輪郭



―――そっと、触れる。指先で触れて、確認する。貴方のカタチを、確認する。


少しかさついた肌の感触を、目尻に出来はじめた皺の跡を、顎の先に残っている髭の感覚を。全部この指で、確認する。私の皮膚で、確かめる。


「―――おい、痛てーぞ」


頬を撫でていたら傷口に爪が当たってしまった。中々消えない傷跡だった。けれどもそれすらも貴方の一部だと思ったら、とても愛しいものに思えた。大事なものに、思えた。
「ふふ、昔からこんな細かい傷、いっぱい作ってたね」
大切なものだから、キスをした。傷口に口づけて、そっと。そっと痛みを掬いあげた。そのまま軽く舐めたら、くすぐったいと首を竦められる―――そんな瞬間が私にとっては何よりも、大事なんだと…思った。


記憶することは簡単だ。どんな場面でもどんな瞬間でも、何時も一番が貴方だったから、たやすく私の脳裏に刻まれる。考える間もなく、私の中に貴方が刻まれてゆく。それはきっと。きっと何よりも、しあわせなこと。
「悪ガキって言いたいんだろ?」
「ううん、そんなことないよ。だって、その細かい傷はいつも私のせいだった」
伸ばされる腕は力強くて、大人のものだった。日焼けしている腕は太陽の匂いがする。私はこの香りに包まれるのが何よりも好きだった。ずっと子供のころから、大好きだった。
「そーだな。お前がいっつも俺を連れ出してたからな。ひとりでは登れないからって木登り付き合わされたり、川で泳ぎたいから一緒に来いとか…本当あの頃の俺に言ってやりたいぜ。子守りお疲れ様ってな」
「ひどーい、自分だって楽しんでた癖にっ!」
「いやいや、俺はカリル先生の指導をもっと仰ぎたかったのに、お前ときたら…わっ!グーで殴るなっ!せめてパーで殴ってくれっ!!」
「トパックお兄ちゃんの馬鹿っ!!」
思いっきり頭を殴ったら、恨めしそうに私を見てくる。そんな時見せてくる表情がひどく幼く見えて、一瞬時が戻されたような錯覚に陥る。あの頃の無邪気な日々に。けれども私たちはあの頃の何も知らない子供ではなかった。ただ笑って過ごしていられる無邪気な子供じゃなかった。だって。
「―――違うだろ、エイミ」
引き寄せされて、髪を撫でられる。何時まで経っても不器用な動作だった。でも好きだった。不器用でも優しく撫でてくれるこの手のひらが。ずっと、大好きで。
「『お兄ちゃん』じゃ、ねーだろ?」
少しだけ汗の匂いがする。それはひどく雄の匂いがした。目眩がしそうな程の雄の、匂い。それに包まれた私はもう、子供でも少女でもなかった。ただの『女』だった。
「うん、トパック…そうだね……」
何も知らない子供には戻れない。無邪気なままではいられない。貴方を好きだと気付いた瞬間から、私は子供でも少女でもなくただの女になった。ただの女に。
見つめあって、目を閉じて、そして。そして唇を重ねる。挨拶でも好意でもない、愛していると確認するための口づけをする。


永遠に追い付けない距離がある。それでも追いかけた。必死で追いかけて辿り着いた場所に、貴方はいてくれた。変わる事のない太陽みたいな笑顔を私に向けてくれた。だから私はもうそれだけで。それだけで、いいと。本当に私はあの瞬間、何もいらないと思ったの。


――――私の全てで貴方を刻むから。貴方の匂いも、貴方の感触も、小さな傷跡ですら、全部。全部、私の全てに埋め込むから。


追い付きたくて、必死に階段を駆け上がった。大人への階段を。
「…お前とこんな風になるなんて…全然想像出来なかった……」
貴方の瞳に映る私がずっと子供だったから。幼いままだったから、だから。
「―――時間はね、過ぎてゆくんだよ。気付かない間に」
だから、違うんだって。もう子供じゃないんだって。貴方とこうして。
「ああ、そーだな。で、気付いたらお前はこんなに…綺麗な女になってた……」
貴方とこうして指を絡められるんだって。こうして唇を重ねる事が出来るんだって。
「…トパック…好きよ……」
吐息を重ね合い、鼓動を結びあう。それをずっと。ずっと私の中に刻み込む。
「…大好きよ……」
私の身体全部に、私の心全てに、記憶する。目を閉じなくても、思い出せるように。



私と名のつくもの全てが、貴方で溢れる事が出来たならば、きっと。きっと、淋しくない。



指先で辿る貴方の輪郭。それは少しずつ変化してゆく。それが、時が流れてゆくということ。同じようでも少しずつ、変化してゆくということ。
「―――エイミ……」
だから、確認するの。だから、触れるの。こうして毎日貴方の輪郭に触れて、確認するの。少しずつ進んでゆく時を、これが決して永遠ではないのだと。
「何?トパック」
唇に、触れた。指先が唾液のせいで湿る。その唇はキスばかりしたから、少し紅くなっている。ごめんね、と心で呟いてまたひとつキスをした。そのせいでまた少し赤味が増したけど、唇を重ねる事を止められなくて。
「上手く言えねーけど…俺にとってお前の存在は本当に大きいからな」
「私にとってトパックはもっともっと大きいよ」
「いや、俺の方が絶対大きい。だって俺お前が死んだら生きていけねーもん」
「…じゃあやっぱり、私の勝ち。私の方が大きいよ…だって」


「…私は貴方が死んでも、生きてゆくもの。貴方だけを想って。貴方の存在全部を私の中に刻んで……」


私の存在全てで貴方を刻むから。全部、全部、記憶するから。
声も、仕草も、体温も、吐息も、記憶も、その全てを。


伸ばした指先に貴方の指が絡まる。それはとても、暖かいもの。
「…エイミ……」
暖かくて、優しくて、そして。そして少しだけ、哀しいもの。
「言ったでしょ?私の一番はずっと貴方だって」
分け合う体温と、重なる鼓動と、触れあう命の音が。
「私にとって最初で最期の恋だって」
これがずっとでないものだって、分かっていても。それでも。
「―――ただ一度だけの…恋なんだよ……」
それでも、何処かで願ってしまう。ずっと、と。ずっとこのままで、と。



貴方の輪郭が少しだけぼやけて見える。少しだけ視界が、歪んで見える。けれども繋がっている指先が暖かいから。優しい、から。



――――そのぬくもりだけを頼りに、もう一度。もう一度貴方の輪郭を確認した。