その先にあるもの



声が、聴こえたの。とても、綺麗な声。とても、哀しい声。
それがそっとこころに響いて、落ちてきた。あたしに落ちてきた。
綺麗でそして哀しい声だから。だから、あたし。
あたしねこの声をそっと。そっと抱きしめたかったの。


淋しそうだったから、哀しそうだったから。


貴方をあたしが助けてあげる。全ての苦しみから、全ての哀しみから、助けてあげる。だから。だから独りにしないで。あたしを独りにしないでね。あたしの手を取ったら、もう二度と離さないでね。



不思議な色彩をしたその瞳が、真っ直ぐに僕を見上げる。大きな瞳、だった。アメジストの宝石のような瞳。けれどもそれは光の加減で、幾らでも違う色に見える。
「あたしが貴方を、助けてあげる」
ひどく子供のような顔で微笑う少女。無邪気に微笑む少女。けれどもその無邪気さの中に、何か違ったものが。違うものが、見え隠れしている。
「貴方があたしを呼んだから」
それは多分僕が。僕が必死で隠してきたものと。僕が心の底に押し込めて来たものと、同じだった。


初めて視線を合わせた瞬間に。初めて言葉を交わした瞬間に。
今まで胸の奥に閉じ込めてきたものが。必死に閉じ込めてきたものが。
まるで身体の中を逆流するように溢れてきて。溢れてきて。
僕はそれを堪える事に必死だった。必死に堪える事しか、出来なかった。


でも君の瞳はそれすらも。それすらも暴こうとしている。
まるで全てを見透かすかのように、僕を見つめている。


「…サラ……」
名前を、呼んだ。それだけなのに、口に広がるこの切なさは何なのだろうか?
「やっぱり貴方の声、好き」
名前を呼ぶだけで、声を零すだけで。この溢れるような切なさは。
「…サ…ラ……」
無意識に手を伸ばし、僕は目の前の少女の髪に触れる。瞳と同じ紫色のその髪に。
「好きよ、その声」
触れてそして。そしてそのまま。そのまましばらく僕は動く事が出来なかった。


音一つしない、静かな森。零れる音源は僕と君の声だけ。零れゆく日差しの光だけが、二人を包み込み、そして。そして静寂と、閉ざされた空間を作った。ふたりだけの、空間を。
「―――リーフ」
君が僕の名前を呼ぶ。擦り抜けるような声で。僕の耳を擦り抜けてゆくような声で。それはひどく心地よく、そして胸騒ぎを起こさせるものだった。
「ずっと聴こえていたわ。貴方の声が。あたしに聴こえていたの」
揺るぎ無い真っ直ぐな視線が僕に向けられ、髪に触れたまま呆然と動かない僕に。そんな僕にそっと。そっと君の白い手が、触れる。透けるほどの白い手が。それは全くリアルのないものだった。
「助けてって…そして淋しいって……」
けれどもとても。とても暖かい手、だった。僕の頬に触れた手は、暖かなぬくもりがあった。


抉じ開けられてゆく。閉じ込めていたものが。
今君の手によって。君の声によって、ゆっくりと。
ゆっくりと溢れて。溢れて、零れてゆく。僕が。
僕が懸命に閉じ込めていたものを。



「…あたし聴いていたよ…だってあたしと同じなんだもの……」



前を見て進むしか道はなかった。障害だらけの道を、それでも前に進むしかなかった。自分にしか出来ないものがあって。自分しかやれない事があったから。
それが不満だという訳じゃない。それが嫌だという訳じゃない。人は与えられた運命から逃れる事は出来ないのなら、それならば受け入れ進むしかないのだから。
けれども。けれども時々無性に。無性に泣きたくなる事があった。無性に声を上げて叫びたくなる時があった。
でもそんな事は僕には許されない。許されないのだから。
僕が進むべき道。僕が護るべきもの。その人達の為に僕は弱音なんて吐けない。僕は前を進むしかない。どんなに過酷な道でも、進むしかないんだ。
僕を支えてくれる人達の為に。僕を信じてくれている人達の為に。僕を…命を懸けて護ろうとしてくれている人達の為に。

その先にあるものを掴むために、僕はただの『子供』ではいられなかった。


けれども君の手が、君の声が。
「…一緒…だよね……」
そんな僕の心を暴いてゆく。
「…淋しいよね…一緒、だよね……」
堪えていたものを、剥き出しにする。


「…淋しいよ…サラ…僕は…独りだよ……」


廻りに僕を支えてくれる人はたくさんいたけれど。けれども弱音を吐ける人はいなかった。僕の弱い心を見せられる人は何処にもいなかった。そんな所を見せてしまったら、皆の士気に関わってしまう。皆の心を煩わせてしまう。そんな事は僕には。僕には、出来ないから。

だから前だけを見つめ、そして強く生きてゆかなければいけないと。


「あたしが貴方を助けてあげる」
頬に掛かる手が、そっと僕を包み込む。
「…あたしが…助けてあげる……」
そのぬくもりに包まれ、僕は。僕は気付いたら。
「…だからあたしも…あたしも……」
気付いたら、泣いていた。君の指先に熱い雫を、零していた。
「…あたしも…助けて……」



独りぼっち。ずっと、独りぼっち。
さみしくて、さみしくて。くるしくて。
でも。でも声が聴こえたの。聴こえたから。
同じようにさびしいって、くるしいって。
あたしと同じように見えない場所で、叫んでいる声が。
誰にも分からない場所で、救いを求める声が。
その声が、聴こえたから。あたしには、聴こえたから。


だからひとりじゃないって。ひとりぼっちじゃないんだって。



僕の涙に君が微笑う。それはひどく無邪気で、そして。そしてひどく切ない笑みだった。そして僕は気が付いた。気が、付いた。その先にあるものが、君と僕にとって一番欲しかったものだと。心の底から、願っていたものだと。


誰にも言えずに、けれども諦めきれずに、願っていたものだと。