glowly days





―――笑顔と、光と、そして。そして、夢のような夢みたいな日々。


綺麗な笑顔だけを瞼の裏に閉じ込めて眠る日々が、何よりも幸福なものだと気付いたのは、今ここにある無邪気な笑顔のお陰だった。
「ゼルギウスっ!こっちじゃっ!!こっちじゃっ!!」
弾けるほどの笑顔をこちらに向けながら、精一杯に手を振る貴女が何よりも眩しくてそっと目を細めた。それでも消える事のない残像が瞼の裏に零れてくる。そんな瞬間がひどく。ひどく心地よいものだと気付いたのは、何時からだっただろうか?
「はい、サナキ様。今参ります」
もうずっと遠い昔のような気もするし、ついこの間のような気もする。正確な時など私にとっては無意味なものでしかなかったが、けれどもそれでもこの瞬間を閉じ込めておけたらと思った。呆れるほどの時間の中で、瞬きするほどのこの瞬間を。
「ほら、ここじゃ。ここから見上げる空が、私は一番好きじゃ」
まだ幼さの残る手のひらを精一杯空に向かって伸ばしてゆく。その手を絡め取りたい衝動に駆られたけれども、今はそれよりも。それよりもそんな懸命な仕草を見ていたいと思った。隣で見ていたいと。
「ええ、とても。とても綺麗ですねサナキ様」
「そうじゃろ、そうじゃろ。だから見せたかったのだ。そなたに、見せたかったのだ」
うんうんと頷き、満足気な笑顔をこちらに向けてくる。それはまるで褒めて欲しいと願う子供のようで、そんな無邪気さに不思議と心が穏やかになってゆく。優しく、なってゆく。


全ての感情を水の底に沈めた。淋しさも哀しみも、喜びも痛みも。そうする事で壊れゆく自らの心を護っていた。これ以上誰にも何からも揺らぐ事のないようにと。そんな自分に差し出された救いの手は、共に淋しさを共有する事で孤独を埋める事だった。同じ孤独を剥き出しにして埋めあう事で、淋しさからは解放された。けれども、何処か虚しくて。
『どうした?ゼメギウス。そなたの瞳が…淋しそうじゃ』
逸らされる事のない大きな瞳が、真っ直ぐに自分を見上げてくる。まだ幼くあどけない瞳が、揺らぐ事なく真っ直ぐに自分を捉えてくる。その瞳を逸らす事が出来なかった。幼さゆえの純粋さと何の駆け引きも持ち合わせてはいないその瞳が、真っ直ぐに自分を見つめてきたから。
『あ、でも今。今淋しそうじゃなくなったぞ。どうしてなのじゃ?』
『それはサナキ様。貴女の瞳に私が映っているからですよ』
微笑う、貴女。無邪気に、幸せそうに微笑む貴女。その笑顔がそっと溶かしてゆく。私の廻りの冷たい水をそっと。そっと溶かしてゆく。それはまるで春の陽だまりのような暖かさで、穏やかな日差しの中に吹き抜ける柔らかな風のようで。
『そうなのか?ならば私はずっとそなたを見ているぞ。ずっと』
『見ていてください。そうすればきっと…きっと私は淋しくないでしょう』
伸びてくる幼い手は、泣きたくなるほどの暖かなぬくもりがあって。そっと触れた瞬間に込み上げてきた想いを私はきっと。きっと永遠に忘れない。


――――笑ってください。私はあの瞬間に恋をしたのです。幼い貴女に恋をしたのです。


見上げた先にある空には雲ひとつない一面の蒼が広がっている。突き抜けるほどの蒼い空は、ただひたすらに綺麗だった。綺麗だと思った。
「夕方になると、お日様があそこの山に掛かるのじゃ。それが本当に綺麗でずっと見ていたくなるのじゃ」
「じゃあ日が沈むまでここにいますか?」
「いいのかっ?!でも遅くなるとセフェランに怒られてしまうのではないか?」
花が開くように弾ける笑顔が眩しい。私にとってこの空よりも綺麗なものはここにある。一番綺麗なものは、今ここに。
「大丈夫ですよ、その時は私がセフェラン様に怒られます」
「それは駄目じゃ、ゼルギウス。駄目なのじゃ」
ふるふると首を横に振る貴方の幼い仕草に無意識に口許に笑みが浮かんだ。普段は使徒として皆の前で大人のように振る舞う少女は、私の前では本来の姿に戻る。それが何よりも、私にとっての優越感だった。
「どうしてですか?サナキ様」
膝を屈め視線を同じ位置に合わせる。全ての世界に嘘をついたとしても、これから先貴女に嘘をつき続ける事になったとしても、私は。私は貴女への想いだけは嘘をつきたくないから。だから見つめよう、逸らすことなく真っ直ぐに貴女の瞳を受け止めよう。
「怒られる時は一緒、なのじゃ。ふたりで怒られるのじゃ」
貴女の言葉を聴く時は。貴女の少女の顔を見つめる時は。そして貴女とこうして本当の言葉を私が語る時は。
「はい、サナキ様。一緒に…一緒に怒られましょう」
それがただひとつの私の本当の事。嘘で固められた私のただひとつの、真実。貴女だけが知っていて、貴女だけが永遠に知る事のない私のただひとつの真実。


伸ばされた指先に指を、絡めて。そっと、絡めて。
「ゼルギウスは不思議じゃ」
何処にもないここにしかないこのぬくもりを繋げあって。
「どうしてですか?」
ふたりだけの暖かさをこうして分け合って。そっと分け合えたならば。
「そなたといると…とても」
――――何もいらない。もう、なにもいらない。


「…とても幸せな気持ちになれる……」


夢のような、夢みたいな日々。その日々に必ず終わりが来る事は分かっている。それでもこの瞬間は確かにここにあって。暖かなぬくもりと、優しい暖かさの中に。今この瞬間に。
「はい、サナキ様。私も同じです」
誰に触れられる事もなく根誰に知られる事もなく、ただふたりの間にあるもの。そっと静かに、あるもの。
「貴女といると私はとても幸せな気持ちになれます」
「同じじゃ」
「ええ、同じです」
少しだけ繋がった手に力がこもる。そんな事すらどうしようもなく愛しいと思った。愛しくて堪らないと、思った。
「私とゼルギウスは、一緒じゃ」
「―――はい、一緒です」
愛しくて、想いが溢れて。そして、愛している。笑われるくらいに呆れるくらいに、私は貴女を愛している。


ゆっくりと空の色が変化してゆくのを、ふたりは飽きることなく見ていた。ずっと、見ていた。ふたりで見ていた。それは夢のような、夢みたいな時間で。瞬きすれば消えてしまいそうなささやかな時で。けれども、大切だった。私にとっては永遠とも思える生の時間よりも大切なものだった。貴女とともに在るこの、瞬間が。


――――笑ってください。呆れてください。それでも私は愛している。貴女を、愛している。