少し厳しい昼の日差しが、眠る少女の瞼から透けて見える。
少女の眠るベッドの下からは、ワイワイガヤガヤという喧騒が引っ切り無しに聞こえていた。
それもそのはず。少女が眠るのはクリミア王都メリオル一番人気の大衆酒場『カリルの店』の二階の部屋。
少女はこの店の店主夫妻ラルゴとカリルの一人娘エイミ。
いつもなら、このエイミも忙しい両親の手伝いをしようと、小さな体で一生懸命店を走り回り、客の注文を聞いたり、出来上がった料理を運んだりしているのだが、まだエイミは片方の手の指で数えれる年の子供だ。
お昼ご飯を食べた後は、お腹がいっぱいになってどうしても眠くなってしまう。
なのでカリルはエイミに昼食を取らせた後は、一時間ほどの昼寝の時間を与えていた。
すーすーと、お気に入りの縫いぐるみ達に囲まれて眠るエイミの寝姿は、文字通り天使の様に可愛らしい。
だがその天使の寝顔は、
「カリルせんせーーー! こんにちわーーーー!!」
「おや、トパックじゃないかい!」
(……とぱっく……トパックおにーちゃん!?)
明るい少年の声と、その少年の名を呼んだ母の声で、夢の世界から引き戻された。
トパックが店にやって来た!
それを知ったエイミは、ベッドから飛び降り、軽く母の化粧台の前で寝乱れた髪を整え、店の方に降りていく。
「いらっしゃいませ! トパックおにーちゃん!!」
「お! エイミ!!」
久しぶりだなと挨拶をするトパックに、エイミはタタッと駆け寄って、えいっと元気よく飛びついた。
「うわ!? いきなり飛びつくなよな! エイミ!!」
「えへへー」
男としては小柄なトパックだが、エイミはそれ以上に小さな子供なので、勢い良く飛びつかれても、まだトパックでも転ばずに受け止めることが出来る。
なのでエイミは安心してトパックに体を預け、嬉しそうにトパックの髪に頬ずりをする。
「くすぐったいって!」
困ったようにトパックが笑うも、エイミは笑顔で頬ずりを続ける。
エイミはオレンジ色のトパックの髪が好きだった。
トパックの髪は太陽のように温かい。その暖かさは干したての布団のようで、エイミは気に入っていた。
「ふふ。エイミはトパックお兄ちゃんが大好きなんだねぇ」
その光景を微笑ましそうに見つめながらカリルが言うと、エイミは一瞬の躊躇も見せずに
「うん!」
と、答える。
エイミはトパックの髪だけではなく、トパックの全てが大好きだった。
明るい笑顔も、まだ子供っぽさが残る性格も。
このカリルの店は、店主夫妻が三年前のデイン‐クリミア戦役で、当時クリミア王女だったエリンシアの近くで戦ったことからか、同じく戦役で共に戦った王宮騎士団の客が多い。
なので自然とエイミの周りは、自分よりも大きな大人ばかりになってくる。
そんな中、年に数回だがこの店に遊びに来てくれる母の弟子であるというトパックは、年も子供で中身もまだ大人になりきっていないことからか、エイミにとってとても親しみやすい相手であった。
ジョフレたちでは付き合ってくれないような遊びでも、笑顔で付き合ってくれる明るいお兄ちゃん。
そんなトパックを、エイミは慕っていた。
「おにーちゃん。今日は何して遊ぶ? おままごと? それともかくれんぼ?」
エイミは、今回もいつものようにトパックが家に遊びに来てくれたのだろうと思い、一緒に遊んで欲しいと誘うのだが、エイミの誘いにトパックが申し訳なさそうな顔をした。
「ごめんな、エイミ。今日は遊びに来たんじゃなくって、用事の途中で寄っただけで、早く帰らないといけないんだ」
「用事? 何かあったのかい?」
トパックの言葉に、カリルが首を傾げると、トパックがザッと今日この店に来た理由を説明する。
二十三年前の虐殺で滅んでしまったと思っていたセリノス王族の生き残りが、死の砂漠を越えた先の世界。幻の王国ハタリで生きていたこと。
その王子ラフィエルとハタリ女王ニケを、同じく生き残ったセリノス王族が住むガリア王国まで送り届けたこと。
今日店に来たのは、ガリア王国からベグニオンに帰る途中だということ。
「へー! セリノス王族の王子さまが生きてたって!? そりゃ凄いねぇ!!」
