冷たい雨



細く鋭いこの冷たい雨に射抜かれ全てが崩れて、そして何もかもが消えてしまえたならば。


しあわせになんてなれなくて良かった。望んだものなんて手に入れなくてもよかった。何もいらなかった。何も、いらない。この身を滅ぼし何もかもを無にする以外には。自分という存在を『無』にする以外には。


逃れられない永遠の絶望が私を捉えて離さないというのならば、私という存在が消える以外に方法はなかった。永遠の絶望から逃げられる手立てがないのならば。


冷たい手のひら、冷たい指先。冷たい頬と、冷たい眼差し。そのどれもがただ穏やかで、そして。そして凍えるほどにひんやりとしていた。
「―――セフェラン様、私に最期の場所をください」
名前を呼べば口許にそっと笑みを浮かべ、私を瞳に捉える。その瞳に映し出される空虚な私を貴方は、ただただ優しく冷たく見つめるだけだった。
「この永遠の螺旋から私を…解放してください」
そこに感情の破片は見えることなく、存在するのは全てを越えた穏やかな闇。何もかもを越えて、何もかもを諦め、そして何もかもを『無』にした瞳。
「それは私から逃れるという事ですか?」
穏やかで心地よく優しく、そして突き刺さる声。この声に溺れ、呑み込まれる事が私にとっての唯一の安らぎだった。ただひとつの俗世から逃れられる方法だった。けれども。
「そうではありません…私は永遠に貴方だけのものです。セフェラン様」
けれども溺れれば溺れるほど、目覚めた瞬間の虚無感に苛まれ心を壊されてゆく。ぽろぽろと剥がれ落ちてそして剥き出しになったものは最期の淋しさだった。
「どんなになっても、どんな瞬間でも、私は貴方だけのものです」
伸ばした手のひらに絡まる指先、それはひんやりと冷たくて。その冷たさこそが、私が知った貴方の破片だった。それこそが私の身体に刻みついた、貴方の感触だった。
「だからもう解放してください。私は貴方を愛する事で気付いてしまった…諦めていた筈のものを…諦めた筈の願いを……」
何も願わず、何も望まず、ただ時だけを重ねて。そうして心の濁流を飲み込み、かりそめの静寂を作り出し。諦めという言葉に溺れ、どうしようもない自分の虚しさを護ってきた。けれども、出逢った。出逢ってしまった。絶望以外の感情を与えてくれる相手に。
「私を愛していますか?ゼルギウス」
差し伸べられた手を。同じ空洞を持つ相手を。諦めよりも激しい感情で心の空洞を埋めて、焼けるほどの熱い感情で溢れさせてくれる相手を。
「…愛しています…私にとっての絶望は…今は貴方だ……」
その熱に呑み込まれ、全てを見失い。そして最期に残ったものは貴方への想いだけで。ただ貴方を愛した想いだけで。
「ならば許してあげましょう。私以外の場所で死を選ぶ事を」
けれどもその想いは永遠に報われる事はない。永遠に完成する事はない。溢れて零れて、流れ落ちて。貴方に辿り着いてもそれを受け入れる貴方の瞳は、永遠に冷たい。
「―――そして一瞬だけ…私から逃れるのを許しましょう…そして永遠に私だけのものになりなさい…愛していますよ、ゼルギウス……」
穏やかでただ、穏やかで。けれども私は逃れられない。逃れる事が出来ない。この永遠の支配者から…逃れたくなんてなかった。


