ひとを、好きになるたびに。
お前を好きになるたびに。罪悪感が増えてゆく。
小さな嘘と、小さな罪が降り積もって。
そして私のこころを埋めてゆく。
この両手で抱え切れなくなったなら。
私は何時しかこの罪に押しつぶされてしまうのだろうか?
どうして何時も…お前は微笑っているの?
「お兄さん、好き」
何度も、聞いた言葉。何回も何十回も囁かれた言葉。その言葉は何時も私の心にそっと降り積もって、そしてゆっくりと全身を埋めていった。
「大好きだよ、お兄さん」
唇が降りてきてそっと、塞がれる。生暖かい唇の感触。その感覚を何時しか私は無意識の内に覚えてしまった。そして。そして、まるで空気のようにこの行為が、自分に馴染んでゆくのを感じる。
「…アーサー……」
触れるだけの口付けが物足りなく感じるようになったのは、何時からだっただろうか?私は無意識に媚びるように、お前の名前を呼んでいた。自覚のない内に、そう。
「うん、お兄さん。幾らでも。幾らでもキスしてあげる」
そのストレートな物言いについ視線を反らすと、お前は私の頬にそっと手を充てて。
「綺麗な顔、もっと見せてよ」
と微笑いながら、言った。
何時からだろう?こんなに傍にいたいと想ったのは。
こんなにお前の近くにいたいと想ったのは。
傍にいて欲しいと想ったのは。
こんなに女々しい自分は今まで知らなかった。
自分は勇者として、フォルセティの後継者として、そして。
そしてシレジアの王として強く生きて行かねばならなかったから。
だから誰かに頼る事。誰かが傍にいてくれる事。誰かに縋る事。
そんな事を許されない立場だったから。ただ。ただ強く生きてゆかねばならなかったから。
…だからこんな弱い私は…知りたくなかった……。
あなたの秘密を暴いてみたかった。
何時も前線で、弱い人々を救って。何時も動じる事なく真っ直ぐに生きているあなたの。
あなたの弱さを、見てみたかった。暴いてみたかった。
綺麗な、ひと。正しい事だけを信じて。正しい道だけを歩んで。
決して穢れる事のない道。綺麗な道。あなたの歩むであろう王道の道。
その道を穢して、そして汚して。そして『伝説』ではない『生身』のあなたを見たかった。
あなたの喉に噛みついて、そして跡を付ける。
「…んっ……」
ぴくりと揺れる肩を押さえ込むように、その喉元に噛みついた。そこから微かに紅い染みが広がる。
「…痛いっ…アーサー……」
恨みがましく見上げる瞳が、どうしようもない程に愛しい。こんな風に見せる些細な人間らしさが、俺にとって何よりもかけがえのないものだから。俺が見たかったあなたの『人間』らしさ。
「これはあなたが俺のモノだって言う証拠」
嬉しくて笑いながら言うと、またあなたは恨めしそうに見上げて来た。その潤んだ瞳で。夜に濡れ始めた、その瞳で。
「…バカ…何言って…」
その先の言葉は、俺の口の中に閉じ込めた。あなたの言いたかった言葉は俺の中だけの、俺だけの秘密になる。
「だってあなたは皆のものなんだもん。皆の『勇者様』だから」
きらきらと眩しい光の中で、誰にでも平等な笑顔を与えるあなた。誰にでも優しいあなた。だから、だから。その笑顔を優しさを独りいじめしたいと何時も想っている。
「…そんな事…ない…」
「それでもあなたは、皆のモノなんだ」
それは俺の、俺の子供じみた我が侭。
誰かのモノになれたのならば。
自分の背負うものを全て捨てられたのならば。そうしたら。
そうしたら楽になれるのだろうか?
