Wherever you are



差し出されたその手に初めて重ねたあの時から、もうどれだけの時が経ったのだろうか?それはまるで昨日の事のように思い出されるのに、それなのにもう。もうこんなにもあの頃からずっと遠い場所にまで来てしまっていた。振り返る事から出来ないほどに、もう。


――――それでも貴方の手のぬくもりは、ずっと。ずっと変わらなくて。変わらないから、私はどうしていいのか分からなくてただ、泣きたくなった。


この瞳はずっと逸らされる事はなかった。どんな時でも真っ直ぐに自分を見つめていてくれた。けれどもそれは自分が彼にとって『主君』だからだと、騎士として護らなければならない存在だからだとそう思っていた。けれども。
「…エリンシア姫…もう二度と私はこの手を離しません……」
けれどもその先に在るものが、その先に見つめているものが私と同じものだと気付いたから。ふたりが見ていたものが同じだと…そう気付く事が出来たから。
「…離さないで、ジョフレ…もう二度と……」
初めて手を重ねたあの日から、ずっと遠い場所に来てしまった。きっともう二度とあの頃には戻る事は出来ないのだろう。けれどもそれ以上に今こうして重ねた手のひらの意味が、ふたりにとってあの頃よりももっと。もっと大切なものだと気付いたから。
「…もう私を離さないで…ジョフレ…私はずっと貴方だけが好きだった…だから……」
何よりも誰よりも大切なものだと、大事なぬくもりだとそう気付く事が出来たから。だから、もう二度と。
「―――離しません。私もずっと。ずっと姫…貴女だけを…愛していました……」
重ね合った手のひらを絡めて、そして。そしてきつく握り締めた。この指先がもう二度と離れる事がないようにと。もう、二度と。


ふたりにとって最初の記念日はこうして貴方が騎士として私の手のひらを取った日。兄弟同然に育ったふたりが初めて違う立場だと気付いた日。同じ場所に立っていない事を知った日。あの日から私達は一緒に指を絡めて眠る事がなくなった。無邪気に夕陽をふたりで追いかける事が出来なくなった。幼い私と幼い貴方が、ただの子供ではいられなくなった日。
『エリンシア姫、今日から私は貴女を護る騎士です』
真っ直ぐに私を見つめる瞳は昨日と何一つ変わらないのに、それなのに二人を取り巻く全てのものが変わってしまった。何もかもが。
『エリンシア姫、私の命を掛けてこれからは貴女をずっと護ります』
差し出された手のひらを重ねれば、手の甲に誓いの口づけをされる。それがひどく。ひどく、苦しくて。それはきっと私はそんな口づけを欲しくはなかったから。もっと違う意味の口づけが欲しいと思ったから。その時に気がついた。その瞬間に私は理解した。そう、私は恋をしていたのだと。貴方に恋をしているのだと。
『これからも…よろしくお願いしますね…ジョフレ』
けれどもその想いは気付いた瞬間に終わった。恋をしていると気付いた瞬間に、静かに終わりを告げた。貴方の向ける瞳が何も変わらないのに、なのに貴方の告げる言葉は騎士としての言葉だったから。だから理解した。貴方はずっと。ずっと私を護るべき存在として、主君として見つめていてくれたのだと。

――――無邪気に指を絡めて眠った日々も、何も知らずに夕日を追い駆けていたあの日々も。

何もかもが優しい夢のように思えて、ただ苦しかった。優しすぎる夢は儚い幻なのだと気付かされて。私がただ。ただ無邪気に夢見ていただけなのだと。それでも貴方はそばにいた。自らが告げた騎士の誓いそのままに私を護り続ける。それこそ貴方の命と全てを掛けて。それが何よりも嬉しくて、何よりも苦しいものだとしても。それは貴方が騎士である以上永遠に変わらないものだと思って、願い諦めていた。


けれども、同じだったから。ずっと変わらない視線の意味が同じだったから。
「…ジョフレ…これは夢ではないのですよね……」
私を見つめていてくれたその瞳が騎士としてではないと、気付く事が出来たから。
「夢ではありません。私がこうして貴女を抱きしめているのは決して夢ではありません。こんな暖かい貴女の身体のぬくもりが夢だなんて思える筈がない」
ずっと変わる事のない瞳で、私と同じ想いで、逸らされる事のない視線が。
「―――貴女のぬくもりを夢にだなんて出来ない」
ただひとつの答えを導き出してくれた。ただひとつの想いを、結んでくれた。


昨日の事のように思い出されるあの日も、今はただ。ただ切ない程に優しい日々になる。想い出という名の小さな箱の中で、それは甘くて切ない一枚の場面になる。そしてきっと。きっと今この瞬間も命の終わるその日には、ひたすらに幸福な優しい場面として小さな箱の中に置かれるのだろう。それでも確かに今この瞬間はここにあって、ただひとつの想いはきつく結ばれたのだから。
「夢にしないで、ジョフレ。もう私だけの夢に―――」
大きな手のひらがそっと私の頬を包み込む。それは叶わないと諦めて、けれども止める事が出来ずに夢想した場面だった。幼い恋心と、少女の愛する想いが入り混じって止められなかった淡い夢だった。
「―――愛しています姫…いえ、エリンシア……」
瞼を閉じればそっと降りてくる唇が、それは私が望んだ場所で。手の甲ではなく、私が夢見た場所で。こうして重なり合った唇の先に、言葉ではない言葉にする事の出来ないただひとつの想いが、重なった。そっと、重なり合った。


「私だけがずっと貴女に恋をしているのだと思っていました。私だけが貴女を思っているのだと…貴女はクリミアの姫だから、何時しかそれ相応の相手と結ばれて…私の知らない誰かのモノになった貴女をそれでも護り続けてゆく事が…それだけが私に許された恋だと思っていました…けれども、エリンシア…貴女が私を選んでくれたから…私の手を騎士としてではなく取ってくれたから…だからもう二度と…この手を離さない…」


重なり合った視線、絡めあった指先。重なり合った唇と絡めあう舌。その全てが騎士と姫ではなく、男と女だった。ただの愛する恋人同士のものだった。何もない、何も持ってはいない、ただの愛しあうふたりだった。
「…ジョフレ…愛しています…ジョフレ……」
名前を呼ぶだけで胸が震える。けれども呼びたかった。その名前を声にしたかった。声にして言葉にして、そして確かめたくて。
「私も、です。エリンシア…私も貴女だけを……」
この手が結ばれている事を。指先が重なり合っている事を。ぬくもりを分け合っている事を。想いが同じだという事を。その全てを。


今日がふたりにとってのもう一つの記念日だった。想いが繋がって重なり合ったこの日が。初めて結ばれたただひとつの想いの記念日だった。