FLAME



――――恋を、した。あの日、あなたに、恋をした。ただひとつの恋を、した。


伸ばした指先にそっと触れる。そこから伝わるぬくもりがただ。ただ、優しくて。優しすぎて泣きたくなった。
「…このまま…今はこのままで…何もしなくていいから…だから……」
重ねた手のひらを頬にあてる。大きくて不器用なその手のひらが、答える代りにそっと頬を撫でてくれた。まるで壊れものを扱うように、そっと優しく。
「…だから…こうしていて…ください……」
何も怖くないと、思った。この手があれば何も怖くないと。何も、怖くはない。この手のひらがこうして不器用に優しく、触れていてくれれば。もう、なにも、怖くはない。


聴こえたのは、その声。私の名を呼ぶ、あなたの声。せいいっぱいに叫ぶあなたの声。


運命に負けそうになって。全てを思い出したその瞬間に、ぷつりと心の糸が切れそうになって。けれども、そんな時に思い出したものがある。願ったものがある。それがこの手のひらのぬくもりだったから。
「―――ユリア……」
不思議なくらいに伝わってくる。ただ名前を呼ばれるだけなのに、こんなにも優しくて暖かいものが。不器用なあなたの手のひらから、戸惑いながら呼ぶ声から。
「…こうしていください…スカサハ……」
睫毛を閉じて、あなたの存在だけを感じる。それが全ての答えだった。迷いながら、傷つきながら、それでも最期に願ったものが、答えだから。
「…あなたに…こうしていて…欲しいのです……」
そうだ、ただひとつの答え。ただひとつの、答え。――――あなたが、すきという事。


『―――君がユリアだね。よろしく、俺はスカサハ。セリス様から君を護るようにって言われたんだ。あ、セリス様程頼りないかもしれないけど、俺精一杯君を護るから。だからその…』
その先を聴いてみたくて、けれども聴けなくて。私はただ曖昧に微笑む事しか出来なかった。こんな時どんな顔をすればいいのか分からなくて。けれどもあなたは微笑ってくれた。無邪気な笑顔で微笑ってくれて――――よかった、とそう言ってくれた。
『…よろしく…お願いします…スカサハ……』
この軍に来てセリス様以外初めて言葉を交わした人だった。セリス様以外のひと。正直怖かった。記憶をなくしてレヴィン様にこの軍に連れられて、優しそうな人たちに囲まれたのに…どうしてか、セリス様以外の人が怖かった。けれども、今は。今、この瞬間から。
『こちらこそよろしく、ユリア…えっと、これから仲良くしよう』
全ての人が怖くなくなった。不思議と怖いとは思わなくなった。あなたの瞳を見上げたその瞬間から。


―――――俺がっ、俺がユリアを護るから…だから…っ……目を…っ目を醒ましてくれっ!!!


心の何処かできっと気付いていた。けれどもそれを必死になって否定した。そうする事で少しずつ心が歪んで、壊れそうになっていた。けれどもそんな私を呼び戻す声が、差し出される腕があったから。
「…ユリア…その…向こうにセリス様がいるから…一緒に―――」
初めて見た時の不思議な安心感とひどく惹かれる想いを、恋だと勘違いしていた事に気付かずに、感じ始めた違和感に怯えた。セリス様に対する想いと、あなたに対する芽生え始めた感情に。私はセリス様が好きなのだとそう思っていた筈なのに。それなのに。
「…セリス様じゃ…ないんです……」
それなのに私は気付けばあなたを捜していた。そばにいない瞬間不安になった。あれほどセリス様に出逢った時に感じた想いをかき消してしまう程に。あなたばかりをこの瞳は捜していた。
「…私がそばにいてほしいのは…私は…あなたに……」
そう、私は恋をした。あなたに出逢って恋をした。生まれて初めて私は恋をした。あなたの背中を追いかけたその時から、あなたの姿を捜したその瞬間から。
「…あなたに…そばに…いてほしいです…スカサハ……」
好きです。あなたが、好きです。あなたが、大好きです。不器用で、優しいあなたが泣きたいくらいに大好きです。だから、こうしていてください。今だけでいいから、こうしていてください。
「―――ああ、ユリア。君が望むなら俺は…俺はずっと…ずっとこうしているよ…だから」



「…だから泣かないでくれ…ユリア……」



君がセリス様に惹かれていたのは分かっていた。だって俺が一番君のそばにいて、君を見てきたから。けれどもそれでいいと思った。君がセリス様を好きなのならば、それで構わないと。俺はただ。ただ一番君のそばで、護る事が出来ればと。―――なのに俺は君を護れなかった。ただひとつ俺が君にしてあげられる事が…出来なかった。
「…ごめんなさい…スカサハ…私…でも……」
君を捜す事すら出来ずに、こんな風に洗脳され敵として現れる事になって…そしてそんな君を救ったのはセリス様の声だけで。結局俺は…俺は何も出来なくて。
「…でも…あなたが…そばにいてくれるから…私…私……」
「…ユリア…ごめん…謝らないでくれ…俺は君を護れなかったのに…君をこんな目にあわせてしまったのに……」
「違うっ、スカサハ…私は…っ!」
見上げてくる瞳が俺を映しだす。濡れた瞳が真っ直ぐに。それは少しだけ俯いていた何時もの君とはまるで別人だった。そう、まるで初めて強い意志を持ったような…
「…私は…ずっとあなたを捜していました…セリス様の呼ぶ声よりも…捜していたのは…あなたです……」
「―――ユリア……」
「…好きです…私は…スカサハ…あなたが…好きです……」
強い意志を称えた瞳は、俺が知っている君とは違っていた。けれどもそれもまた『ユリア』だった。そうだ、俺は君の何を見ていたのか。君は俯いて護られるだけの少女じゃない。本当はもっと。もっと強くて、もっと真っ直ぐで。そして、俺は。
「…俺も…好きだ…ユリア…君が…君だけが……」
俺はそんな君が好きだ。本当は誰よりも強くて、真っ直ぐな君が。君が誰よりも好きだ。


あの日恋をした。それはどちらかだったのだろうか?どちらから先に好きになったのだろうか?あの日、恋をしたのは。


どちらかともなく重なり合う睫毛が。
「…好きだ…ユリア……」
そっと触れ合う唇が。繋がる手のひらが。
「…君が…好きだ……」
あの日恋をした、その答えを教えてくれる。


――――どちらかともなく惹かれあい、そして恋をしたその瞬間を。