見えない糸に囚われてゆく。
無数の細い糸に、全てが。
全てが捉えられてゆく。
髪に、耳に、顔に、頬に。
手に、脚に、首筋に、腰に。
無数の柔らかくけれども鋭い糸が。
僕の肉体を抉り、そしてこころを切り刻む。
そして僕は捕らえられる。
…自ら望んだ、その糸へと……
――――どんなに突き離しても、君は僕の傍にいた。
屈託のない笑顔で微笑って、僕のそばに寄ってくる。誰にでも好かれる君の廻りにはたくさんの人がいるのに。たくさんの人が君を求めているのに。皆、君のその光の近くへと行きたいのに。それなのに僕のそばに君は、いる。何時も僕のそばに、いる。
「だって僕は君が好きだから」
笑ってそう言って、それ以上は言わない。その先を言わずにただ僕のそばにいる。それ以上気が僕に対してどうこうする訳ではない。ただ。
ただ君は、何時も僕を助けてくれる。僕が車椅子ら転びそうになるとそっと手を差し出して、階段を昇る時は何時も手助けしてくれる。何時も、何時も。
「君の場合は態度で示さないと…信じてもらえないからね」
笑って…微笑う…。優しい笑顔で微笑う。まるで子供のように微笑う。ひどく無邪気に。
その笑顔が僕にはどうしようもなく妬ましかった。僕にはどうしようもなく羨ましかった。そんな風に僕は笑えない。そんな風に笑うことは僕には出来ない。僕の心は何時しか笑うことを忘れさせていた。意識せずに、こころの底から笑うことを。
だから君の笑顔は妬ましく、羨ましい…そして、眩しい。
囚われて、ゆく。
その柔らかい笑みに。
その優しい言葉に。
そこから滲み出る強い感情が。
どろどろとした感情が僕の心に忍び込む。
そしてがんじがらめに、僕を。
僕を縛り付け、逃げられないように絡め取る。
でもそこから逃げないのは僕自身。
そこから動かないのは僕自身の意思。
…僕は…僕は…何処にもゆきたくはなかった。
このまま君に。君に囚われたかった。
「まあいいよ。何時しか君を僕だけのものにするからね」
何も言わない僕にそう言って、唇を奪われた。触れるだけの、優しいキス。けれども。けれどもその唇はひどく、熱い。
離れた瞬間イヤだと声にしようとして、僕は言えなかった。言うことが、出来なかった。見つめた先の思いがけない瞳の真剣さと、そしてその強い視線に。
―――僕は…僕はこころの何処かで……
……何処かで…望んで…いた……
逃げようと思えば逃げられるはず。
まだ逃げることが出来たはず。
それでも僕はその場に立ち止まった。
その強い視線を受け入れた。
こころの奥深くを鷲掴みにする手を。
何時しか僕は心待ちにしていた。
―――僕は君を、待っていた。
囚われて、捕らえられて。
その無数の糸が皮膚を食いちぎってゆく、感触すら。
内臓を引き千切り、透明な血を滴らせるその瞬間すら。
ひどく甘美なものに思えるから。
「…速水……」
名前を呼んだ。呼んで、みた。
その声に見返す瞳はただ優しい。
そしてその優しさから少しだけ染み込んでくるこの色は一体なんだろう?
この突き刺さるような感情は?
―――この激しいまでの、感情は?
「僕だけのものに、するからね」
でも、本当は。本当は僕は知っている。
この僕に染み込み、内側から侵してゆく感情を。
君が僕に差し出した、その想いは。
―――僕の心の中にも、存在したものだから。
多分見つめた先に見たものは同じものなのだろう。
ふたりが見つめたものは、同じものなのだろう。
けれども。けれどもまたそれは。
決してしあわせにはなれないと、また知っている。
それでもその選択肢を選ぼうとする僕らは間違っているのだろうか?
いや間違っていてもいい。誰にも理解されなくてもいい。
君が僕を捕らえて、僕が君に囚われた。ただそれだけ。
それだけがふたりの、真実なのだから。
END