――――貴方に手が届くように…と……
手を、伸ばした。
指を絡めたくて、必死に。
必死に貴方へと手を伸ばした。
どんな時でも貴方の手のぬくもりがあれば、私は怖くなかったから。
還りたい場所が在った。
ただひとつ、だけ。ひとつだけ還りたい場所が。
故郷も何ももう。もう全てを捨てたと思っていた俺の。
俺のただ一つの、場所。たったひとつの、場所。
それはお前と初めて出逢った、あの蒼い空。
それはただひとつの、祈り。
血の雨が降ってきた。炎の雨が降ってきた。紅い髪をした男が何かを叫ぶたびに、熱い炎の雨が降り注いでくる。それから逃れようと、それから必死に抵抗しようと。剣を振り上げ切り付けても。何時しか火は腕を焼き、身体を焼き、肉を焼いてゆく。
ひどく焦げ臭い匂いと、脳天を貫く痛みが全身を襲う。それを必死で耐えながら、俺はただ独りの存在を探し続けた。
―――その漆黒の長い髪をただ…探し続けた……
死ぬのは怖いとは思わなかった。
何時も死とは背中合わせに生きてきたから。
生きたいと思った事すらなかった。
ただ日々を過ごすことに精一杯で『生きる』と言う意味すら。
意味すら忘却の彼方へと置き去りにされていたから。
だから、死と言うものはひどく身近で。そして遠い場所に存在した。
生きていると言う意識がなかったから、死は怖いものではなかった。
生きたいと思う事すらなかったから、死はひどく非現実的なものでしかなかった。
でも、今は。今はこんなにも『死』を、リアルに感じている。
『――ホリン…私は貴方に出逢って初めて気が付いた』
アイラ、俺もだ。俺もだよ。
お前を愛して初めて気が付いた。
気が付く事が出来た。
『生きる』と言う事を。その意味を。
お前と言う存在が初めてその事に気付かせてくれた。
『貴方を愛して、初めて気が付く事が出来た』
ずっと残像に残っていた少女。
けれどもそれは時を過ぎるほどにおぼろげになって。
生きる事すら考えられなくなった俺に。
そんな俺に残像は次第に霞んでいった。
戦う事で自らを傷つける事で、ただ堕ちるだけの俺に。
ただその唯一の光だけが、生きている理由になっていた。
『生まれて来て、よかったと』
ああ、アイラ…俺もだ…俺もだ……
お前を抱いて、お前を腕に抱いて、俺は。
俺は初めて本気で思った。
生まれて来て良かった、と。
自らの命を感謝した。
ありがとうと、思った。
意識が遠ざかる。視界が紅く見えるのは、目に血が入っているだけじゃないだろう。その中で私は。私はただ。ただ金色の髪を探し続けた。
―――ホリン……
最期の最期になっても私は貴方を探し続ける。こんな時になっても私はただ貴方を探し続ける。未来よりも、平和よりも、仲間達よりも、先に。何よりも私は貴方を求め続ける。
ただ独り、貴方を探し続ける。色々な事が駆け巡り、様々な思いと理想が交差して。それでも私は。私はその全てを忘れて、貴方を想った。
…今はもう何も考えられない…何も考えられないから…貴方の手を……
許されなくてもいい。
イザークの王女としての誇りも。
剣士としてのプライドも。
何ももういらない。何も私はいらないから。
お願いです神様、もう一度。
もう一度、あのひとに逢わせてください。
火の海。炎の海。一面の紅。
その中で私は貴方を探し続けた。
―――それはただひとつの、祈り。
「アイラっ!!!!」
片手が焼け焦げて、爛れ落ちていた。
片目は血で溢れて顔半分が焼けていた。
けれどもそれでもその金色の髪だけは鮮やかに。
鮮やかに私の瞳に飛び込んできた。
「―――ホリンっ!!!!」
手を、伸ばした。
一生懸命に、必死に。
私は貴方に手を伸ばした。
怖くないから。貴方の手のぬくもりがあれば私は何も怖くはないから。
ふたりを遮る火柱。激しく燃えるその火の先に貴方がいたから。
貴方がいたから、迷わず私はその中へと飛び込んだ。
もえる、ひ。もえる、からだ。
やけたにくの、におい。
きがくるう、いたみ。
でもへいき。へいきなの。
だっていま、ふたりのゆびがからまったから。
…イザークの空が…見たかったな……
それがさいごの、ことば。
あなたの、ことば。
うん、ホリン…そうだね…
イザークのそら…ふたりで…ううん…こどもたちよにんで…みたかったね……
それは、祈り。
ただひとつの祈りだった。
特別な想いでも何でもなく。
ただひとつのふたりの祈り。
―――しあわせに、なりたい…と………