「だろ? しかも死の砂漠の向こうには、もうとっくに滅んだと思ってた狼の民が生きてて、国を作ってたって言うんだ」
「????」
トパックに抱えられたエイミの頭の上では、エイミでは分からない会話が交わされていて、エイミはキョロキョロとカリルの顔を見たり、トパックの顔を見たりするしか出来なかった。
(うう………)
二人にのけ者にされている。そんな気持ちがエイミの小さな心に芽生え、顔をつい俯かせてしまう。
「どうした? エイミ」
そんなエイミの様子に気づいたトパックが、やっと自分の方を向いてくれたので、エイミは笑顔で顔を上げる。
「ううん! 何でもない!!」
トパックが視線をこちらに向けているだけで、エイミは嬉しい。
悲しげだった顔も、トパックに自分を見てもらえて、途端に笑顔に変わる。
ずっとトパックに自分の方を見ていてほしくて、エイミは笑顔でトパックを見上げるのだが、またトパックはカリルの方を向いてしまった。
「そんな大事なことなら、トパックの言う通り早く帰ってサナキ様に伝えないといけないねぇ」
「ああ……あいつ、セリノスのことじゃ、今でもすっごく心を痛めてるみたいだからさ……。
ラフィエル王子のことを早く話して、少しでも安心させてやりたいんだ……」
(トパックおにーちゃん……?)
そうやってカリルと話すトパックの顔は、エイミが今まで見たこともないような顔をしていた。
エイミが知っているトパックの顔は、底抜けに明るい太陽のような笑顔だけ。
でも今のトパックは、王宮騎士団の騎士団長ジョフレが時折見せるような、どこか悲しげで、遠くを見つめるような顔……。
(や……やだよぅ……)
そんな顔はイヤだとエイミは思った。
トパックは、今決して辛い目に合っていないだろうに、何故かエイミはトパックに、そんな顔をしてほしくなかった。
悲しげで切なげで、心から何かを想っているような顔を。
エイミは、自分がどうしてそんなことを思うのか、よく分からなかった。
でもトパックがすぐ近くにいるはずの自分を見ず、遠くにいる何かを見ているのが辛くて、瞳は自然に涙に滲んできていた。
(うぇぇ……ふぇぇえ……)
その涙が零れそうになるのだが、
「ん? どうかしたか、エイミ」
「う……ううん!!」
トパックが顔をコチラに向けてくれると、涙はすぐ瞳の奥に引っ込んで行く。
(だいじょうぶ……だもん……)
トパックが自分の方を向いてくれたことをよいことに、エイミはギュッとその顔を抱き締める。
――大丈夫。トパックおにーちゃんの視線は、自分の方を向いてくれている。遠くを見ても、また自分の方に戻って来てくれる。
そう思いエイミは、混乱しかけた心を落ち着かせる。
「じゃあ先生。おれもう行くから」
「ああ。気をつけて帰りなよ、トパック」
もう行かなければならないと、エイミはトパックの手からカリルの手に渡される。
いつもならトパックが帰ってしまうのは寂しいと思うところだが、今日はそう思わないようにする。
(だいじょうぶだもん……トパックおにーちゃんは、またお店に来てくれるもん……)
トパックが遠くに行ってしまっても、トパックの視線が遠くを向いていても、また自分の方を向いてくれると信じているから。
だからトパックが帰っても大丈夫。自分ではない何かを想っていても大丈夫。大丈夫。だいじょうぶ。
エイミはそう言って、トパックがベグニオンに帰ってしまっても大丈夫だと、自分で自分に言い聞かせる。
「早く帰って、サナキ様を安心させてやるんだよ!」
「先生に言われなくてもそのつもりだよ!!」
(だいじょうぶだもん……だいじょうぶ……だいじょう……ぶ……)
だがそんなエイミの声も、『さなき』という人のところへ急いで帰っていくトパックの背中を見つめていると、何故か少しづつ小さな声になっていく。
(だいじょう……ぶ……だもん……)
それでもエイミは心もとない声で「だいじょうぶ」だと言いつづけ、沈みそうになる自分の心を必死の思いで励ます。
トパックの帰る先に、自分の前では見せてくれないような顔を見せてしまう存在があるように思えてならなかったから……。
FIN
リリカルさんの捏造カプ企画ページはこちらから