目には見えなくても、そこには確かに存在するもの。
言葉にはならなくても、確かに零れてゆくもの。
―――それをふたりが見つけた、瞬間……
貴方の優しさが、何よりも好きです。
不器用で、けれどもとても暖かい。
目に映る事はないけれども。言葉になる事はないけれども。
それでもそっと、伝わるの。そっと、そっと。
この指先から伝わるものが、何よりも大切。
目を開いた瞬間に飛び込んできたのは、その広い背中だった。私の身体は切り裂かれる事は無く、血に染まる事も無く。ただ。ただぽたりと飛び散った血の暖かさだけが、感覚の全てになった。
「―――ス…カっ……」
「うああああっ!!」
名前を最期まで呼ぶ前に、その腕の中に閉じ込められ、私の身体はその背中と腕によって護られた。敵の断末魔の声から私を庇うように。私の全てを、包み込むように。
ドサリと音がした。重たい音、だった。それを確認する前にぎゅっと一瞬だけ抱きしめられて、そっと。そっと、腕が離れていった。
大丈夫?と、声にする前に貴方は私を見つめた。
声にする前に、声になる前にひどく心配した表情で。
私に死体を見せないように前に立って、そして。
そして顔に付いた血を手で拭って、貴方は。
―――貴方はそっと手を、差し出した。
きっと言葉にする前に、先に指先から零れてきたのでしょう。優しさが、気持ちがそっと伝わってきたから。そっと、そっと。
「…ありがとう…スカサハ……」
初めて今手を繋いだ。初めて指を、絡めた。暖かい、手。大きな、手。そして傷だらけの手。そんな貴方の手が、私は何よりも大切です。
「君が無事なら俺は…その……」
上手く言葉に出来なくて、ひどく不器用で。でも何よりも優しい人。誰よりも優しい人。私はそんな貴方の優しさが…好き……。
「ユリア…その俺は……」
「…好き……」
「…貴方が…好き……」
見つめて、見つめあって。
そして真っ直ぐに。真っ直ぐに貴方に告げた。
何時も俯く事しか出来なかった自分。
何時も下を向いていた自分。
でも貴方の前でなら。貴方の前でなら、私は。
大事な、手だから。
大切な手のひらだから。
傷ついて、いっぱい傷ついて。
それでも全てを癒す貴方の手。
―――大切な貴方の、手のひら……
「…好きです…スカサハ……貴方がいたから私は……」
俯いていた。何時も俯いていた。何も分からず、何も憶えていない。そこにあるのは真っ白な孤独。何もない孤独。ただ独りで。たった独りで、そこに置き去りにされていた自分。
「…淋しく…なくなったの……」
セリス様は優しかったけれども、誰よりも遠かった。皆から愛され、大切にされて。そして何よりも光の中にいた人。何時も振り返り私を見つめていたくれたけれど。でも、やっぱり私には遠い人だった。追いつく事の出来ない人だった。
「……独りじゃないって………」
そんな私のそばに貴方はずっといてくれた。言葉にするわけじゃない。何かを告げる訳じゃない。でも。でもずっとそばにいてくれたから。
―――言葉にしなくても、伝わるのは。伝わるのはただひとつ貴方の優しさ。
ひとつだけ欲しいものがありました。
何もない私だったから。何も持っていなかった私だから。
ただ、ひとつだけ。たったひとつだけ。
―――私は欲しいものがありました……
「…好き…貴方が……」
ずっと俯いていたのは、涙を堪える為。
「……大好き………」
見上げてしまったら淋しさに気付いてしまうから。
「…スカサハ……」
私は独りだと気付いて、しまうから。
でも今は、こうして。
こうして顔を上げて貴方を見つめたい。
伝わる、から。貴方から伝わるから。
痛い程の、優しさ。苦しいほどの、暖かさ。
切なくて、壊れそうで、でも。
でも必死で護りたいものが、この手のひらから零れてくる。
「…ユリア…俺も……」
繋がった手がそっと。そっと離れて。
そして再び触れる。私の髪に、私の背中に。
その何よりも優しい腕が、私に触れる。
「――好きだった、君が。ずっと…ずっと…」
「…スカサハ……」
「でも君はセリス様の大事な人だと思ったから…だから俺は…君を護る事しか出来なくて」
「…スカ…サハ……」
「…それしか出来ないって思っていたから……」
「―――私にとって…それが…」
「…それが何よりも…嬉しかった……」
「貴方がいてくれたから、私はこうやって前を見る事が出来る。俯かずにいられる。貴方がこうして私を真っ直ぐに見つめてくれるから」
私が欲しかったもの。たったひとつ欲しかったもの。
それは私を真っ直ぐに見てくれる視線。
一つ前にいる視線じゃなくて、一つ後ろにいる視線でもなくて。
真っ直ぐにこうして向き合える視線が。
対等に見つめる事が出来る目線が、欲しかったから。
「これからずっと一緒に」
見つめる瞳。私を見つめてくれる瞳。
「…一緒に…いよう…ユリア……」
そらされる事のない、その瞳に。
「―――はい」
私は真っ直ぐに見つめて、そして頷いた。
――――もう、私は独りじゃない…淋しくもない……
零れたもの。零れ落ちたもの。
手のひらからそっと、零れたもの。
暖かくて優しいその見えない想いが。
その想いが私をゆっくりと満たしてゆく。
その想いが私を静かに埋めてゆく。
だから怖くない。だから淋しくない。
もう一度だけ俯いて、そしてゆっくりと顔を上げた。
そこにあるのはゆるぎない貴方の瞳。優しい瞳。
その瞳を見つめていれば。その瞳があれば私は、きっと。
私は、きっと上を向いて歩く事が…出来るから。