君の声を



目を閉じて浮かぶものは、何時も。何時も淋しそうに微笑うその顔だった。


始まる前に、終わりがそこにあって。分かっていた事なのに、それでも手を伸ばして。そしてそっと、絡め合った。指先を、絡め合った。世界の片隅で誰の目にも触れることなく、絡めた指先だけが世界の全てになった時、その瞬間に終わる恋だった。


――――分かっていたのに、好きだと告げる事は罪なのか?けれども理解する事よりも求める想いが先回りして、留まる事が出来なかった。どうする事も、出来なかった。


腕の中に包み込めばすっぽりと閉じ込められる身体。きつく抱きしめれば、このまま。このまま粉々になってしまいそうな小さな肢体。
「…アイク…ありがとうね……」
背中に廻された腕は確かに暖かかった。伝わるぬくもりは本物だった。何よりもこの身体が、体温を記憶する。ぬくもりを、感触を、薫りを、その全てを記憶する。
「―――ユンヌ……」
「ありがとうね、私の願いを叶えてくれて」
そっと微笑う。我が儘で気まぐれで、自分勝手な女神。くるくると表情を変えて自分を困らせるばかりだった女神。けれども今ここにある笑顔は何よりも綺麗で、何よりも哀しいただのひとりの『女』の顔だった。
「ありがとう…アイク……」
そっと目を閉じて触れる唇は暖かい。暖かいから、苦しかった。とても、苦しかった。


愛や恋を語る自分を想像できなかった。特別な相手を持つ自分など考えられなかった。なのにどうしてだろう…あんたにはこんなにも想いが剥き出しになっている。それを考える前に、心が動いている。


剥き出しになった俺の心を、包み込む腕は儚く。
「…ユンヌ…好きだ……」
それでも懸命に掴んでくれる。必死にしがみついてくれる。
「…何で…あんたなんだろうな……」
この腕を離したくないと願ってしまった俺は、愚かなのか?
「…何であんたを…好きになったんだろうな……」
この繋がった指先を、離したくないと願ったのは。


――――全てのものに逆らって、あんたを手に入れられたならば……


一度だけどうしても逢いたかったと、どうしても本当の自分で逢いたかったと、泣き顔で微笑う。その顔がどうしようもなく綺麗で哀しかったから抱きしめた。思考よりも先に身体が動いて、そのまま。そのままこの腕に閉じ込めて気が付いた。この想いを説明する言葉を、どうにもならない感情の意味を。
「…ごめんね、アイク…ごめんね…私がこうして現われなかったら…気付かず想い出に出来たのに…」
泣けない瞳で泣いていた。それが触れあっている肌から、重なっている睫毛から伝わった。――――違うそんな顔を、させたい訳じゃないのに。
「…ごめんね…私がどうしても…どうしても…貴方に逢いたかったから……」
「でも逢えなかったら、気付けなかった。この想いに気付けない方が、俺にとっては辛い。こんなに誰かを愛せた事を…自分自身が気付けない方が…」
「…アイク……」
我が儘で、気まぐれで、自分勝手で。くるくると猫のように表情が変わって、時々子供のように無邪気になる。全然『女神』らしくない、まるで少女のようなただ一人の…ただひとりの、自分にとっての…。
「…こんなにも…あんたを…好きだと思っている自分に……」
ただのひとりの『女』だ。自分にとっては女神でも何でもないただひとり愛したひとだ。


触れ合っている睫毛が閉じられて、そのまま唇を重ねる。重ねたまま、もう一度そのぬくもりを確かめた。薄い胸に指を這わせ、色づく胸の果実を摘む。先ほどの情交の残り香がすぐに肌を火照らせた。白い肌が朱に染まり、すぐに指先に熱が伝わる。
「…あぁっ…アイクっ…アイクっ……」
髪に指が、絡まる。きつく、絡まる。その強さを感じながら、胸の突起を口に含んだ。そのまま唾液で照る程に舐めてやれば、腕の中の身体は小刻みに揺れる。それがどんなに愛しいものか、こうして肌を重ねなければ分からなかった事。こうして互いのぬくもりを確かめ合わなければ気付けなかった事。この腕の中の小さな命がどんなに…どんなに大切なのかという事を。
「…あぁぁんっ…もっと…もっと…アイクっ……」
剥き出しになった心と身体で、全てを求めてくれるから。何もかもを求めてくれるから、だから。だから与えよう。最初で最後だから、枯れ果てるまで。想いの全てを、注ぐから。
「…ユンヌ…ユンヌ……」
指を絡め合った。唇を触れ合った。そしてそのまま。そのまま、繋がった。まだ先ほどの行為の跡が残ったままの器官を、一気に貫いた。


重なり合う鼓動。伝わる熱。擦れ合う器官。その全てが。
「…ああっ…ああぁ…アイ…クっ…あああんっ!」
その全てが今ここに在って。繋がっているふたりがここにいて。
「…もっと…もっと…私を…あぁっ…壊し…て……」
濡れた音も、零れる汗も、熱い吐息も。その全てが。
「…壊して…アイク…全部っ…全部…あぁぁっ……」
その全ては確かにここに。今ここに、あるのに。


―――――これが全部。全部、俺以外の夢になる。俺だけの夢になる……



微笑う顔が、綺麗だ。とても、綺麗だ。
「…アイク…好きよ……」
哀しいくらいに綺麗だから。俺は。
「…誰よりも好き…貴方が好き……」
俺は微笑った。哀しかったから、微笑った。


―――――あんたには、ずっと。ずっと、微笑んでいてほしいから……



どうしてあんたなんだろうな。なんであんたでなきゃいけないんだろうな。最初から終わりしかない恋なのに、何で。何で俺はあんたがいいんだろう?他の誰かじゃ駄目なんだろうな。…なんで…なんで、あんたじゃなきゃいけないんだろう?


世界の片隅で誰の目にも触れることなく、ただ。ただ指を絡め合って。こうして繋がっているぬくもりだけが全てになって。そして。そして静かに消えてゆく、恋だった。終わりしかない、恋だった。それでも好きだった。あんただけが、好きだった。



「…好きよ…アイク…貴方だけが…好き……」



…耳に残る声だけが、ただひとつ俺の胸に静かに落ちて…そっと消えていった……。