音のない部屋



四角く切り取られた空間の中に、ぽつんと独り立っている。真っ白な何もない部屋の中でただ独り。ただ、独り。入り口は閉鎖され、出口は何処にもなくて。真っ白な壁だけがただ続いている。何もない。なにも、ない。その中にぽつりとひとつ、私が立っている。


―――音のない部屋に、ぽつりとひとつ、私が在る。


永遠は私にとって地獄でしかなかった。変わらないことは、私にとって哀しみでしかなかった。未来は私にとって、絶望でしかなかった。何処にも行けず、何者にもなれず、希望という名の翼をもぎ取り、深い闇の中で蹲ることでしか私は、自らを護る術を知らなかった。

何もない。何も持たない。何も願わない。何も望まない。そうすれば、失うものは何もない。


目覚めた瞬間に零れてきた眩しい光に、耐えきれずに目を細めた。目を閉じてしまえば、その光から逃れることは出来る。けれども、どうしても。どうしても自分はその光が見たくて、瞼を開いた。
「―――目が覚めましたか?ゼルギウス」
やっと焦点のあった瞳に、漆黒の髪がふわりと揺れる瞬間が刻まれる。けれども、瞼の裏の残像は…金色の光だった。眩いほどの金色の洪水、だった。これは、何?
「…セフェラン様……」
穏やかな笑みに包まれると、胸の奥の漆黒の闇がそっと消えてゆく。その瞬間だけが、唯一与えられた自分への安らぎだった。こんな時間はこの人以外、もう誰も私には与えてくれないだろう。いや、この人以外に…私は安らぎを必要とはしない。
「随分うなされていたようですけど、嫌な夢でも見たのですか?」
近づいてくる怖いほど綺麗なその顔を見つめながら、私は静かに瞼を閉じた。全てを見透かすようなこの瞳に晒されると、どうしても。どうしても、自分が醜く穢れた塊に思えて仕方なかった。ただの穢たない、ちっぽけな塊に。
「…夢なんて…もう見ることすら…忘れてしまいました……」
最後に零れるはずのため息は、そっと塞がれた唇に奪われた。そっと、静かに、奪われた。


音のない部屋にただ独り。膝を抱え、ただ待ち続ける。
この永遠の時が終わるのを、ずっと。ずっと、待ち続けている。
願いも、執着も、渇望も、失望も、全部。全部、諦めた。
全てを諦め、ただ。ただ自らが朽ち果てるその瞬間を。
その瞬間だけを、待ちわびて。全てが終わるその瞬間だけを。

――――なのに、零れた。音のない部屋に、真っ白な部屋に、ただひとつの光が。


何も持っていないから、失うものはなかった。何も望まなかったから、欲しいものはなかった。なのに、今は。今、は。
「ええ、夢など見なくていいのです。そんなものは、貴方に必要ない」
陶器のように白い指先が私の頬に触れる。それはひんやりと冷たかった。その手の冷たさこそが、私が唯一覚えた他人のぬくもりだった。
「今ここにある『現実』だけでいい。私という現実だけを見ていればいい」
柔らかい声で、優しく囁くように私に告げる。その声に私は捕らわれた。このひんやりとした手のひらの感触に、私は奪われた。そして。
「…私だけを見つめていればよいのです……」
その絶対的な支配者の瞳に、私は全てを捧げた。それは生まれて初めて願って、そして。そして、手に入れた唯一の『絆』だった。


