ずっと瞼を閉じたままで柔らかいまどろみの中にいられれば、私はずっと。ずっと淋しくはない。ずっとこのままで、眠っていられたならば。
―――――けれども貴方は私を呼ぶのね。私の名前をその声で呼ぶのね。その声、で。
瞼を開いた先に在る小さな手のひらを、そっと握り締めた。枯れ木のように細く、少し力を込めたら折れてしまいそうなその手を、そっと。そっと、握り締めた。その瞬間氷のように冷たかった指先に少しずつ、ぬくもりが生まれた。そっと静かに、生まれる。
「…貴方ずっと私を見ていたのね。何時も…気付けば私の視界に入っていた…どうして?」
指先から伝わる細く頼りないものが、ゆっくりと全身に伝わってくる。それが始まりだった。この物語の始まりだった。
「―――髪の色が綺麗だったから」
真っ直ぐに見上げてくる翠色の瞳に映る自分の顔が、何故だろう?ひどく淋しく見えたのは。どうしてだろう、こんなにも私が淋しいのは。
「銀色の髪なんて、見た事なかったから」
それは多分、初めての事だった。初めて私を真っ直ぐに捉えた瞳だった。そして初めて私が真正面から見た瞳だった。他人から見られている自分の姿に、初めて向き合った瞬間だった。
「…貴方名前は?……」
「―――サザ」
捉える瞳に光はなく、けれども曇りもなくて。ただそこにあるものは『無色』だった。何もない空っぽな、それでいながらも何処か惹き込まれる真っ直ぐな瞳。
「そう、いい名前ね。私はミカヤよ」
「…ミ…カヤ…」
「ええ」
「―――ミカヤ」
確かめるように口の中で呟き、そして声として発した言葉はひどく。ひどく、優しく苦しかった。切なくて、暖かかった。だから。
「…ミカヤよ…今日から私が貴方の『姉』になる…貴方の家族になる」
それは私が生まれて生きてきて、初めて。初めて自分の意思で選んだ事だった。自分の意思で決めた事だった。自分自身の気持ちで、選び取った選択肢だった。
――――終わりも、さよならも。夢も現実も、その全てがこの手のひらの中に在った。
貴方にとっての永遠は私にとっての一瞬で。貴方にとっての未来は私にとってのひとときで。それでも構わなかった。それでも良かった。この手を取った瞬間、それは分かっていた事だった。
「ミカヤ、ほらっ!いっぱい花が咲いているっ!!」
無邪気な笑顔。ただの少年の笑顔。子供特有の未来だけを見ている笑顔。それはとても眩しいもので。風に靡く翠色の髪と、きらきらと輝く瞳。その全てが私にとっては愛しいものになった。
「本当ね、サザ。綺麗ね」
「でもミカヤの方が綺麗だ」
伸ばされた手を握り返し、二人で一面の花畑の中を走った。子供に戻って私も貴方と同じ歩調で走った。風に舞う花びらと、鼻孔をくすぐる甘い薫りの中で、ふたりでじゃれあった。
「ありがとうサザ。大好きよ」
「俺もミカヤが大好きだ。一番、大好きだ」
貴方はまだ私の背の半分しかなくて、抱きしめればすっぽりと腕の中に入ってしまう細くて小さな子供で。それでもそんな子供なりの精一杯の愛情を私に注いでくれる。それはどんな想いよりも透明で純粋で、そして優しかったから。
「――――ありがとう、サザ」
生まれて初めて私が作った『家族』は、何よりも暖かく何よりも優しくて、そして何よりもかけがえのないものになった。私の終わりの見えない生の中で、間違えなく一番輝いている瞬間だと、胸を誇れるものだった。
永遠も、ずっとも、私はいらない。今この瞬間があればいい。この泣きたくなるほどに優しくてしあわせな瞬間があればいい。それだけで、いい。
この結ばれた指先が永遠でなくても。
「ミカヤ、大きくなったら俺が」
ずっとなんて言葉が、ただの音でしかなくても。
「俺がミカヤを護るから」
それでも、私の胸の奥に降り注ぐものがある限り。
「――――俺が絶対にミカヤ…護るから」
きっと私は独りじゃない。もう、独りじゃない。
「…だから、泣かないで。泣かないで…ミカヤ……」
伸ばされた指先は小さな子供の手。それでもそれは私にとっては何よりも頼もしいものになる。どんな手のひらよりも安心出来るものになる。ただひとつの、手のひらになる。
「…ごめんね、サザ。何でもないの…何でもないの…ただ嬉しくて……」
本当はずっと淋しかった。独りで生きてきた事が淋しかった。けれどもそれに気付いてしまったら、もっと。もっと淋しくなってしまうから、気付かないふりをした。気付かないように瞼を閉じて、世界の隅っこに閉じこもって。私が作り出した柔らかいまどろみの中で眠る事で、そうやって自分自身を護っていた。
―――――本当はずっと。ずっと、淋しかったのに……
私を呼ぶ声がある。真っ直ぐに私だけを呼ぶ声がある。それは孤独で優しい私の眠りを妨げ現実の世界へと呼び戻すただ一つの声。
「…ミカヤ…泣かないで…ミカヤ…俺…俺……」
「大丈夫、私は大丈夫―――貴方がいるから、大丈夫」
生きる事、生きてゆく事。ふたりで、生きるという事。その意味をこの瞬間、私は知った。独りではないという事を。独りではないのだという事を。結んだ手のひらの、繋がった命の絆の意味を。ふたりが結んだ絆の意味を。
だって貴方の瞳に映る私は、凄く淋しくて。そして私の瞳に映る貴方は、もっと淋しくて。
他に知らなかった。私達は知らなかった。淋しさを埋める手段を、他に知らなかった。こうして指を絡める事しか、ぬくもりを伝えあう事しか。それでもふたりで見つけたものだから意味がある。ふたりが手探りで見つけた絆だから、何よりも意味のあるものになる。
「―――うん、ミカヤ。ずっといる。俺がずっとミカヤのそばにいるから」
私の名前を呼ぶその声が。その声だけが、私をこの世界に呼び戻す。優しくて淋しいまどろみから私を目覚めさせる。貴方のその声だけが。あなたのこえ、だけが。
――――ミカヤは俺が護る。どんなになっても俺が……