―――降り続ける雨が全ての罪と嘘と、そしてただひとつの真実を…洗い流してくれたらいいのに。
真っすぐに降り続ける雨は、透明な直線となって地面を打ち付ける。痛みすら伴うような激しさで。その音を何処か遠くで聴きながら、窓にあたる水滴を見ていた。
―――もしもこの雨がずっと砂漠に注がれ続けたら、あの不毛な土地にも緑が広がるのだろうか?そうすれば、お前は嬉しいだろうか?
今はここにいない相手の存在を思い浮かべ、サザは苦笑を抑えきれなかった。そうだ、何時も。何時も嫌になるくらいに、結びつけてしまう。どんな場面でも気付けば最後は辿り着いてしまう。どんなに遠いところへと思考を運んでいっても。
――――どんな時でも、どんな瞬間でも、気付けば碧色の髪と瞳を思い浮かべている。
それはもう自分ではどうにも出来ないことだった。どうする事も出来ないから、嫌になるくらいにその面影を追い求めた。追い続け、そして。そして疲れ果てるまで。
欲望にきりがないと気が付いて、想いに終わりがないと理解して、諦めるという行為の無意味さに思い知らされた。だからもう。もう考える事はしない。考えるよりも先に、動いてしまう心がある限り。
戦いが終わり、ミカヤがデインの王になり、戦いとは違った意味での忙しさに追われる日々が続いていた。けれども今の自分にとってその忙しさこそが安堵を覚えるものになっていた。余計なことを考える暇もない、この日々こそが。少しでも隙間が出来てしまえばこんな風にまた。また、面影を捜している自分に辿りついてしまうから。
「…バカだな…俺は……」
印つきであることを隠さなくなった彼は、仲間を集めて小さな村を作るといって砂漠へと戻っていった。こうしてそれぞれが居場所に戻って、自分たちのすべきことをしている。それが今自分にある『日常』だ。それこそが皆で必死に戦って、手に入れたかけがえのない日常だ。でも。
「…ソーン…バルケ……」
でも、今ここにいない。お前は俺のそばにいない。戦っていたあの時間の中では、ずっとそばにいた。目を盗んでは何度も抱き合っていた。あのぎりぎりの日々の中で、それだけがただひとつの安らげる場所だった。それがどんな非日常的な日々であろうとも…手を伸ばせば触れられる場所にお前はいた。
「―――さよならじゃ…ないのにな……」
もう離れられないと気が付いたから、さよならは出来なかった。別れなんてもう無理だと嫌というほどに気付かされたから。けれども、お互いに戻るべき場所があった。在るべき日常があった。だから、こうして。こうしてそれぞれの場所に立っている。
打ち付ける雨音が激しさを増す。このまま。このままここを飛び出して、この雨に貫かれてしまいたい衝動に駆られた。このまま全てを。全てを、洗い流してしまえたらと。
降り続ける雨、霞む景色。ぼやけてゆく日常。このまま輪郭がなくなって、流れてしまえたらと思った。全部、全部綺麗に流されたら、この苦しみから解放されるような気がして。
けれどもそれが絶対に無理だということも、また分かっている。どんなに流されようが、どんなに溶かされようが、自分の心に在る怖い程の執着心がある限り。
「――――え……」
窓の先にあるのは曇った景色。ぼやけて、外側のない風景。直線になって打ち付ける雨。そして。そして、その中に映った鮮やかな碧色。それは。それは…
――――考える前に、身体が勝手に動いていた。濡れるのも構わずにその場を飛び出していた。
髪先から零れる雫がひどく綺麗に見えた。綺麗でそして、儚く見えた。
「…どうして…お前はこう…突然なんだよ……」
また少しだけ表情が大人になっていた。瞳の不安定さは変わらなかったけれど。
「お前に逢いたかったから、逢いに来た。それ以上の説明は必要か?」
それでもこうして見上げてくる表情に、あどけなさよりも艶やかさを感じるのは。
「…いらない…そんなもの…それよりも……」
こうして子供ではない別の生き物になってお前は。お前は私を誘惑する。
…噛みつくような口づけは、ずっと。ずっと、変わらないのに……
降り続ける雨が二人を濡らした。身体も心も濡らしてゆく。それでも離れなかった。離れられなかった。離れたく…なかった。
「…そんなにも私に…逢いたかったか?……」
触れては、離れて。離れては、また触れて。そして貪るように口づけを繰り返す。何度も、何度も。雨は冷たいのに唇はひどく熱かった。触れている個所が、焼ける程に熱かった。
「…逢いたかった…ソーン…お前に……」
吐息がかかる距離で、視線が絡み合う距離で、やっと。やっと、実感出来る。今ここにいるんだと。自分の目の前にいるんだと。
「―――だったら…このまま連れ去ろうか?」
耳元で囁かれる言葉に頷く代わりに、睫毛の先から雫が零れ落ちた。それが雨のためなのか、それとも別のものなのかは…自分にしか分からないものだったけれども。
「…このまま…お前を……」
連れ去ってくれたら、いいのに。本当にこのまま連れ去ってくれたら。でも、その言葉が叶えられる事はない。叶うことは、ない。
――――俺に選択肢を与えるのは、お前の優しさなのか?それともお前の想いなのか?
お前の想いからくるものならば、俺は絶対に答えない。
「…サザ……」
答えたら終わりのような気がするから。お前が俺に向けてくれるものが。
「…愛しているよ……」
こうして俺に向けられる想いが途切れないようにと、願って。
「…愛しているよ…サザ……」
祈って、望んで、確認する。お前が俺を愛していると言ってくれることを。
「…ソーン…」
この腕がずっと。ずっと、俺だけのものであるようにと。
重なる鼓動が溶け合ってひとつになれたならば。触れた個所から広がる熱が全身を巡って、そのまま。そのまま絡みあえたならば。
時々夢と現実の境目が分からなくなる。お前といると、分からなくなる。幸せすぎて、苦しすぎて、そして言葉が見つからないもどかしさに。その全てがぐちゃぐちゃになって、何もかもが不安定になって。
「――――この雨に全部、溶けたらいいのに……」
「…サザ……」
何もかも考えられなくなって。現実も日常も全部切り取られて。ただここに。ここにお前がいるんだと、お前の腕の中にいるんだとそれだけになって。
「…ぜんぶ、溶けてしまえたらいいのに……」
狂うほどに恋をして、壊れるほどに愛している。言葉ですら追い付けない想いが、全身を埋めている。それがもう罪なのか、裏切りなのかも分からない。分からない。
「…お前も…俺も……」
分かっているのは、お前を愛しているんだと。ただ、それだけだった。
雨に貫かれ、このまま。このまま全てを洗い流して、そして。そしてただひとつのものが残ればいい。この想いだけが、残ればいい…。