目を閉じた世界



――――こうして目を閉じた世界が、私にとっての全てだったならば。


聴こえてくるのは、悲鳴。聴こえてくるのは、叫び。目を閉じて耳を塞いで、誰にも気付かれないように小さく。小さく身体を、丸めても。それでも聴こえてくる、悲鳴と叫びが。
「…大丈夫…大丈夫…きっと…きっと…助けてくれる……」
小さな私は何時も呟いていた。そうやって誰にも聴こえないような声で、呟いて。呟いて、全てが。全てが終わるのを、待っているしか出来なかった。それしか、出来なかった。


何時か光ある未来を、信じて。何時か、暖かい日が来る事を、信じて。


ずっと見ている事しか出来なかった。ずっと目の前に起こりゆく現実を私はこの瞳で見てゆく事しか出来なかった。本当はずっと。ずっと目を閉じていたかったけれども。けれどもそうする事は、私には許されなかった。『生きて』いる私には許されない事だった。
「―――こんな犠牲の上で…私達は生きているんだね…それを忘れては駄目なんだ……」
ぼそりと呟いたセリス様の横顔を見上げながら、私は何も言えなかった。こうやって目の前に転がっている死体とこうして生きている私達の違いは何なのだろうかと。何だろうと、考えて。考えても答えなど簡単に出るはずはなくて。ただ。
「…はい…私絶対に…絶対に忘れません……」
ただ、この人達の犠牲によって私は生かされているんだろうと。生きているんだろうと、思う事しか出来なかった。


あの時よりも大きくなって、そして気付いた事がある。セリス様は選ばれた人。そして私達は…聖戦士の血を引く者達。だから優先されるのだと。だから死んではいけないのだと。だからこうやって。こうやって、生かされるのだと。皆が私達を護るのだと。私達は、護られているのだと。
「お母様、私は僧侶になります。全ての人を癒せる僧侶に」
スカサハやラクチェやデルムッドは剣を取り、兄さんは弓を選んだ。戦う道を選んだ。自らの力で未来を切り開く道を選んだ。けれども私は。私、は。
「…私は…後ろを振り返りたいんです……」
セリス様を、私達を、護るために死にゆく人達。死んでゆく人達。そんな人達を私は見てゆく。ずっと、見てゆく。皆が前に進むなら、私は後を振り返る。振り返って、そして。そして少しでも。少しでもその命を救う事が出来たならば。
「ラナ、貴方がそう決めたならば…そうしなさい。それが貴方が選ぶ未来ならば」
「…はい…お母様……」
たくさんの血。たくさんの屍。たくさんの悲鳴、たくさんの叫び。それはとても怖くて、それはとても恐ろしくて。けれどもちゃんと見なければいけない。ちゃんと、この瞳に刻まなければいけない。これから先も生きてゆく私は。生かされている、私は。ちゃんと目の前の現実を、見ていかなければならない。


それが生きてゆく事で、私が。私が見つける事が出来た、私に出来る事だった。


強くなろう。強く、なろう。どんな時でもどんな瞬間でも。私は前をちゃんと見られるように。私はちゃんと後ろを振り返られるように。こうして自分が進んできた道にどれだけの犠牲が積み重なっていくのか、ちゃんと。ちゃんと受け止められるように。ちゃんと、見逃さないように。この瞳で見て、そして逃げ出さないように。私は頑張るから。だから。だからどうか、どうか私を生かしてくれた人達が哀しまないような生き方を、私にさせてください。