―――初めて、自ら望んだ。その手を取り、『ふたり』でいることを。


ずっと独りだと思っていた。この身体が朽ち果てるその瞬間まで。執着も願いも、何もかも諦めていた。それなのに。
「…セフェラン…様…んっ…ふぅ……」
深くなる口づけに、目眩すら覚える。逃れる事を許されない舌は、根元まできつく絡め取られ、呼吸を奪われた。
「…ふっ…はぁ……」
口許に伝う唾液を拭うことすら許されず、唇が痺れるほどに口づけられる。何も考えられなくなるほどに。
「…あっ…セフェラン様……」
唇が解放されたと思った瞬間、滑らかな舌が口許に零れた唾液を拭う。その感触にすら、背筋がぞくりと、した。こめかみがざわつき、吐息が熱くなるのを止められなかった。
「…あ…あぁ……」
舌が唾液の跡を辿るように、首筋へと滑ってゆく。鎖骨のくぼみをきつく吸われ、瞼が震えた。その瞬間くすりとひとつ微笑われ、それを確認したくて薄目を開けた瞬間、胸の果実を指で摘ままれた。
「…あっ!……」
ぎゅっと指先で摘ままれ、すぐにソレは反応を返した。自分でも浅ましい身体だと思う。けれでも、それを止める術を私は知らない。
「…あぁっ…ぁ……」
私の身体を知り尽くした指に、翻弄されるのを止められない。私自身よりも、私のことを知っているその指に。何処をどうすれば、私が乱れるのかを。そして。
「もっと、乱れてもいいのですよ。私の―――ゼルギウス……」
そして、普段よりも少しだけ低い声で囁かれたその言葉こそが…私が最も溺れる言葉だと…知っている……。


独りでは、ないと。私は独りじゃないと。
「…あぁ…んっ…はぁ……」
この触れている冷たい指が。重なり合う熱い肌が。
「…ゼルギウス…私の……」
願ってもいいのだと。望んでもいいのだと。
「…セフェラン…様っ…もぉ……」
私は永遠ではないと。変われるのだと。そして。

――――孤独ではなく、このひとの哀しみの中で、朽ち果てることが出来るのだと…


先端からは先走りの雫が零れている。もう限界だった。自身を重なっている肌に擦りつけ、脚をきつく絡めて、自らの蕾にその楔をねだった。
「―――私が欲しいのかい?」
こんな時ですら絶対的な支配者の声で…けれども甘く囁くような響きで告げる相手に、安堵した。そうこのひとは私にとっての『支配者』でなければならない。絶対的な支配者でなければならない。それだけが私を救う。それだけが私の希望。―――私の生きる、意味。
「…欲しい…貴方が…欲しいっ…!」
貴方に支配され、貴方のものになり、貴方に望まれる。それだけが私が『生』を実感出来る唯一の方法。私が生きていると感じられる瞬間。私がただひとつ、望んだものだから。
「―――いくらでも、あげますよ。私の可愛い…ゼルギウス……」
本当は誰よりも願っていた。誰よりも望んでいた。誰よりも求めていた。自分の居場所を。自分だけの居場所を。そして生きる意味を。


貴方だけが与えてくれた。貴方だけが救ってくれた。
「――――あああっ!」
その先にあるものが、例え真っ暗な闇でしかなくても。
「…ああっ…あぁぁ……」
けれども光は与えられた。この瞬間、与えられている。
「…セフェラン様っ…あぁぁ……」
それは消えない。それは奪えない。私の心の中に在る限り。


音のない部屋で、ただひとつ。ただひとつ落ちてきた貴方の声だけが、私の全てになる。


重なり合う鼓動と、擦れ合う肉と。濡れた音が。真っ白な部屋を埋める。音のない部屋を埋める。入り口も出口も塞がれた部屋の中で。四角く切り取られた空間の中で。


――――ぽつりと独り立つ、私に。わたしにふり、そそぐ。そそがれる、ひとつの、ひかり。

しあわせだ。しあわせ、だ。
こどくじゃない。ひとりじゃない。
それだけで、いい。それだけで、いい。

…もうなにも、なくていい。このひかりだけがあれば、いい………


体内に注がれる白い欲望に、喉を仰け反らせて喘いだ。その瞬間零れ落ちた涙は、快楽のためだったのか、それ以外のものだったのか…私には、分からなかった……