NAVY BLUE



深い海の底にいるようだった。静寂だけが包み込む、永遠の蒼。決して見える事のない水の中の箱に、膝を抱えて眠っている。そこには何もない。なにも、ない。


――――二度と目覚めなければ、いいのにと…心の何処かで願っていた。


冷たい水に全てを埋めて、消えてしまえたらと思った。ひんやりと冷たいこの手に包まれて、永遠の静寂を得られればと願った。それは決して叶わない夢だけれども。
「…セフェラン様……」
今ここにある命はこの人のためだけに存在している。自分の『生きる』意味がこの人の存在そのものなのだから。だからもしこの人が今自分に死ねと命じれば、その瞬間に命を差し出すだろう。それは自分にとってとても、簡単なことだ。
「貴方の瞳から、闇が消えることは永遠にないのでしょうね。そしてそれを取り除くことも私には出来ない」
ひんやりとした指先が頬を辿り、乾いた唇に触れる。柔らかい指先だった。陶器のように白く体温は冷たいのに、柔らかい指先。それはまるでこの人の全てを現わしているようだった。
ひどく穏やかで、そしてどこまでも冷たいものを持っている人。でもそれ以上に激しく熱い想いを持つ人。
その冷たさに安らぎを覚え、その熱さに呑まれてゆく。どこまでも、どこまでもこの人が。この人が、自分を違う場所へと連れてゆく。何もない深い場所から、引き上げてゆく。
「それでも、少しでも…体温を分け合えたらと願うのは…私も同じものを求めているからでしょうね」
近づいてくる綺麗すぎるその顔を瞼の裏に閉じ込めて、唇を重ねた。唇だけが、熱かった。繋がった個所だけが、熱かった。



透明な水が、全てを埋めてくれたならば。何もかもを埋めてくれたならば。
ぽっかりと空いている私の心の空洞を、埋め尽くしてくれたならば。

――――注いでほしい、その冷たさを。埋めてほしい、その熱さで。

貴方のすべてで私が満たされたならば。私全てが埋められたならば。
思考すら奪うほど、虚しさすら消えるほど。貴方という存在が私に埋められたならば。


――――きっと、しあわせ。なによりも、しあわせ。



細く柔らかいその髪に指を絡める。するりとすり抜けてしまいそうなその髪に。逃したくなくて、必死に掴もうとしても…やっぱりこの指先からは擦り抜けていってしまう。
「…ふぅ…ん……」
薄く唇を開けば生き物のような舌が忍び込んでくる。その蠢く生き物に必死に絡み付いた。そのたびに濡れた音が室内に響き渡る。ぴちゃ、ぴちゃ、と。
「…はぁっ…ぁ……」
呑み切れずに口許から伝う唾液は、まるで他人のもののように熱い。その熱さにくらり、とする間のなく、離れた唇がその液体に当たる。そしてそのままわざと音を立てながら、啜られた。
「…セフェラン…様……」
名前を呼ぶ声がどこか掠れている。けれどもそれを堪える事ができなかった。零れる吐息は熱く、睫毛が震えるのを止められない。
「―――ゼルギウス」
低く囁くように呼ぶ声に、瞼を開けばそこにあるのは怖い程に綺麗な顔。目を反らしたくても反らせない、吸い込まれるような瞳。
「淋しさを埋める手段が互いのぬくもりしかないとしたら、どうして人は『心』という見えないものに縋るのでしょうね」
身体だけならば、こうして重ねれば埋められる。けれども空洞の心は熱だけでは埋められない。それでも。それでも、埋めてほしい。体中を巡る熱が何時しか、溢れて。溢れて心まで溺れるように。溺れてしまえるように。
「不確かなものほど、不安定なものはない。それでも望んでしまうのは…諦めきれないのは…やはり人だからなのでしょうね」
再び降りてくる唇に迷うことなく、自らのそれを重ねる。全てを貪るように激しく口づける。目眩すら覚えるほどに、深く、深く。



