見つめてくるスカサハを、俺は堪え切れずに抱きしめた。
ひどく、びっくりしてけど。
何故だかひどく安心した。
この腕に抱きしめられて、何故か。
何故か不意に淋しいと言う気持ちが何処かへ消えた。
「畜生お前なんでそんな可愛いんだよっ!」
「…ヨハルヴァ?…」
「もう我慢できねーキスさせろ」
「えっ?!」
「イヤか?」
「…あっ…えっと……」
「…イヤじゃない………」
不思議とすんなりと出てきた言葉に自分自身が驚きながら。
驚きながら目を閉じた。
その瞬間暖かい唇が、降ってきて。そして。
そして、重なった。
それは甘くてくすぐったい、キス。
…ずっとしていたいな…なんて思った……
「…あ、あの……」
唇が離れた瞬間、どうしていいのか分からないような顔でこいつは俺を見上げて来た。畜生そんな顔するとまたキスするぞ。
「あやまらねーぞ、俺は。俺はお前にキスしたかったんだ。ラクチェじゃなくお前にな」
その言葉にやっぱりまだどうしていいのか分からない顔をしている。でもその顔が俺をいやがっていない…それだけは分かったから。
「…あ、俺…その男だけど……」
「分かってるよ。俺だって一生の不覚だと思ってる。だけどしょーがねぇだろうが。男だろうが俺はお前に惚れちまったんだから」
「……嘘……」
「俺だって嘘にしてーよ。でも惚れちまった、止められない」
もう止められないから、突き進むしかない。立ち止まるなんて俺には性に合わないから。だからこうなったらもう行く所までとことんと、こいつに。
「…俺も…その…嫌いじゃない…」
何処までも、こいつに。どうしようもない程好きになってしまったから。
「…お前の事……」
「―――もう一回キス、してもいいか?」
「…お前がしたいなら…いいよ……」
「だーっ違うだろうがっ!俺のことよりもお前はどうなんだよ」
「ど、どうって?」
「俺とキスしたいのか、したくねーのかっ!お前は何時も他人の事ばっかで自分の事は全然後回しだ。だから俺といる時くらいはちゃんと言えよ」
「………」
「どーなんだよ」
「…したい……」
「…ヨハルヴァとキス…したい……」
目を、閉じて。
そっと合わせた唇に。
何もかもが溶けてゆくような気がして。
何もかもが、溶けて。
―――ひどくこころが、満たされてゆく。
「お前は何時も他人の事ばかりだから…今度からは俺がお前の事を考えるからな」
そんヨハルヴァの言葉に俺はどうしようもなく嬉しくなって。
…嬉しかった、から。
「…でも俺もヨハルヴァの事…考えているよ……」
弱い、けど。
俺は弱いけど。
それでもそんな俺を好きだと言ってくれる人がいるから。
そんな俺を好きだと言ってくれるひとが。
だからきっともっと。
もっと俺は強くなれると、思う。
『俺がお前、護ってやんかんな』
―――だってもう淋しくないから……