LOVERY



――――君の名前だけを、ずっと呼んでいた。間違えることのない、ただひとつの名前を。


柔らかい髪を撫でてやれば、わざと不機嫌そうな顔をする。けれどもその頬は微かに朱く、染まっていたから。
「どうしてお前は私をそんな風に扱う」
表情と同様な不機嫌な声。けれどもそれすらも、愛しい。どうしようもないほどに、愛している。
「ごめんね、君があまりに可愛かったから」
「―――お前はどうしてっ……」
「どうして?」
上目づかいに睨んでくるのも予想通りだ。だからそのまま顔を下げて、こつんっと額を重ねた。その瞬間、触れあった個所に熱が灯るのが分かる。
「…どうして…そんな恥ずかしいことを…簡単に言うんだ…か、可愛い…とか……」
最後の方の言葉は聞き取れないほど、小さな声になっていた。そんな所がたまらなく可愛いんだよと、そう告げようとしてやっぱり止めた。言葉で告げるよりも、唇で触れあった方が伝わると思ったから。


素直じゃない君は、いつも不機嫌な顔をしている。不器用なほど、表情を硬くしている。けれどもそれが、照れ隠しだって気付いたから。不機嫌な顔の先にある微かに染まった頬の赤さが、それを。それを、告げているのが分かるから。


唇を離して見つめる瞳は、微かに潤んでいて。
「…レテ…好きだよ…」
その瞳を何よりも綺麗だと思いながら、飽きることなく。
「大好きだよ、君が」
飽きることなく見つめた。君が羞恥心のために瞼を閉じるまで。


その仕草すら愛しくて、瞼にキスをする。触れるだけの優しい、キスを。


戸惑いながらも、おずおずと背中に腕が廻される。その瞬間が何時も。何時も俺の口許をどうしようもない程、綻ばせることを君は知っているだろうか?
「―――ツイハーク」
「何だい?」
少しだけ腕に力が籠るのが分かった。ぎゅっと背中の衣服を握りしめてくる。そしてそのまま顔を上げてきて、俺を見上げてくる。綺麗なラベンダーの瞳が。
「…その…幸せすぎて…怖い……」
「レテ?」
「…こんな風に考えたことなかった…こんな気持ちは知らなかった…でも私は…」
「――――」
「…お前が…いなくなったら…怖い…幸せがなくなる気がして…怖い……」
それ以上を告げるのを躊躇ったのか、瞳を閉じて俯いてしまう。そんな彼女をそっと抱きしめながら、髪にひとつ口づけた。そっとひとつ、口づけた。そして。
「どこにもいかないよ。俺はもう、どこにもいかない」
「―――ツイハーク」
『君』に告げる。他の誰でもないただひとりの君に。今はもういない『彼女』じゃない。ただひとりの、俺の今愛している人に。
「今度誰かを愛したら、ずっとそばにいてやるんだって決めていたんだ。嫌になるくらいそばにいるんだって」


「――――二度と大事な人を、失わないようにと」




お前の心の傷を知っている。それはきっと。きっと、永遠に消えることはないだろう。それと同時に、お前の心の奥にある彼女への想いも。分かっている、想い出には勝てない。死に逝く者に生在る者は決して、勝てはしないのだ。
それでも、こうして生きていくと決めた。ふたりで生きてゆくと。消える事のない想いなら消さなくていい。大事な人ならばずっと心に存在していてもいい。それでいい。そんなお前だから、私はともに在ると決めたのだから。そんなお前だから…好きになったのだから。


抱きしめてくれる腕のぬくもりを覚えてしまった。
「ずっと君のそばにいるよ。ずっと君のそばに」
その優しさを、暖かさを、手放せなくなってしまった。
「それでも君は、不安になるんだね。でも言葉しかないから」
こんなにも胸が苦しくて、こんなにも心が満たされる瞬間を。
「気持ちを伝える手段が、言葉しかないから」
こんな想いを知ってしまったら、もう。もう、手放すことなんて出来ない。


「だから、告げるよ。好きだよ、レテ。ずっと君のそばにいるよ」




飽きるくらいに君の名前を呼んで。呆れるくらいに好きだと告げて。君が余計なことを考える暇がない程に、いっぱい。いっぱい、キスをする。
「…ツイハーク……」
キスの合間に呼ばれる名前の響きが、ずっと耳の奥に残るように。君の声だけが俺を埋めてくれるように。それだけで、俺は幸せだから。
「…大好きだよ、レテ……」
だから俺はもっと。もっと君の名前を呼ぶから。君の名前だけを呼ぶから。だから、その声で君も満たされてほしい。淋しさすら感じないほどに。


――――君が呆れるまで、何度も呼ぶよ。ただひとつの名前を。君だけの、名前を。


背中に舞わされていた腕が、いつしか俺の髪に触れる。じゃれる様に指先で髪を弄ぶ。そんな仕種ですら、俺は愛しくて堪らないんだ。君の、すべてが。そして。
「…お前が私の名前ばかり言うから……」



「………他のことが考えられなくなった…お前…以外の…こと……」



そして。そして、愛している。そんな君のすべてを、俺は愛しているから。