祈り



――――貴方の為に、祈るから。

光がないと言うのならば。
私が貴方を導く光になる。
愛がないと言うのならば。
私が貴方の愛になる。

だから。だから、自分をこれ以上苦しめないで。

「どうすればお前は明るく笑えるのだ?」
穢れなき、神に使えし者。血まみれの俺の手では、触れる事が許されない女。何よりも純粋な瞳で真っ直ぐに俺を見つめる女。
「私の望みは人々が皆、幸せになることです。皆が笑えば、私も笑えます」
幸せ…全ての人間の幸せ。その中に…俺は、含まれているのか?バカな事を思って、それを心で否定した。そんな事を思って一体何になると言うのか?
「なるほど…聞いた俺がばかだったな、まあいい。俺はサバンのシヴァだ。おまえの名は?」
それでも、と。それでもと心の中で何かが告げている。何かが、訴えている。
「サフィ。ターラのサフィです」
その、誰にでも向けられるであろう…優しい笑顔に。

神がもしも存在するのならば。
どうしてこんなにも運命はばらばらなのか?
綺麗なまま一生を終える運命と。
穢れ汚れそしてぼろぼろになって死んでゆく運命と。
同じ人間として生まれながら、どうしてこんなにも違う?
誰もが望むもの。
それは、平和と幸せ。
でもどうして。どうしてそれは一部の人間にしか与えられない?
だから、俺は。
俺は神を、信じない。

―――血まみれの腕では、お前に触れられない。

「大丈夫ですかっ?!シヴァさんっ!!」
真っ青な顔で駆け寄るお前。優しい、女。誰にでも優しい女。今こうやって傷を負っているのが俺でなくても、お前はそんな顔を向けるんだろう。
「今ライブをかけますから…少し我慢してください…」
そう言って俺の為に祈る女。清らかなこころで。その心の中には、俺のような血の匂いのする感情は何処にも存在しないのだろう。
「―――大丈夫だ…このくらい…慣れている…」
人を殺す事が、仕事だ。そしてそれと背中合わせに殺される事が約束されている。生きるか、死ぬか自分にはそれしかない。それ以外のものはない。それ以外の人生なんて…選べなかった。
「ダメですっ!」
俺の言葉を遮るようにお前は言うと、その杖を掲げた。傷口は見る見るうちに塞がってゆく。お前の祈りが神に届いたとでも言うように。
「これで大丈夫です、シヴァさん…でもあまり無理しないでくださいね…」
「無理するなか…それは出来ない相談だ。そんな事をしたら俺は死ぬ」
「…シヴァさん……」
「シスターお前には分からないかもしれないが…死ぬか生きるしかないんだ。どちらかしかないんだ俺には」
「…だったら…生きてください…」
不意にお前の瞳の色が変化する。それは微妙な変化だったけど。確かにお前の瞳の色が変わった。それは。それはひどく憂いを含んだ瞳で。ひどく切ない瞳で。
「…生きて、くださいね……」
その先の言葉をお前は噤んだ。何が、言いたかったのか?何を、告げたかったのか?俺は聴く事が出来なかった。いや多分…俺にはそれを聴く資格などないのだろう。

―――私は神に全てを捧げた身です。
この全ての信仰と祈りを神に捧げました。
私の身も心も全て神のものです。
でも。でも今私は。私の心は。
貴方の事で全て埋め尽くされています。
貴方の事が、心配で。貴方の事が、気になって。
貴方の瞳を見つめていたくて。貴方の笑顔が見たくて。
…貴方の愛に…なりたくて……
どうしたら、貴方は笑ってくれますか?
その血まみれの腕を、どうしたら清めてあげられますか?
どうしたら貴方の孤独を埋められるのですか?
私ではダメなのでしょうか?
私では貴方の孤独を、埋められないのでしょうか?
私では貴方の手を、清められないのでしょうか?

―――どうしたら私は…貴方の愛に…なれるのですか?……

「シスター…お前は前にリーフの為に死ねるといった…その命を差し出す事をいとわないと。でも俺には生きろと言うのだな」
「…私は…貴方に生きて欲しいから……」
「自分の死は平気で口にしながら、俺の死を否定するのか?」
「……違います…これは私の…我が侭です…」
「シスター?」
「…私が…貴方が死ぬところなんて…見たくないから…他の誰よりも…貴方の死だけは……」

「…見たく…ないから……」

頬から零れ落ちる透明な涙。それは他の誰でもない俺に向けられた涙。俺だけに、向けられた涙。
「…シスター……」
触れても、いいのか?この血まみれの腕でお前に。俺が、触れてもいいのか?
「…シヴァさん…」
手を伸ばしてそっと。そっとその涙を拭った。暖かい、涙。優しい、涙。綺麗な、涙。お前が俺のためだけに流してくれた、涙。
「…暖かいな…お前の涙は……」
それ以上俺は何も言えずにただ。ただお前の涙を拭う事しか出来なかった。まるで腫れ物に触るかのように、そっと。そっとお前に触れることしか。

―――神の存在なんて、信じない。
神などこの世にいない。けれども。
けれども俺は。
俺はお前だけは、信じる。
俺のためだけに流してくれたその涙を。
お前のこころを、俺は。
…俺は、お前だけは信じる……。

暖かい手。大きな手。
そして何よりも優しい手。
例えこの手が無数の人を殺したとしても。
私は、私はこの優しさを信じている。
この手の暖かさを、貴方を信じている。
だから祈らせてください。
貴方の為に、祈らせてください。
私は神に仕えるものとしては失格なのかもしれない。
私はその資格すらないのかもしれない。
それでも。それでも私は。
私は貴方の救いの手になりたい。
他の誰でもない貴方の。貴方だけの。

―――貴方の為に、私は祈る……

「…神の存在など信じない…でも俺は…お前だけは…信じている……」