頭上から冷たい雨が降る。細かい雨が降る。それは全ての罪を飲み込み、そして全ての罰を洗い流してゆく。


首筋をきつく吸われて、私は瞼を震わせた。そこにひとつ歯を立てられれば、じわりと血が滲んでゆくのが分かった。けれどもそれすらもこの雨は洗い流してゆく。小さな罪すらも。
「…セフェラン…さまっ……」
身体を弄られ息が上がってゆくのを止められない。そのたびに身体に熱が灯り、触れられた個所からじわりと痺れが広がってゆく。けれども触れてくる手は冷たかった。私の身体と正反対に、ひんやりと冷たかった。
「…ふっ…はっ…ぁっ……」
胸元を肌蹴られ胸の果実を指で嬲られる。それだけで痛いほどソレは張り詰め、淫らに尖った。その反応を楽しむかのように指先は軽い愛撫を繰り返し、その動きに焦らされる。
「ふふ、この程度では物足りないですか?」
「…セフェ…ラン様っ……」
いやいやと首を振れば耳元に息を吹きかけられるように囁かれた。その声が耳元から忍び込み、全身を駆け巡る。甘い疼きとなって、全身を犯してゆく。
「いいでしょう、もっと。もっと犯してあげますよ…望み通りに」
「―――ああっ!」
張り詰めたソレに爪を立てられた。抉られるように捏ねられ、私は耐え切れずに口許から甘い悲鳴を上げた。甘く乱れた悲鳴を。
「…はぁぁっ…ぁぁっ…あっ…んっ!…」
塞がれる唇、忍び込んでくる舌。それを夢中になって絡める私は、きっと菓子をねだる子供のようだろう。そう、この人の前では私はただの『私』になる。印付きでもない、漆黒の騎士でもない、ゼルギウスでもない…ただの『私』になる……。
「…んんんっ…んんんんっ…ふっ…んっ……」
溺れる、流される、そして堕ちてゆく。激しい熱に呑み込まれ、何も考えられなくなる。空っぽの器に注がれる熱さに溺れ満たされ、私から淋しさと孤独が消えてゆく。ただ貴方という存在だけが私の中に在る。
「…セフェラン様…セフェラン様……」
注いでほしい。熱を、熱さを、私の中に。貴方で溢れて、そして溺れて。そうすることだけが、私が孤独から逃れられる方法。そうすることだけが、私が真実の孤独を知る方法。そのどちらも与えるのは貴方だけ。私の唯一の支配者である、貴方だけ。
「―――雨の冷たさすら忘れてしまいますね、この身体を抱いていると」
ひんやりと冷たい壁が背中に当たる。壁に押し付けられたまま脚を折り曲げられ、秘所が暴かれる。そこに望んでいたモノが充てられ、その満足感に思わず溜め息を零した。淫らで甘い、溜め息を。それが合図だった。


ずぶずぶと濡れた音とともに鋭い楔が捻じ込まれる。貫く痛みと押し広げられる快感に、私は喉をのけ反らせて喘いだ。与えられる刺激に答えるように。それ以上の快楽を望むように。本能のまま、甘い悲鳴を何度も何度もこの唇から。


何も考えられない。貴方以外には、何も。
「あああっ!ああああっ!!」
考えたくない。貴方以外には。貴方の存在以外には。
「…セフェラン様…セフェ…!ああああっ!!」
そうして貴方と私の境目がなくなって、ひとつになれたら。
「――――!!!!ああああっ!!!!」
ひとつになれたら、もう。もうきっと、淋しくはない。



――――貴方を愛しても満たされる事はないと知った。淋しさから逃れられないと理解した。だって、私は求めてしまう。もっと、もっとと。貴方の全てを求めてしまうから。


注がれても与えられても、それ以上に。それ以上に願ってしまう浅ましいこころを知ってしまったから。



何もかもを無にして、私という存在がこの世界から消えたならば、そうすれば貴方は永遠に満たされる事はない。貴方の心に小さな空洞を作る事が出来る。決して消える事のない小さな罅を貴方につくる事が出来る。そうしたら。そうしたならば…


……貴方の中に永遠に『私』は消えないでしょう?………


最期の場所は貴方の中がいい。貴方の罅がいい。身体なんてただの入れ物でしかないから。だから魂は、貴方の中に。私の破片を貴方の場所に。



「―――愚かですね、ゼルギウス。でもそんな貴方の愚かさすら私には愛しいのですよ……」



冷たい雨が二人を鋭く貫く。貫いて全ての罪を洗い流し、全ての罰を飲み込む。淋しさもむなしさも、激しさも熱も。そして最期に残ったものは、ただひとつの愛だけだった。