てのひら。



あなたの淋しさを、この腕で抱きしめられたならば。

その風の瞳が、大好きだから。
だから何時も笑っていてほしいんだ。
あなたには何時も、笑っていてほしいんだ。

「…お兄さん……」
小さな丘の上で独り。ただ独りで空を見上げているあなた。自らの風をまとい、そしてその風があなたと現実を遮断する。誰にも入りこめないようにと、自ら壁を作って独りになる。
「お兄さん」
それがひどくイヤで僕はあなたの名前を呼んだ。そうやって、独りで。独りで自分の風の中へと閉じこもってしまうあなたがイヤだから。だから僕は手を差し出す。そこからあなたをひっぱって現実へと、引寄せる。
「…アーサー……」
腕を掴まれて、始めてあなたは僕を認識した。翠色の瞳に僕が映し出される。この瞬間が、何よりも僕にとっての幸せだと貴方は気付いているのか?
「またそうやって、風の中にいる」
「…こうしていると心地いいんだ…何もかも忘れられて」
「ダメだよ、お兄さん」
「どうして?」
「―――全てを忘れても、僕だけは忘れないで」
そう言って見掛けよりもずっと細いその身体を抱きしめた。あなたを包む風から、あなたを奪うために。

――――風の勇者。
それがあなたに与えられた名前。
あなたを呼ぶ名前。あなたを区別するもの。
でも。でも僕にとってあなたは勇者でも何でもない。
ただ、ひとりのひとで。
たった、ひとりのひとで。
僕にとってはただひとり、愛するひとなのだから。

あなたは『勇者』でもなんでもない。

「時々、全てから消えてしまいたいと思うんだ」
お前の腕の中。優しい腕の中。何時でも、何時でも、お前は私にこの腕を与えてくれる。無条件に、そして無償に優しい腕を。
…だから私は…甘えてしまいたくなる……
「誰も私を知らない世界へと行ってしまいたいって」
ひどく疲れる時がある。人々の期待の目。私はそれに答えねばならないと。強くならねばならないと。父から受け継いだフォルセティが、私を私以外の者へと仕立て上げる。私はただのちっぽけな人間なのに。身近な者ですら救えないただのちっぽけな人間でしかないのに。それなのに。
それなのにこの武器は私を強い者へと、仕立て上げる。私を勇者へと仕立て上げる。
私はただの臆病者でしかないのに。私はただの卑怯者でしかないのに。
父を捜す為だと言い国から逃げた。幼い妹と病気の母親を置いて、私は逃げた。
誰よりも私が護らなければならない人達を置き去りにした。
…そして私は…何も出来なかった……。
母を、母を護れなかった。ただ一目父に逢わせるとそれだけを言い訳にして全てから逃げた私は、それすらも叶える事が出来なかった。
私は無力だ。私は弱い。一番身近な人間を護れなくて、それで勇者と言えるのか?何も出来ない私にその名前は重過ぎるから。
「お兄さん、それはムリだよ」
お前の唇が私の髪に触れる。額に頬にそして唇に。全てを包み込む口付けは、何時しか私の意識を溶かしてく。甘く、溶かしてゆく。
「全ての人間があなたを忘れても、僕があなたを忘れないから」
「…アーサー……」
「僕があなたを『セティ』を、忘れないから」
「それは私を風の勇者としてか?」
皮肉交じりに呟いた言葉に、お前はひどく優しく笑った。多分…私にこんな表情をお前はさせたくないのだろう。だから。だから、お前はそんな笑みを私に向ける。
「まさか、あなた自身を愛しているから。それだけだよ、お兄さん」
―――本当か?と聞く前に、私の言葉はお前の唇によって閉じ込められた。

あなたはただひとつ地上に咲く華。
綺麗で高貴でそして。そして何よりも儚い華。
あなたが強くあればあろうとする程。
あなたの花びらは萎れてゆく。
あなたが仮面を被れば被るほど。
あなたのこころは枯れてゆく。

あなたを癒す水を僕は、与えたいから。

「お兄さんを愛しているんだ」
「…恥かしくなく…よく言えるな……」
「いくらでも言えるよ。あなたにならば。あなたにならば、何度でも」
「……アーサー………」
「だってあなたは言葉を欲しがっているから」

「だから僕はあなたの一番欲しいものを与えるよ」

言葉。たくさんの言葉。
それに埋もれたら。私に圧し掛かる無数の重圧を。
その言葉が払拭してくれる?
お前の言葉が、私のこころに届いたならば。
私はそれに包まれ、眠りたい。

「あなたの笑顔が見たいんだ」
「…私は…笑っていないか?……」
「瞳が、笑っていない。何時もあなたは辛そうだから。あなたが完璧な『勇者』であろうとすればする程、あなたのこころが壊れてゆくのが分かるから」
「…お前の前…でもか?……」
「笑って、お兄さん。独りにならないで。風の中に閉じこもらないで。僕が傍にいてもあなたは笑っていない。こうやって風で壁を作ってしまう」
「…アーサー…私は……」
「風になりたいならば、ふたりでなろう」

ふたりで、なろう。
独りにならないで。
何時でも僕はあなたの傍にいるから。
こうやって風ごと、あなたを抱きしめるから。
だから、ふたりに。
―――ふたりに、なろう……

「そうだな…アーサー…」
差し出したお前の手のひらに、私は自らの指を絡めた。お前の、手のひら。大きくて、広くて。そして優しい手のひら。
こんな私を包み込んでくれる手のひら。弱い私を臆病な私を受け入れて、そして抱きしめてくれる手のひら。
―――私の全てを包み込んでくれる…てのひら……。
「私は独りじゃない」
「うん、お兄さん。僕がいるよ」
「…独りじゃないんだな…アーサー……」
「僕があなたを、抱きしめるから。ずっと抱きしめるから。だから」

「だからあなたは、ひとりじゃない」

あなたの淋しさを、あなたの孤独を。
僕が全てを抱きしめるから。だから。
だからあなたは、ひとりじゃない。

「…そうだな…アーサー……」

そうぽそりと呟いたあなたの瞳は。
…優しく微笑っていた……