花びらの下で眠るのは、ただ独りの愛しい人。
零れ落ちる花びらは、君の屍の弔いの雨。
ひらひら、と。ひらひら、と。無数に零れる花びらは。
花びらは君を綺麗に飾る。とても、綺麗に。
―――綺麗に、飾る……
夜の闇に溶けてゆく、君と。そして僕の涙。ぽたりと零れて君の頬を伝ってゆく。
「…瀬戸口…どうして僕を置いてゆくの?……」
君だけを愛しているから、君だけを護るからと云ったその言葉は嘘だったの?
「…どうして…ねぇ……」
ぽたり、ぽたりと。君の頬に落ちる涙。何時しかそれは頬に掛かった花びらを流していった。涙の雨が、花びらを滑らせてゆく。
「…どう…し…て……」
何処までが、現実?何処までが、夢?何処が境界線なの?何処が区切られた空間なの?
そこを探そうとして、探そうとしたら。
―――足許が、そっと崩れ落ちた……
ただひとつ、君が僕にくれたもの。
それがこの胸の痛みならば。この苦しさならば。
この想いならば、この世界ならば。
僕は、僕は君からは何も欲しくは無かった。
『…速水…どんな事になっても俺は君を護る……』
護って欲しくなんて無かった。そんな事して欲しくなかった。
君が死んでしまうなら、僕は。僕はそんな事して欲しくなかった。
約束も、想いも、気持ちも、いらなかった。
―――何もいらなかった…君がそばにいれさえすれば……
好き、好き、好き。
ただ好きだった。大好きだった。
僕の醜い部分も、僕の弱い部分も、全部。
全部君だけが、受け入れてくれた。
君だけが、本当の僕を愛してくれた。
僕は救いの主になんてなりたくはなかった。
僕は勇者になんてなりたくなかった。
僕は君だけの僕になりたかった。
「―――どうして、僕の名前を呼ばないの?」
呼んで、ねぇ呼んで。
何時ものように優しい声で。
何時ものように胸に残る声で。
僕の名前を呼んで。
―――速水…って、呼んで……
「…ねぇ…どうして?…どうして…どうして……」
紫色の瞳が、大好きだった。夜明けの色を想わせるその色が。その瞳に映っているのが僕だけだと分かった時、初めて。初めて僕は生きていてよかったって思ったんだ。
バカみたいだろう?どんな勲章よりも、地球の平和よりも、約束された未来よりも、ずっと。ずっとずっと。
―――君の瞳に映る事の方が、嬉しかったんだ。
「…どうして…瀬戸口……」
何時ものように、抱きしめて。優しい腕でそっと包み込んで。壊れて擦り減って消費されてゆく僕を、抱きしめて。
「…瀬戸口…ねぇ…目…開けて……」
『HERO』と云うモノに消費され、削られ、なくなってしまう『僕』を助けて。
「…君の目…大好きなんだ…ううん…目だけじゃないよ……」
君だけが、君だけがくれた場所。『速水厚志』としての、場所。ただひとつの場所。
「…鼻も…口も…髪も…頬も…手も…脚も…爪も…全部…全部……」
君の腕の中だけが、僕が僕でいられる唯一の場所だった。君だけが、僕を僕として見てくれた。君だけが僕を僕として…好きになってくれたから……。
―――名誉も、尊敬も、地位も、何もいらない。
「君と名の付くものは全部、大好き」
何もいらないから神様、僕に彼をかえしてください。
君の冷たい唇にひとつ。ひとつ、キスをした。
それは僕からした始めてのキスだった。
君は何時も。何時も僕の想っている事を先回りして、そして。
そして僕の想っている事よりも、もっと。
もっと大切なものを、与えてくれた。
触れ合っている唇からぬくもりが染み込んで、君の身体に暖かさが灯ったらなと想った。
―――泣くなと、君に言っても…きっと君は泣くのだろうね。
ほら今もその大きな瞳からは大粒の涙が零れている。こんな時に不謹慎かもしれないけど、綺麗だと。とても綺麗だと、想った。
俺の為に流してくれる涙だからか?それはあまりにも自惚れすぎているのか?
手を伸ばして君の涙を拭いたいけどそれは叶わないみたいだ。手を伸ばそうとしても力が不思議と入らないんだ。可笑しいね、俺は君のためならばどんな事でも出来ると思っていたのに。
こんな時に、何も出来ないなんてね。君が、泣いているのに。
―――泣かないで、くれ…俺の為に……
俺はこれでいいんだよ。ただひとつの大切な君の命をこの手で護る事が出来たのだから。
俺がただひとつ誓っていた事を、実行できたのだから。君の命を、この手で。
だからそんなに、泣かないでくれ。俺の為に流す涙なんて、もったいないだろう?
……もっと涙は大事な場所にとっておくものだろう?……
ああでも、俺は。俺は何処かで喜んでいる。
君が俺の為に泣いてくれた事に。俺の為にそんな綺麗な涙を零してくれた事に。
俺はどうしようもない程の喜びを感じている。
お前のそんな綺麗な涙を、貰えるのならば。貰えるのならば、こんな命の一つなんて。
…幾らでも捧げてやるよ…速水…お前に……
ああ、でも。でももうそれも叶わない。
俺の視界はぼやけてゆく。真っ赤にぼやけてゆく。
そうか目に血が入っているんだね。だから君が。
君が何処か紅く見えていたんだ。
ゆっくりと、ぼやけて。ゆっくりと、霞んで。ゆっくりと、死んでゆく。
―――でも君を最期に見れたから…ただ独りの君を…見れた…から………
「…し…てる……」
最期の最期まで照れくさくって云えなかった言葉。
あれだけ好きだと云っていた癖に、この一言だけが云えなかった。
ごめんな、君にこの言葉を残す俺は何よりも残酷かもしれない。
それでも。それでも俺はどうしても。
――――どうしても伝えたかったんだ……
消えてゆく、音。霞んでゆく、視界。
そして頬に伝わるあたたかいもの。
とても、あたたかいもの。
しあわせだと、ただそれだけを、おもった。
―――あいして、いる……
ひらひらと、ひらひらと、零れてゆく夜の桜。
目を閉じて思い出すのはただ一言。最期の最期に君が僕にくれた言葉。
「…瀬戸口…瀬戸口……」
ぬくもりを分け合えない口付けの後に、零れるのは君の名前だけ。ただ一つ大事な人の名前だけ。まるで他の言葉を知らないように、他の言葉を忘れてしまったように。僕は。僕はただ君の名前だけを呼び続けた。繰り返し、繰り返し、その名前を。
最期に君は微笑った。僕の一番大好きな顔で。何よりも優しいその顔で、微笑んだ。
でもね、でも瀬戸口。それは何よりも僕にとって残酷な事だったんだよ。
「…瀬戸口…好き……」
目を閉じ君の冷たい身体に頬を寄せた。
そしてそのまま腕の中に眠る。
何時ものように君の腕の中に丸まって眠る。
ここ以外に僕は知らない。
僕自身を護ってくれる場所を。
僕自身が素直になれる場所を。
―――ここ以外、知らないから。
ひらひら、ひらひらと。
夜の桜が零れて来る。
夜のさくらが、降って来る。
君の弔いの花びらが、降り積もる。
一緒に、眠ろう。このまま、眠ろう。
音のない鼓動は僕には聴こえるから。
暖かさのないぬくもりは僕には伝わるから。
だから、このまま。
このままふたり、静かに埋もれよう。
END