ふとした瞬間に、気が付いた。その髪から薫る甘い香りに。不意に、気が付いた。
楽しそうな話声が奥から聞こえてきて、ボーレは声のする方へと向かう。良く知っているその声の方へと。
「―――ミス……」
小柄な身体を見つけて声を掛けようとして、その声は途中で止まった。止まらずにはいられなかった。その相手―――ミストがちょうど自分の名前を口にしたからだ。
「そうなんだ、ボーレって意外だね」
ミストに気付かれないように壁際に隠れて、悪いと思いつつも会話に聴き耳を立てる。ミストとともに会話をしていたのはジルだった。歳も近いせいかこの二人はよく一緒にいるのを見かける。友達だよと前にミストが言っていたのを思い出した。
「意外でも何でもないよ。見た目通り、鈍感なんだよ」
少しだけ不貞腐れたように告げるミストの言葉に、ボーレは反論したいのを必死に堪えた。何処をどう取ったらこの俺が鈍感なんだよっ!と心の中で叫びながら。
「〜うーん、確かに…ボーレって考えるより行動するタイプだし…でも鈍感とは違う気がするけど……」
そうだ、ジル、その通りだっ!とジルの意見に肩を持ちつつ、続きに聞き耳を立てた。盗み聴きをしているという後ろめたさを見事にすっかりと忘れ去って。
「鈍感だよー。全然気付かないんだもん。こんなにも……」
何がこんなにもなんだっ!俺は何時もお前の事は気にかけているぜっ!!と無駄な反論を心の中で叫んだ瞬間だった。
「―――おい、坊主お前何してんだ?」
視界が一気に薄暗くなったと思った途端、背後から眠たげでけれども何処か呆れたような声が降ってくる。振り返ればジルの保護者…ではなくハールがそこにいた。
「な、何って…あんたこそ何してんだよっ!それに俺は坊主じゃねーぞ」
「俺からみれば十分坊主だ。俺はジルに用があっただけだ。おい、ジル」
まるで手招きでもするようにジルを呼びつける。そんなハールに、迷うことなくジルは駆け寄ってきた…一緒にいたミストも同時に。
「…はい、ハールさん。分かりました……」
何だろう、この微妙な感じは…というか明らかにバックがピンク色をしているぞ、ジル。それに引き換え隣のおっさん…じゃなかったハールは、淡々とジルに指示をしている。しているだけなのに、何でこんなにバックがピンク色なんだっ?!
「ふふ、ジルったら…邪魔しちゃ悪いから行こう」
隣にいたミストが俺の袖を掴むと「失礼しまーす」と元気よく二人に告げて、俺をどんどんと引っ張っていってしまう。そんな俺にジルは軽く手を振り、ハールは一瞥をくれただけですぐにジルへと視線を戻す。まるで最初から俺達なんかいなかったような…そんな感じで。お陰で何かピンク色が益々濃くなった気がする…俺の勘違いでなければ……。
「うーん、ラヴラヴだね。あのふたり」
何処がラヴラヴなんだ?!と思いつつミストを見ればニコニコと笑っていた。確かに背景がピンク色に見えたけど…アレってそういう事なのかっ?!
「羨ましいなージル。ずっとハールさん一筋だったものね」
「へーそんなんだ、あんなおっさんの何処がいいんだ?」
「おっさんなんて、酷いボーレ。ハールさん大人で素敵じゃない。余裕があって落ち着きがあってボーレとは大違いよ」
「悪かったな、どーせ俺は落ち着きがなくて…それに『鈍感』なんだろ俺は」
「あ、酷いボーレっ!盗み聞きしてたのっ?!」
勢いで言ってしまいしまったと思っても後の祭りだった。目の前のミストの機嫌がみるみるうちに悪くなってくる。悪くなりすぎて頬まで膨れている。
「い、いや盗み聞きじゃなくてたまたまだよっ、たまたまっ!だから怒んなよ、なっ」
「―――しょうがないなぁ…もう仕方ないから許してあげる」
「ありがとうミスト。流石ミストだぜ」
何が流石なんだか俺にも分からなかったが、取りあえず言っておく。余計な事を言ってまたミストの機嫌を悪くさせたら台無しになってしまうからな。
「それにしても…俺鈍感か?」
話題をこのまま別のものに摩り替えても良かったが、やっぱり気になったので聞いてみる事にする。やっぱり鈍感と言われれば気にならずにはいられない。
「うん、鈍感だよ。だって」
「だって?」
言葉を止めて、ミストが俺を見上げてくる。そしてふと視線を外して、そのまま俺の隣を通り過ぎて。通り、過ぎて。
「…だって私の気持ち…全然気付かないんだもん……」
ぼそりとひとつ呟くと、そのまま俺の顔を見ようとはせずそのままその場を去っていってしまった。甘い、髪の薫りをその場に残しながら……。
――――ふとした瞬間に、気が付いた。その髪の薫りに…甘い、薫りに……。
「…何だよ、それ……」
残り香の甘い薫りと、口中に広がる苦い味。
「…それって…それって……」
それは今まで知らなかった、恋の味。甘くて苦い恋の味。
「…それを言うなら…お前だって…鈍感だぜ……」
「…俺の気持ち…気付いて…ねーんだからよ……」
お題提供サイト様 確かに恋だった