静かにふたりを包み込む優しい闇が、ずっと続くようにと願ってしまう私は愚かなのだろうか?けれども、このまま。このまま何もかもが闇に隠されて、優しさだけが残ってくれればと。ふたりを包み込む哀しいくらい優しい時間が、ずっと続けばと。
――――肌を重ねているのに、ぬくもりを分け合っているのに、どうしてこんなにも淋しいの?
白い首筋に唇を落とせばそこから朱い色がさあっと広がってゆく。それを確認しながら、サイアスはのけ反る首筋のラインを舌で辿った。
「…はぁっ…ぁっ……」
ざらついた舌の感触が、睫毛を震わせるのを止められない。唇からは甘い吐息だけが零れ落ち、まともに言葉を紡ぐ事は出来なくなっていた。ただ甘い疼きに身を任せ、溺れてゆく事しか出来なかった。
「…サイ…アス…様っ……」
うす暗い闇の中で、紅い髪だけが鮮やかに瞳に映る。けれども濡れた視界ではその鮮やかな色彩すら、何処かおぼろげに映るだけだった。
「―――スルーフ……」
「…んっ…ふ…んんっ……」
名前を呼ばれて目を開ければ、唇が開き蠢く舌が誘っていた。それに戸惑うことなく自らのそれを絡め取ると、そのまま指を結んだ。きつく指を絡め合いながら、口づけを交わす。深い、深い、口づけを。
「…はぁっ…んっ…ふっ…んん……」
濡れた音と口づけの合間に零れる吐息だけが室内を埋める。音のない部屋を埋めてゆく。それを聴いているのはこの優しい闇だけで。
「…あっ…サイアス…さ…ま…っ……」
名残惜しげにふたりを結ぶのは唇から引いた一筋の濡れた糸。それをサイアスの舌が掬いあげ、口許から零れる唾液を舐め取った。それだけで…首筋を竦めずにはいられなくて。
「スルーフ、目を開け」
告げられた言葉に濡れた視界で目の前の顔を見つめれば、そこにあるのは哀しいくらいに優しい闇だった。紅い色をした哀しい闇だった。
「お前に映っているこの顔だけが真実だったら…きっと私は救われたのだろうな……」
その問いかけに答える事が出来なくて、スルーフは背中に腕を廻す。それしか出来なかった。それしか自分に出来る事は、なかった。
二人の間にあるものが優しさだけならば救われたのか?ただ包み込む優しさだけならば。けれどもその先の元を求めて、満たされない代償に身体を貪って。そして。そして、残っものがこれだけならば。この優しい闇だけならば。
望んだものはただ穏やかな暖かさだった。それだけだった。
「…それでも…お前の瞳に映る私が一番……」
この身体に流れる血も、与えられた運命も、何もいらないから。
「…一番…幸せ顔をしている…それだけは……」
何もいらないから、だから。このままで。このままふたりで。
「…それだけは『本当の事』だ……」
このままふたりで、優しい闇の中に溶けていってしまえたならば。
――――なにもいらない。なにもほしくない。こうしてふたりで、いられるのならば。
貫かれる痛みはすぐに快楽へとすり変わる。じわりと広がる熱に犯され、擦れ合う肉の感触に溺れた。
「…ああっ…あああっ…サイアス…様っ!…あぁぁ……」
零れる言葉はただ一人の名前だけ。甘い悲鳴と、ただひとつの名前だけ。それだけで、いい。それだけでいいのだから。だからもう何も、何も考えられなくて。考えられなくなったから呑まれた。与えられる快楽の海に溺れた。与えられる刺激に、溺れていった。
唇から零れるのは甘い悲鳴と、自分の名前だけで。そこにはもう他の言葉はない。他の存在も世界もない。何も、ない。在るのはふたりだけで。ふたりだけ、だから。
「…スルーフ…私だけの…スルーフ……」
自らの下で喘ぐその顔をサイアスは見下ろした。もうそこにあるものは意識ではなく快楽だけで。その中で呼んでくれるのは自分の名前だけで。
「…あぁっ…ぁぁぁ…サイアス様…サイア…ス…さまっ……」
神様が赦してくれなくても、それでもいい。全てに赦されなくても、それでも構わない。それ以上にふたりでいたかった。こうして二人だけの世界にいたかった。ここしかなかったから。この場所にしか、剥き出しの存在になれなかったから。
「…ああっ…もうっ…もうっ…私は…あぁっ……」
こうして身体を重ねている時だけが、こうして肉欲に溺れている時だけが、その瞬間だけが全てを消し去ってくれる。自分の血の色を、自分に流れるこの血の色を。
――――何もないただの『私』にしてくれる……
最奥まで貫いて、その体内に欲望を吐き出した。想いを、吐き出した。何時もこの瞬間だけが、安らぎだった。こうして何も考えず何もかもが真っ白になって、欲望を注ぐこの瞬間だけが。
けだるさの残る身体のまま、きつく抱きしめあった。火照った身体は焼けるように熱い。それでも離したくなかった。離れたくなかった。
そうして瞼を閉じて優しい闇の中へと溺れてゆく。ただひとつの場所へと…溺れてゆく。