鳥になりたい。鳥になって、あの青空を自由に飛びたい。


誰の手も借りずに、誰の力も借りずに。
誰にも関わる事無く、全ての輪から抜け出して。
ただ独りで。独りで、空を飛びたい。


――――誰の目に止まる事無く、あの蒼い空に溶けていってしまえたならば……



風がひとつ、吹いた。その風に靡く彼の髪を、速水は少しだけ離れた場所で見ていた。漆黒の細い髪が、そっと。そっと、風に揺れるのを。
太陽から溢れる光の粒子が髪に零れて、ひどく綺麗だった。きらきらと輝いて綺麗、だった。
「―――狩谷」
しばらくそんな彼の髪に見惚れていたけれど、耐えきれなくなって速水はその名を呼んだ。このまま。このまま言葉を交わさなかったら、何故か光が空が彼を浚ってゆくような気がして。
「…あ、速水……」
初めて自分の存在に気付いたように、少しだけ驚いた表情で見上げてくる。その顔がひどく速水には切なく見えた。ここにいるのに、何処か遠くにいるようなそんな感覚。

それが嫌だったから、驚いたままの瞳を瞼に焼き付けて、唇を奪った。


何時しか君はこの腕から離れてゆく。
それを僕が止めることも、奪うことも出来ない。
君は必ず僕から離れてゆく。それが、運命。

それでも僕は、君だけを愛した。

君が僕の目の前に立ちはだかり、未来を壊す者になる。
僕は君を倒せる唯一のヒーローになる。そんな。
そんな決められたシナリオを、ただこなすしかない。
こなすしかない、皮肉な運命。それでも、僕は。


――――僕は君だけを愛しているんだ…狩谷……


「…突然だ…速水……」
こうして今君は僕の目の前にいる。僕の前で微笑っている。
「今君にキスしたかったんだ」
こうして頬を包み込めば感じるのはぬくもり。命のぬくもり。
「…君にキスを…したかったんだ……」
見つめれば見つめ返す瞳。言葉を紡げは、返って来る声。
「好きだよ、狩谷」
けれどもそれは、必ず僕の手の中から失われる。


君を殺すことでしか、君を永遠に手に入れられない、哀しい運命。



自分をそっと抱きしめてくる速水の背中に、狩谷は戸惑いながらもその手を廻した。何時も彼は何処か突然だった。突然キスしたり、突然抱きしめたり…突然抱いたり…。自分の予想も付かない行動で戸惑わせながら、強引に自分の心を奪っていった相手。けれども好きだった。どうしようもない程に、好きだった。
「―――屋上でこんな事してたら、誰かに見つかるかもしれないね」
「いいよ、そうすれば君は僕のモノだって見せ付けられるから」
「…速水……」
少しだけ困ったような顔で速水を見上げれば、狩谷を見下ろす瞳の色が思いもかけず真剣だった。冗談で言ってるのかと思ったのに、彼は本気だった。
「今更だよ、速水。僕は君だけのものだよ。その為だけにこうして生まれてきたんだから」
微笑った。狩谷は柔らかく微笑った。その笑みの余りの儚さに、速水は彼をきつく抱きしめずにはいられなかった。



…僕は君のためだけに、生まれてきたんだよ…速水……


僕はその為だけに生まれてきた。君に殺されるためだけに。
君が歴史上にその名を刻むための捨て駒として、僕は。
僕は君を輝かせるためだけに、生まれてきたんだ。

でもそんな君を。そんな君を、僕は愛しているんだ。

いいよ、君になら。君になら何されてもいい。
この身体も命も全部。全部、君に捧げるから。
だから君は、綺麗な道を。綺麗な道だけを歩んで。


その為に、僕がこうして存在するのならばそれでいいんだ。


でも時々、無性に。無性に全てから逃げたくなる時がある。
全ての運命から他人から、そしてしがらみから逃げ出したいと。
空を飛んでいる鳥のように、自由になりたいと。鳥に、なりたいと。


どうしてだろうね、僕は君の為ならばどんな事でも出来る筈なのに。



「…速水…」
好きなんだ、君が。君だけが、好き。
「…もう少しこのまま…僕を…」
命も身体も、全部君に上げるから。だから。
「…僕を…抱きしめていて……」
だから忘れないで。僕のことを忘れないで。


君が歩む綺麗な道に『穢たない』僕を、心の隅に置いていて。


「―――君をずっと抱きしめていたいよ…狩谷……」
鳥になりたい。鳥になって自由に空を飛びたい。そうしたら。
「…ずっとこのまま永遠に……」
そうしたらずっと。ずっと、君を見てゆける。君だけを、見てゆける。
「…全てのものが赦されなくても…それでも僕は……」
速水、君だけを。君だけを、見てゆける。運命も宿命も関係ない場所で。



「…僕はずっと…君を抱きしめていたいんだ……」



鳥になりたい。自由になりたい。
全てのものから開放されて、そして。



……そして君の元へと…舞い降りたい……

ＥＮＤ