ずっと見てきた。どんな時でも、どんな瞬間でも。怖くても、恐ろしくても、目を開いて。きちんと目を開けて、現実を見つめてきた。前線で戦う皆を見つめながら、背後に積み重なれる屍を、両方を見てきた。そうして私という小さな身体の中でこの『戦争』が少しでも、刻まれたならば。刻まれたなら、私は。私は少しでも生きてきた意味があるだろうか?私という存在に、意味を見出せるだろうか?
「お前…華奢な身体して、大した奴だな。怖くないのか?」
私は誰かの為に、何か出来ているのだろうか?死んだ人達が生きてと願った程に、何かをしてあげられているのだろうか?
「怖くないと言えばウソになるわ。でも、捕われた子供達の事を思うとじっとしていられないもの」
私を見つめる真っ直ぐな瞳。綺麗な蒼い瞳。初めて貴方を見た時、こんなに綺麗な蒼を私は今まで知らなかった。セリス様の蒼い瞳とも違う、兄さんの蒼い髪とも違う、まるで生まれたての子供のような純粋な瞳。
皆と同じように血で手を染めているのに不思議と貴方の瞳は綺麗なままだった。こうしてともに戦ってきてもずっと。ずっと変わらなかった。それは。
「ふーん、子供が好きなのか」
「うん、大好きよ。ファバルは親を失った子供達を育てていたのだってね、立派な事だと思うわ」
それはどんなに強がっても、どんなに突っぱねても、変えられないものだった。変わらないもの、だった。それは貴方が誰よりも優しい人だから。誰よりも純粋な人だから。
「そんなんじゃないよ…パティに言われて仕方なくさ。別に子供が好きなわけじゃない」
「ふふっ、ウソばっかり。私見たのよ。貴方が解放軍に参加して国を出る時、小さい子供達は皆、縋り付いて泣いていたわ。子供達は貴方を父親のように思っていた」
だから貴方の存在は子供達にとって必要なものだった。貴方にはこうして生きている意味がある。子供達にとっての希望。そして。そして私にも。
「よ、よせよ、俺はただ…俺はもう行くぜ…」
「ふふっ、ファバルったら…」
何時しか貴方が。貴方が私にとって何よりも大切な人になっていた。貴方が希望に、なっていた。


――――私は少しでも、強くなれましたか?私は貴方達の望む未来を作る手助けが出来ますか?



今日も無数の屍が大地に転がる。沢山の犠牲に成り立つ私達の『生』。それでも私達は生きて、そして未来を作らなければいけない。彼らが命を掛けて、それでも願った未来を。
「…ラ、ラナ…さっきはごめん…」
全ての屍に祈りを捧げた。それが私に出来る精一杯の事だから。救えなかった命はせめて。せめて暖かな場所へといけるようにと。
「ファバル、どうして謝るの?」
優しい人。とても、優しい人。そして不器用な人。皆戦いで疲れている筈なのに。それなのに貴方は来てくれる。こうやって私を捜しに来てくれる。
「いや、俺から話し掛けたのに…逃げちゃって……」
「ううん、気にしてないわ。それよりも私を捜しに来てくれたのでしょう?…ありがとう…」
「いや俺はただ…その……」
「ありがとう、ファバル」
私の言葉に貴方は照れくさそうに視線を外して。外して、そしてぼそりと一言言った。小さな声で、言った。


――――お前が…心配、だったから……と。



何時も何処かで思っていた事だった。ずっと、思っていた事だった。
「…お前は…偉いよな…こうやって、死んだ奴にまで祈りを捧げて」
私は生きていってもいいのかと。私は誰かの役に立てているのだろうかと。
「俺等…つーか俺なんて、ただ戦う事しか出来ないから…だからそこまで気が廻らないし」
死んでゆく人達にとって私は生きるだけの価値のある人間なのかと。
「お前がいるから、きっと。きっと死んでいった奴も、浮かばれるって思う」
ずっと、思っていた。誰にも言えなずにずっと。ずっと悩んでいたから。


「――――お前みたいな奴ばかりだったら、きっと世界は優しいものだっただろうな」



「…ファバル……」
「わ、泣、泣くな…って俺何か言ったか?」
「…ううん、違…違うの…私……」


「…私…嬉しくて…ごめんね…ありがとう…私……」



どうしていいのか分からず困ったような顔をして。そしてそっと。そっと私の髪を撫でてくれて。撫でてくれて、貴方は私を抱きしめてくれた。不器用な腕で、私を抱きしめてくれた。
それはとても。とても暖かくて。とても優しいものだった。
まるで貴方自身の心のように、不器用で、暖かくて…そして何よりも優しいものだった。



本当は、ずっと。ずっと私は。私は誰かにそう言ってもらいたかった。
誰かに私はちゃんと生きていていいんだと。ちゃんとやっているんだって。




そして。そして私は目を閉じた世界にさよならを告げる。
貴方が生きている今を、自分が生きているこの場所を、きちんと見つめてゆくために。