『勇者様』も『シレジアの王』もその全てを捨てられたなら。
私に縋る瞳。私に助けを求める瞳。私に希望を見出す瞳。
何時しかその瞳が怖くなる。私はそんなに立派な人間じゃない。
私はそんなに出来た人間ではない。
私は今こうして堕ちている。許されない恋に身を堕として、そして。
そして罪に濡れている。罪に、溺れている。
…お前の腕の中に…溺れている……
「…ああっ……」
胸の果実を口に含まれて、堪え切れずに甘い吐息を零した。自分ではないようなその声に、身体の奥から羞恥心が湧き上がってくる。
「…はぁ…あんっ…」
「お兄さん、可愛い」
「…あぁ……」
口に含みながらわざとお前は言葉を綴る。その度に敏感な箇所に歯が当たって、ぴくりぴくりと身体が跳ねるのを抑え切れなかった。
「もっと乱れてよ」
胸から唇が離れたと思ったら、今度は耳たぶを噛まれた。そしてそっと囁かれる。
「…やだ…あっ…」
その言葉が恥かしくていやいやと首を振ると、それを宥めるように身体中を指が滑った。自分の敏感な箇所を知り尽くした指。それが的確に身体中を駆け巡る。
「…あ…あぁ……」
指の後に追いかけるように滑る舌の感触が、滑らかなその感触が意識を次第に拡散させてゆく。無意識に私はその広い背中に腕を廻していた。
「もっと縋って、お兄さん。もっと俺に縋ってよ」
「…ああっ!」
しなやかな指先が自分自身に触れる。そこは先ほどの愛撫のせいで、微妙に形を変化させていた。
「…あぁ…あ…」
「もっと俺に、抱きついて」
必死で意識を繋ぎとめようと、背中に廻した腕に力を込めた。お前の言うように。
お前の言葉通りに、私は。私は、縋った。
…お前の背中に…縋った……
綺麗な、道。真っ直ぐな、視線。
あなたの未来。綺麗な未来。真っ直ぐな未来。
あなたの進む道は綺麗でなくてはいけない。あなたの進む道は穢れてはいけない。
誰もが望む、勇者。誰もが望む王。あなたはそれにならなければならない。
けれども、俺は知っている。
あなたが完璧であらねばと思う程に、壊れてゆくのを。
完璧なあなたの心がそっと崩れてゆくのを。
無数のひび割れが出来て、こころの破片が零れてゆく。
俺はそれを全部、この手で拾いたいから。
背中に立てられた爪が、皮膚に食い込んだ。その痛みに、ひどく幸福感を覚える。
「ああっ!!」
一気に貫くと、形良い眉が苦痛で歪む。それを宥めるように、額に口付けた。
「…あぁ…痛っ……」
何度身体を重ねても、あなたは初めてのように反応する。だから何度も、口付けをした。
「…愛してるよ…お兄さん……」
「…ああ…アーサー……」
背中の爪が白くなる程に。そこから血が零れるほどに。あなたは俺にしがみつく。その強さが、何よりも嬉しいから。
「愛してるよ、お兄さん。俺だけに見せて。俺だけに」
俺の前だけで乱れて。俺の前でだけで壊れて。俺の前でだけで、曝け出して。
「…あぁ…あっ……」
俺の囁く言葉はもう耳には届かないだろう。それでもいい。それでも構わない。構わないから。
ただあなたが『あなた』になってくれるのならば。あなたが自分の心のままに、自分の本能のままに声を上げてくれるのならば。
「…愛している……」
言葉なんて、ただの手段でしかないけれども。身体を重ねる事も、ただの行為でしかないけれども。それでも。それでも人間が出来る事がこれしかないのなら。
俺は何度でもあなたに伝える。俺は何度でもあなたを抱く。愛していると、囁いて。ひとりじゃないと、抱きしめる。
あなたが、壊れてしまわないようにと。
綺麗じゃなくてもいい。
真っ直ぐでなくてもいい。
どんな道だとしても、どんな罪だとしても。
あなたがそれで傷つくのなら。
俺が全てで、あなたを護るから。
それでもまだ、あなたは俺に『真実』を見せてはくれないの?
