貴方の、手。傷だらけの、手。
大きくて節くれだって、そして厚い手。
その手が、全てを包みこみ。その手が、全てを護る。
言葉にしなくても。言葉にならなくても。
その手がそっと。そっと私に触れた瞬間。
全てのものがそっと。そっとこうして、伝わるから。
―――金色の髪が、ふわりと風に舞って…
触れてみたいと思って、けれども手は途中で止まった。触れる前に貴方の大きな手が私の髪にそっと触れた、から。その大きくて、そして。そして何よりも優しい手が。
「…アイラ…」
低く耳に響く声。貴方の、声。大好きで。とても、大好きで。ずっと聴いていたいと思った。ずっと、貴方の声を。
「貴方の、手」
髪に掛かる貴方の手に、そっと私は指を絡めた。この手が人を殺し、この手が人を護る。それは剣士である以上避けられない宿命だった。私にも、貴方にも。それでも。それでも貴方の手のぬくもりは、痛い程に優しい。切ないほどに、暖かい。
「優しい手」
そっと頬に寄せて目を閉じた。このぬくもりが私にとってただひとつの癒しだった。
強くならねばと、そして護らねばと。ただそれだけの為に生きた日々。でもこの手だけが気付いてくれた。この手だけが私に場所を与えた。私が女でそして、そして心の弱さを持っても許してくれる場所だと。ただひとつの場所だと。
「アイラ、全部お前だけのものだ」
「…ホリン…」
優しい、声。そっと耳に降り積もる貴方の声。こんなにも貴方の声が優しいなんて…どれだけの人が気付いているのだろう?無口な貴方だから、きっと。きっと気付く人間は少ないでしょうね。でも。でも私だけは。私だけは、絶対に貴方の降り積もる優しさを逃しはしないから。
「俺はお前の為だけに存在している。だから全ての俺は…お前だけのものだ」
私はシャナンの為だけに生きていた。その為だけに存在していた。そんな私を必要だと、それ以外の生き方を教えてくれた人。ただ独りの人。
貴方だけが、教えてくれた。私が『私自身』として、生きる意味を。
「――私がシャナンの為に生きていても…貴方はそう言ってくれるのね」
「当たり前だ。俺は」
「俺はお前のそんな所も全て…愛しているのだから……」
お前の細い肩が背負う運命はあまりにも過酷で、あまりにも重たい。
お前の細い身体では支えきれないほどの、運命。それでも。それでも、お前は。
懸命に前を見て、そして生きようとする。前だけを見つめ、そして。
―――そして自らの運命に立ち向かおうとする。
俺はお前を、護りたい。お前を、護りたい。
お前がその運命に押し潰されないように。
前だけを見て歩けるように。前だけを見つめられるように。
お前が後ろを振り返らなくてもいいように。
俺が。俺がその背中を、護ってやりたい。
―――お前が、壊れてしまわないように。
「…ホリン……」
そっと抱きしめた。初めはぴくりと震えた身体も、今は。今はそっと俺に身体を預けてくれる。そんな所が、何よりも愛しい。
「貴方がいてくれるから、私は何処までも強くなれる」
強い女。独りでも生きてゆける女。戦いの女神。お前につけられた形容詞はどれもこれも俺にとっては。俺にとっては切ないものだから。
「…貴方がいてくれるから……」
本当は誰よりも壊れそうな心を持っているお前を。強がって、必死になって弱さを隠しているお前を。そんなお前を俺は愛している。誰よりも、愛している。
「…アイラ…俺の前では強がらなくていい……」
そっと頬を包みこみ、その顔を自らへと向けた。漆黒の大きな瞳が俺を見上げる。見上げて、そして。そして俺を一途に貫く瞳。綺麗だと、思った。何よりも綺麗だと。
「俺の前でだけは」
その瞳を瞼の裏に閉じこめて、そっと。そっとその唇に口付けた。全ての想いと、誓いを込めて。――――愛している、と。
貴方の手が、好き。貴方の背中が、好き。
貴方の腕が、好き。貴方の瞳が、好き。
貴方の名前の付くものならば、全てが好き。
弱い私をずっと。ずっと必死になって隠してきた。
護るべきものが、立ち向かう運命が私にはあったから。
後ろを振り返ることもなく、自分自身を試みる事もなく。
ただ。ただひたすらに、前だけを。
だから、気付かなかった。だから、分からなかった。
強がり続けそして前だけを見つめ続けた私の。
私の心の微妙なバランスが崩れてゆくのを。
少しずつ壊れてゆく心を、気付かずにいた。
――――貴方がその手をそっと、差し伸べてくれるまでは……。
「強がらない、貴方にだけは私は」
「―――アイラ……」
「私はいっぱい甘えるから」
「…ああ、構わない……」
「好きなだけ、甘えろ」
貴方の言葉に私はぎゅっと。ぎゅっと貴方に抱きついた。
腕の中に閉じ込められれば微かに薫る涼しげな貴方の匂い。
私だけが知っている、貴方の匂い。この薫りをにずっと。
ずっと私は包まれていたいから。
ずっと貴方にだけ、包まれていたいから。
「―――この手は、お前だけのものだから」