眩しい手



頭上にある太陽は何時も優しい光で、この大地を照らしている。眩しい光は、優しく世界を包み込んでいる。


泣く事でしか気持ちを伝えられない幼い私に、そっと包み込む手があった。大きくて優しい手が。泣きじゃくる私に、何も言わずにそっと頭を撫でてくれた手が。その手の感触をずっと。ずっと、憶えている。それはとても大事なもの。


――――眩しい、手。その手がずっと貴方を護っていてくれた。とても大事なただひとつの手のひら。


見上げた空は雲ひとつなくて、突き抜けるほどの蒼い世界を彩っていた。零れ落ちる日差しは目を細めなければ見る事が出来ない眩しさで。この瞳に映したいと願っても、叶えられるものではなかった。
「ここにいたのですか、エイミさん」
「さんはやめてよ。昔みたいにエイミちゃんって呼んでよ、ムワリム」
振り返れば良く知っている顔がそこにはあった。子供の頃はその大きな背中によく抱きついていた。そんな私にムワリムは嫌な顔ひとつせず、私を肩車してくれた。そしてそんな私たちに、何時も。
「でも貴女は坊ちゃまの奥さまですから」
「トパックは『坊っちゃん』なのに、私は『エイミさん』なの?」
そんな私たちに気付いたトパックは何時も決まってこう言っていた「ずるい、俺にもしてくれ」って。こんな時彼は本当に子供のようになる。幼い私と変わらないくらいに。私と同じくらい我が儘になって、ふたりしてムワリムに肩車をして欲しくて争っていた。
「そうですね、全く貴女には叶わないですね。だからこそ坊っちゃんも貴女を選んだんでしょうね」
そしてそれが何時しかムワリムから肩車の対象が貴方へと変わっていった。少しだけ大人になった貴方はまだ幼いままの私を、一生懸命背負ってくれた。それが何よりも幼い私にとっての『嬉しいこと』になっていた。
「選んでくれたのかな?なんか選ばせた気がする」
「そんな事はありませんよ。貴女の前では坊っちゃんは誰よりも無邪気になる…昔からずっと」
「無邪気というよりも子供の私と張り合っていた気がするけど」
「ハハハ、確かにそうですね。でも坊っちゃんのあんな風な姿を見られて、私はとても嬉しかったのですよ。貴女がいたからこそ、坊っちゃんは『子供』である事が出来たのだから」
私よりもずっと貴方を知っている人。貴方を護ってきた人。私にとってもとても大事な人。ずっとなんて言葉は夢でしかないけれど、それでも。それでも願ってしまう。


――――ずっと三人でいられたらいいね、と。この穏やかで優しい日々が、ずっと続いてくれたらいいねと。


地上に降り注ぐ風は優しく、大地の匂いは暖かい。この地上も今はとても優しいものへと変化した。ほんの数年前までは戦いと死で、血の匂いしかなかったのに。今はこうして穏やかな世界へと変化していた。それは『私』にとっても、優しく哀しいものだった。
「―――ムワリム、ありがとうね。そして…ごめんなさい」
この身体に流れる血の正体を知った時、私はこの恋を諦めようと思った。自分自身の力ではどうにもならなくて、どうやっても叶わない事があると理解したから。それでもやっぱり、諦めきれなかった。諦めるくらいの想いなら、きっと。きっと私は貴方を好きにならなかった。
だから向き合った。自分自身と向き合って、貴方と向き合った。そしてそれ以上に私は向き合わなければならない相手がいた。それは今ここに、私の目の前にいる。
「ありがとうは受け取れますけど…ごめんなさいは…私は受け取れないですよ、エイミちゃん」
ずっと貴方を護ってきた人。ずっと貴方のそばにいた人。そして今も…多分私よりも貴方を理解している人。私の知らない貴方を知っている人。だからこそ。
「貴女の言いたい事は分かります。でもそれでも貴女を選んだのは坊っちゃんだ。坊っちゃんが選んだという事実が私にとっては、一番大事なことなのですよ」
「それでも一度ちゃんと言いたかったの。私が印つきで…ごめんなさい」
だからこそ、どうしても。どうしても謝りたかった。私が普通の娘でないことを。ラグズにとって忌み嫌う印つきである事を。何よりも貴方の『普通の幸せ』を願った人に対して、私が普通の娘でなかったことを。
「…確かにラグズにとって『印つき』を忌み嫌う気持ちは残念ながらまだ根強く残っているのは事実です。けれども、私にはそれは当てはまりません。正直私には…印つきよりも憎むべきものがありましたから……」
「…ムワリム……」
「坊っちゃんから、私がどういう立場だったか聴いているでしょう?」
「うん、聴いている…ムワリムは昔奴隷だったって……」
その事を初めて打ち明けてくれた時、まるで自分の事のように肩を震わせて泣いていた。まだ幼い私にはその意味の重さが分からなかったけれど、貴方が泣いたから…一緒になって泣いた事を覚えている。今思えば、あれが初めて見た貴方の涙だった。
「私にとって『差別』こそが何よりも憎むべきものでした。だからこそ私は貴女にそんな事を気にしてほしくない」
この人はなんて大きくて、そして暖かいのだろう?子供の頃抱きついた背中のぬくもりと何ひとつ変わらずに…変わらずに暖かい。あたたかい、ひと。このひとが、貴方の大事な人で良かった。貴方を護ってくれる人で良かった。貴方の大切な人で…良かった。
「…ム、ムワリム…ふぇぇ……」
「わ、泣かないでください。貴女を泣かせた事が坊っちゃんにばれたら、私が怒られてしまいます」
「…でもでも…私…私……」
どうして、こんなにも世界は優しいのだろう?私の廻りは暖かいのだろう?お父さんも、お母さんも、みんなみんな優しい。そして誰よりもムワリム、貴方が一番優しいよ。
「こんなに綺麗な女性になっても、ふふ…貴方も坊っちゃんと同じで…まだまだ子供な所がありますね」
「だって…ムワリムが…優しいから……」
涙が止まらない私の頭をぽんぽんと優しく叩いてくれる手が。その手が、眩しい。頭上にある太陽よりもずっと。ずっと、眩しかった。



「私にとって坊っちゃんの幸せが何よりも大切なのです。そんな坊っちゃんが願うものが貴女の幸せならば…私にとっての願いも貴女の幸せです。そして私自身にとっても貴女はとても可愛い『エイミちゃん』なのですよ」



目を閉じれば浮かんでくる。幼い私とまだ少年だった貴方が、ふたりしてムワリムに競って肩車をねだった場面が。そんな私たちに少しだけ困った表情を浮かべて、それ以上に優しい笑顔で微笑ってくれて、そして告げてくれた言葉。


『じゃあエイミちゃんが先ですよ。坊っちゃんはお兄さんなんですから、我慢してくださいね』


その言葉に甘えて嬉しがる私に、不貞腐れながらも最後は『お兄さん』だからしょうがねーなと笑う貴方。可笑しいね、私たち。あの頃よりもずっと大人になったのに、ずっと大きくなったのに、こんな風にムワリムにねだっている、甘えている。おかしい、ね。



「…ごめんね、ムワリム……」
「だからごめんなさいはいりませんよ」
「…違うのこれは……」


「…まだまだ子供で…ごめんなさい、なの……」



そんな私にムワリムは何時もの穏やかな笑みで微笑いながら、告げた。―――私にとって貴女と坊っちゃんはずっと大事な子供なのですよ、と。眩しい手で頭を撫でてくれながら、そう言ってくれた。