恋を、している。ずっと恋をしている。貴方と出逢ったその時から、私は治る事のない恋の病に犯されている。
瞼を開いた先に在るその顔が何処か歪んで見えるのは、決して気のせいではない事は嫌という程に分かっていた。それでも見つめた。歪んでも滲んでもその顔を見つめた。
「―――エイミ…笑えよ、俺お前の泣き顔に昔から弱いんだよ」
笑っているよ、私笑っているつもりだよ。それでもどうして歪んでしまう。視界が、世界が滲んでしまう。一生懸命に口許に笑みの形を作っても…どうしても。
「笑えよ、お願いだから…笑ってくれよ……」
貴方が笑ったら笑うよ、そう言おうとしたのに口の動きが止まった。止めずにはいられなかった。だって私よりも、もっと。もっといっぱい貴方が泣いているから。私以上に、貴方が泣いてくれたから。
「…うん…笑うよ…トパック…私……」
腕を伸ばし、そのまま髪を撫でた。何時でも陽だまりの匂いのする優しい髪に。この髪の感触を指先が覚えた時、私は怖いものなんて何一つなくなったはずなのに。なのに、今はこんなにも怖いと思う。この指先の感触が失われた瞬間を思い浮かべたら、何よりも怖いとそう思った。
ともに時を歩めない事を不幸だとは思わなかった。一緒に年をとれない事は哀しかったけれど、それでも私は貴方の全てを見届ける事が出来る。貴方の未来をずっと私は見てゆく事が出来る。それは決して不幸なことではない。けれども、その事を貴方が苦しむのが…何よりも私は辛かった。
「…カリル先生に言われた…俺にその覚悟がないのなら…お前のそばにいるなと……」
ずっと追いかけていた背中が振り向いてくれた瞬間、知ってしまったどうにもならない事。自分に流れる血の意味を、自分の存在を。それでも一緒にいたかったから、本当の事を告げた。その瞳が真っ直ぐに自分を捉えてくれた瞬間、この指が柔らかい髪の感触を覚えた瞬間、私には怖いものがなくなったから。だから、全てを告げた。
「―――トパックは…私が印つきだから…一緒にいられないの?」
「そんな事はないっ!!絶対にそれだけはないっ!!ただ……」
「ただ?」
「…どう頑張っても…俺は…お前をずっと護れてやれねーんだと思ったら…そう思ったら…」
優しい人。不器用だけど真っ直ぐで、そして。そして何よりも暖かい人。そんな貴方だから好きになった。大好きになった。大好きだから。
「…そう思ったら…俺は…お前の笑顔をずっと…させられないんじゃないかって……」
「―――馬鹿ね、トパック…そんな事…何でもないよ…」
髪に伸ばした手をそっと頬に降ろす。そこから伝わるぬくもりは暖かい。それはまるで貴方の心と同じだから。
「…そんな事…何でもないよ…私が笑顔になれないとすれば…それは貴方がこんな風に私に対して苦しんでいるから…貴方が哀しいと私も哀しいんだよ」
「…エイミ……」
「…だから笑って、ね…貴方が笑えば私も笑えるよ…だから…だから……」
可笑しいね、私達。私達何よりも互いの笑顔を望んでいる筈なのに、こうして向き合って泣きじゃくっている。子供みたいにくしゃくしゃの顔で泣いている。可笑しいね、私達。
「ってお前が泣いていたら俺は笑えないだろーが、笑えっエイミ。ほらっ」
「…もうトパックたら……」
「そうだ、笑えよ。俺はお前の笑顔が見たいんだ。その為にここにいるんだから」
「―――うん、笑う。笑うから、トパックも…一緒に笑ってね……」
可笑しいね、私達。泣き顔で笑っている。涙いっぱいの瞳で、二人で笑顔の形を作っている。可笑しいね、私達。
ずっと見てきたんだよ。子供の頃から、ずっと。ずっと貴方だけを。届かない背中を必死に追いかけていたんだもの。だから大丈夫だよ。貴方を見てゆく事は、私にとっては自然な事だから。
物心ついた時から、大好きなお兄ちゃんだった。大好きで一緒にいたい人だった。それが大人になって恋だと気付いても、想いは変わらなかった。何一つ変わらなかった。だから分かるよ。私はずっと。ずっと貴方を見てゆくんだって。どんなになってもそれは変わらない想いだって。
―――――それはしあわせなこと。あなたの最期の瞬間まで見つめてゆける相手でいられることは。
しあわせなことなんだよ。とても贅沢な事なんだよ。それを私は望んでいるんだから。貴方のそばにいたいと願う事は、他の誰よりも欲張りな想いなんだから。
ひたいを重ね合わせ、ぬくもりを分け合って。
「――― 一緒にいよう、エイミ……」
睫毛を重ね、吐息を絡めて。指先を繋ぎ合せて。
「…うん、トパック…うん……」
全てをきつく結びつける事が出来なくても、それでも。
「…一緒にいよう…笑顔の為に…な……」
それでもこうして分け合える事は出来るから。分け合えるから。
―――――誰に何を言われてもいい。私達の幸せはここにある。ここにあるのだから。
俺の後を懸命についてくる小さな女の子だった。俺より小さい奴は周りにはいなかったから、得意になって『兄貴』になっていた。無邪気な顔で「すごーい、すごーい」と言われるのが嬉しくて、お前の前ではちょっとだけ背伸びしていた。
――――なのにいつの間にかお前は俺よりもずっと先に大人になっていた。
何時しか俺の隣に立ち、真っ直ぐに俺を見つめてきた。逸らす事なく全てを受け入れた瞳で、迷うことなく見つめる。そして告げる―――好きよ、トパックと。
俺は子供で、ずっと子供で…そんな俺を何時しかお前の腕が包み込む。無鉄砲で感情のまま生きる俺に、変わる事ない眼差しと変わってゆく笑顔で…全てを包み込む。
『…好きよ、トパック……』
俺の方がずっと世の中を知っている筈なのに、お前の瞳はもっと先に在って。もっと深い場所を知っていて、もっと苦しい事を理解している。それでもこうして同じ場所に立って、その言葉を告げてくれるんだ。
好きだ、お前が好きだ。俺の子供染みた我が儘も、全部受け入れてくれるお前が。大人になりきれない俺を同じ位置で笑ってくれるお前が。
「―――好きだ、エイミ…好きだ……」
思えばお前はずっと俺を見ていてくれたんだもんな。ずっと追いかけてくれたんだもんな。どんな時でも、どんな瞬間でも、お前に迷いはなくてただ。ただ俺だけを。
「…うん、私も…私も好き…大好き……」
そしてこれからも。これからもずっと。ずっとお前は俺を見ていてくれる。俺の全部を、見つめていてくれる。
「…ずっと…一緒にいよう…エイミ…もう俺は迷わない…俺のこれからの全部…お前にもらって欲しい……」
俺の言葉にお前は微笑う。何よりも誰よりも綺麗な笑顔で。そうだ、俺がお前にあげられるものは俺自身しかないけれど。それでもお前がそれを望むなら、お前が笑ってくれるなら…俺を全部あげるから。だから一緒にいよう。一緒にいてくれ。ずっと。ずっと、ずっと。
――――恋をしている。ずっと、恋をしている。貴方だけに恋をしている。