目覚めた瞬間に飛び込んできたのは、ひどく優しい瞳だった。
「おはよう、お兄さん」
何時もと変わらない笑顔でお前は私に告げる。柔らかく微笑いながら。真っ直ぐな視線を私に向ける。
「…おはよう……」
この笑顔を見るたびに何時もこころに罪の意識が広がる。この笑顔を手放したくないと…そう思うたびに。
私はフォルセティの後継者。シレジアの王。そのうちに誰かと結婚をし、子を儲けなければならない。そして私は民衆の望む『王』にならなければならない。それでも。
それでも私は…お前を失いたくない。お前の傍にいたい。お前と…歩んでいたい…。
私はきっと取返しの付かない罪を犯しているのかもしれない。
「どうしたの?」
「いや…なんでもない…」
何時まで、一緒にいられるとか。何時まで、こうして肌を重ねられるとか。何時まで、傍にいてくれるとか。こうして抱かれてお前の腕の中から目覚める度に、何時も。何時もそんな事を考えてしまう。
その腕の中が暖かいほど。その腕の中が優しいほど。私は何時も、終わりを考えてしまう。
「俺の顔に見惚れた?」
そんな不安を打ち消すようにお前は笑って、そして私の唇を奪う。それが、それがお前の無意識の優しさなのだろうか?
「お兄さんの唇、冷たいね」
「アーサー?」
「さっきまで抱いていたのに、俺の温もりは伝わらないのかな?」
「何バカな事言ってる…」
「俺の体温、分け合えないかな?」
全てを分け合えたなら。喜びも哀しみも全て。全て分け合えた、なら?
少しは、私は楽になれるのだろうか?
どうしたら、あなたにこのこころを見せられる?
こんなに傍にいるのに。こんなに想っているのに。
あなたが不安に想うこと全てを、俺は否定出来るのに。
…全てを否定…出来るのに……
「お兄さん」
冷たくなった唇を暖めるように口付けた。冷たくなった指先を暖めるように包み込んだ。こんなにもそばにいるのに。こんなにも近くにいるのに。それでもあなたは怯えるの?
「…アーサー……」
「好きだよ、お兄さん。ずっとずっと大好きだから。だから」
「俺に全部、全部あなたの『真実』を見せて」
真実?真実って何?この醜いこころ?壊れたこころ?
罪の意識にさいなまれながらも、お前を離せない自分のこころ?
民の為に立派な勇者に王にならねばと思いながらも、それを全て投げ出したいと思っている自分のこころ?
自分の弱い、こころ。自分の壊れた、こころ。
その全てをお前の前に曝け出すと言う事?
「俺の前でだけは、ムリしないで」
手を伸ばそうとして、その指先が宙に止まった。
お前の頬に触れようとして、そして。そして視界が滲んだ。
滲んでお前の顔が、歪んで見えた。
「…アーサー……」
声に出してみて、その名前を呼んでみて初めて気が付いた。自分が泣いている事に。
その声の先が滲んでいる事に。
今初めて、自分が泣いている事を、知った。
「泣いてもいいよ。いっぱい泣いて。あなたは今まで泣けない立場だったのだから」
声を上げて、子供のように。子供みたいに。
あなたはずっと泣くことが出来なかったのだから。
全ての民の期待と、希望を背負って。
その期待に答えなければならないと。その希望に背いてはならないと。
ずっと必死で生きてきたのだから。だから。
「…アーサー…私は…私は…」
零れ落ちる涙を止める事は出来なかった。
何時しか私は自分を忘れ声を上げて泣いていた。
その胸に顔を埋めて、子供のように。子供みたいに。
…声を上げて…泣いた……
涙の破片。
あなたから零れ落ちるその破片を。
この指先で、この舌で。
全て、全て掬うから。だから。
だからあなたは思いっきり泣いて。
俺が全部、あなたを拾うから。
「目が真っ赤だ。うさぎみたいだよ、お兄さん」
バカみたいな冗談を言って、あなたの瞳を見つめる。あなたに笑って欲しかったから。
「…誰のせいだと…思っている?……」
少しだけ拗ねたように見上げるあなたがどうしようもなく可愛くて、睫毛の先にひとつ、キスをした。
そんな俺にあなたは少しだけ戸惑って、そして。そしてひとつ、微笑った。
とても綺麗な、笑顔で。