この人だけに、埋められたい。この人の存在で、埋もれたい。
『自分自身』という存在すら、いらないと願うほどに。


――――この髪も、この皮膚も、この血も、この体液も。


全部、全部、貴方と名のつくものに、なりたい。叶うのならば。
叶うのならば、貴方の中にぐちゃぐちゃに溶けてしまいたい。



ベッドの上に座るセフェランの前にゼルギウスはしゃがみ込むと、その脚に口づけた。白すぎるその肌にそっと口づける。そのまま地べたに這い蹲ると、足の指を口に含んだ。
「――――そんな犬のような真似、貴方がしなくてもよいのに」
頭上から落ちてくる声が、ひどく冷静なことにゼルギウスは安心した。この人はそうでなければならない。何処までも冷たい絶対的な自分の支配者でなくてはいけない。そうでなければ…この熱に狂えない。
「…ん…ふ…んん……」
一つ一つ丁寧に、指先を口に含んだ。音を立て、唾液で嬲らせ濡らす。こんな下僕のように奉仕している自分を卑下しながらも、股間が熱くなってくるのを止められなかった。こんな床に這い蹲りながら足の指を舐める自分に。そして、それ以上に。
「ふふ、そんなにも私が、欲しいのですね。ゼルギウス」
それ以上に頭上から降ってくるその声が。絶対的な、その声が。冷静でぶれる事ないその声の先に、微かに見える熱さが。その、熱さが。
「顔を上げなさい。そして私が欲しいなら…その気にさせなさい」
導かれるように顔を上げ、綺麗過ぎるその瞳を見つめた。支配者の瞳。上に立つ者だけが持つ、絶対的な強い瞳。その瞳に囚われ絡め取られる事が何よりもの悦び。
「…はい…セフェラン様……」
上半身を起こし、ゼルギウスは自分の目の前にあるセフェラン自身に指を絡めた。自分が何時もそうされるように手のひらで包み込み、そのまま先端を口に含めた。割れ目を舌で辿り、側面を舐める。そのたびに形を変化させてゆくセフェラン自身に、反応した。自分の与える行為に答えるソレに反応した。
「…んっ…んんん……」
根元まで口に含み、そのまま顔を上下に動かした。口の粘膜が熱い肉棒に擦れる。そのたびに口内の体積が広がり、ゼルギウスの喉元を圧迫する。それでも、行為を続ける。限界まで口に含み、何度も何度も舐めた。何時しかセフェランの指がゼルギウスの髪に絡まり、そのまま激しく動かした。腰を押し付け、より深い快楽を求めながら、上下に激しく動かす。
「――――くっ……」
小さな呻きがゼルギウスの耳に届いたと同時に、その口中に熱い液体が注ぎ込まれた。


注がれた精液全てを飲み干そうとしたけれど、それは叶わなかった。ぽたりと口許から白い液体が零れてゆく。それを指先で拭われ、そのまま立ち上がらされたと思った瞬間、ベッドの海に肢体を沈められた。シーツは火照った身体とは正反対に、ひんやりと冷たかった。
「…私が欲しかったのでしょう?……」
「…あっ……」
精液を拭って濡れた指先が、ゼルギウスの最奥へと埋められる。その液体のせいで本来なら乾ききっている筈の器官が、湿った音を立てた。
「…はっ…ぁ…くふっ……」
指が中を、掻き乱す。くちゅくちゅと濡れた音を立てながら。きつく閉じられた蕾をほぐしてゆく。
「ふふ、もう限界ですか?」
「――あっ!」
後ろの孔を弄りながら、もう一方の手が、ゼルギウス自身を弾いた。先端の割れ目の部分をピンっと。その刺激だけで、出口からは先走りの蜜が滴っている。
「…あっ…ぁ…あぁ……」
蜜を鈴口にこすりつけながら、出口を塞がれた。そのもどかしい刺激に、ゼルギウスの目尻からは生理的な涙が零れてくる。熱が体内を巡り出口を求め、暴走する。
「…セフェラン様…もう…もうっ……」
「もう、どうして欲しいのですか?」
熱い身体を冷ますはずのその冷たい声も、今はただ快楽を煽るものでしかない。いや、この人から与えられるものは全て。全て、自身を狂わせるものでしかないのだ。どんな時でも、どんな瞬間でも。
「…イカ…せて……」
「―――ふふ、よく言えましたね…私のゼルギウス……」
出口を塞いでいた指先が解かれると同時に、熱く滾った楔が体内に埋め込まれた。狂うほどの、激しい熱の塊が。



冷たい水はこの熱に飲み込まれ、蒸発した。
「…あああっ…あぁぁっ!」
私を閉じ込めている見えない箱は、この熱によって。
「…セフェラ…ン…様…セフェ……」
激しい熱が全てを溶かす。私自身すらもどろどろに溶かして。
「――――ああああああっ!!!!」
眠ることすら許されないほど、貴方の熱が私を狂わす。



永遠の静寂よりも、刹那の狂気が、心地よい。身を焦がすほどの熱が…愛しい。




「…貴方は私のものです…ゼルギウス……」



意識を手放す瞬間に囁かれた言葉こそが、きっと。きっと私が何よりも願ったものなのだろう。