花弁



 見上げてくる濡れた瞳の奥に消えない欲望の炎を見つけたから、そのまま。そのまま、抱きしめた。きつく、抱きしめた。


――――恋よりも愛よりも、もっと。もっと先に在る想いがふたりを戻れない場所へと連れてゆく。


髪に絡まる指先は年相応の幼さが残っているのに、哀しい程にその動きは『大人』だった。子供でいる事を許されず、年相応の生き方を知らずに、望まずとも大人になった動きだった。
「…そうやって私の髪に触れるのは、わざとか?それとも…無意識の事か?……」
見かけよりもずっと細いその腰を抱き寄せ、息が掛かるほどの距離で見下ろす翠色の瞳は何処までも透明で、何処までも淫らだった。
「――――お前だからだよ。お前だから…触れるんだ……」
指先が髪に絡まり、そのまま離さないとでも言うようにきつく結び付く。振り解く事もせずにしたいようにさせていたら、迷うことなく唇を重ねてきた。そっと、重ねてきた。
「…お前以外の誰にも…俺は触れたくない…お前以外には……」
重ねるだけの唇が離れて零れてきた言葉は、何処までも剥き出しの想いだった。嘘偽りないただひとつの想いだった。疑う事すら出来ないほど、真っ直ぐに向けられてきた想いだった。
「…サザ…私が、欲しいか?……」
「欲しいよ、俺は。俺はお前だけが欲しい」
耳元で囁く言葉に迷うことなく答える存在を、愛しいという想いだけでは片づけられなくなっていた。愛しているという言葉でも足りなくなっていた。けれどもそれ以外に浮かぶ言葉がなかったから、だから告げる―――――愛している、と。お前だけを愛していると。


言葉の雨を降らせても。想いの全てを注いでも。それでも足りない。お前に私の全てを差し出しても、きっと。きっと私の全ての想いを伝える事は出来ないのだろう。



身体も心も自分自身のものでありながら、何処か他人のもののようだった。そんな自分を埋めてくれたのは『ミカヤ』という存在だった。彼女だけが俺を見出し救い、光を与えてくれた。暖かく優しいものを注いでくれた。それなのに。
「…ソーン…キスして…お願いだから…」
それなのに、俺はどうしようもない程に目の前の男に恋をしている。執着している、欲情している、愛している。もう俺にはどうする事も出来ない。どうしていいのか分からない。好きになりすぎて、もうどうすればいいのか分からない。
「言われなくてもしてあげるよ。お前が望む限り」
じゃあ永遠にキスしていて。この命が尽きるまで。この命が尽きても。俺が何処にもなくなって抜け殻になっても、ずっと。ずっと、キスをしていて。
「…ん…んんっ…ふ、…ぅんっ……」
唇を開き自ら忍び込んでくる舌に絡みついた。生き物のように舌を蠢かせ、何度も何度も根元まで吸い付いた。繋がっていたくて。何処でもいいから、お前と繋がっていたくて。
「…はぁっ…ぁっ…んっ……」
指先に馴染んだ髪は、もう目を閉じなくても感触を感じられる。瞼を開かなくてもその碧色が鮮やかに蘇る。もう何処を捜しても、俺の中にお前がいない場所なんてなかった。何処にも、ない。

――――俺の中の何処からもお前が溢れている。この指からも、この髪からも、この唇からも、この命からも。

愛なんてひとつだけでいいと思ったのに。絶対的な揺るぎないものが、ひとつだけあればいいと思ったのに。なのに、足りない。全然足りない。お前に対しては、幾ら貪っても足りない。足りない。
「…ソーン…もっと…もっと俺に触れて…俺の中に入ってきて……」
ミカヤだけを想って、彼女だけを護って。ただひとつのこの愛と絆だけで生きられたならば、こんなにも苦しくなかった。こんなにも醜くなかった。こんなにも…淫らにならなかった。
「―――ああ、幾らでも。幾らでもお前が望む限り」
綺麗なものなんて何一つなかった。優しさも暖かさも何処にもなかった。それでも良かった。それでも、いい。俺はお前が欲しい。お前だけが、欲しいんだ。


醜い程の執着心と、満たされる事のない欲望。本能よりも、もっと深い渇望。


胸の果実を含む唇の感触に堪えることなく声を上げる。女のように喘いで、感じているんだと下半身を押しつけた。こんなにもお前に、感じているんだと。
「…あぁっ…ああんっ……」
こんな風に甘い声を上げる自分なんて想像出来なかった。男に抱かれて狂う程に乱れる自分なんて想像も出来なかった。性欲すら自分に存在しているのかと疑う程に、淡泊だった自分からは思いもよらなかった。
「…ソーン…ソーン…あぁんっ…もっと…もっとぉっ……」
それなのに今自分はどうしようもない程欲情し、自ら脚を開いて目の前の男の肉棒を求めている。その逞しく強いソレで貫いてほしいと、中をぐちゃぐちゃに掻き乱してほしいと。
「―――もっと、どうして欲しい?」
囁かれる言葉は普段の声と変わらない。いつもの穏やかな声と。それと対照的に組み敷かれた自分はどうしようもない程に乱れている。息を荒げ、目を潤ませながら。
「…もっと…触って…俺に…そして……」
「そして?」
うっすらと瞼を開ければ濡れた視界に映る笑みは、獲物を狙う野獣のようだった。しなやかで、けれども鋭い獣。魅惑的な笑みで獲物を追い詰め、全てを食らい尽くそうとする野生の獣。それはどんなものよりも俺にとっては魅惑的で、抗えないもの。引き寄せられて自ら食らい尽くされたいと望まずにはいられないもの。
「…コレで…俺を……」
快楽でもつれる指先を伸ばし、硬く滾った肉棒に触れる。それはどくどくと強く脈打ち、全てを引き裂こうとするほどの強さを持っていた。
「…俺を…めちゃくちゃに…して…っ……」
「ああ、幾らでも―――幾らでも…私はお前の望む事は全て…全て叶えよう……」
ぞくぞくするほど綺麗な笑みだった。綺麗過ぎて眩暈すら覚えるほどの。それなのにこんなにも。こんなにも、強く逞しくそして。そして何よりも淫らな野獣だった。



愛しているだけじゃ全然足りないから。だから全てを食らい尽くそう。お前の全てをこの私が全て。全て、食らい尽くそう。


のけ反る喉を噛み切りたい衝動に駆られた。私の楔を受け入れ、激しく喘ぐその喉元を。
「あああっ…あああっ!!」
そのまま喰らいついて紅い血を飲みほして、全てを私の中に取り込みたいと。誰にも見せずに私の中へと。
「…ソーンっ…ソーンっ!…あぁぁっ!!」
けれどもそんな事をしたらお前の口から私の名前を聴く事が出来ないから。お前の翠色の瞳が私を映すことが出来ないから。お前のしなやかな身体を抱きしめる事が出来ないから。お前の柔らかい髪を撫でる事が出来ないから。
「そんなにいいか?私がいいか?」
「…イイっ…イイよぉっ…お前がっ…お前がっ…あぁぁっ!!」
乱れる髪から零れる汗の雫が、夜に濡れた瞳から落ちる涙が、紅く色づいた唇から紡がれる喘ぎが、その全てが。その全てで私を誘い乱し狂わせる。
「私もだ、サザ。お前の中は気持ちいい―――何よりも」
狂ってしまおうか、このまま。このままふたり何処までも堕ちて、呆れるほどに抱き合って貪り合って。全てを捨てて、全てを壊して。

―――――そうしたらお前は私だけのものになるか?私だけのお前に…なってくれるか?

無理やり大人になったのは彼女―――ミカヤを護る為だけに。不自然なほど大人びた仕草を見せるのは全て。全て、彼女の為だけに。お前の中の全てに私を注いでも、溢れるほどに注いでも、それでも。それでもお前という存在を形成する上でどうやっても消す事の出来ない存在がある。今のお前という存在を作り出したかけがえのないものなのに。それなのに私は。私はそれすらも奪いたいと思う程に、お前という存在に執着している。

「――――あああああっ!!!!」

喉を噛み切れないのならば、せめて。せめて吐息の全てを奪う口づけをしよう。上も下も繋がって、そして。そして想いの全てをお前の中に吐き出そう。今この瞬間だけでも、お前の中に在るものが私だけになるように。


乱れる息のまま告げる言葉はただひとつ。
「…ソーン…ソーン……」
ただ一つお前の名前だけ。それしか知らない。
「…愛しているよ、サザ……」
それ以外にはもう何も。何も浮かんでは来ない。
「…ソーン…俺も…俺も……」
もう何も考えられない。お前以外には。


愛よりも欲望よりも執着よりも、もっと。もっと先に在るものがふたりを戻れない場所へと連れてゆく。何処にも戻れない場所へと。でもそこに後悔はなく、ただ。ただ想いだけがあった。互いに対する想いだけが。