――――手のひらに零れ落ちた、星のかけら。
強い風が、ひとつ吹いて。強い風が、通りすぎて。
髪を、揺らした。ふわりと、揺らした。
その髪にひとつ風に飛ばされた花びらが絡まって。
絡まってまた。また、ふわりと飛ばされて。
何処かに飛ばされて、そして。そして見えなくなった。
もしもこの世界の最期の『ふたり』になれたならば。そうなれたならば、しあわせになれるのだろうか?
目を閉じれば光の残像が鮮やかに浮かんでいた。空に浮かんだ月は淡い光を放っていたというのに。なのに瞼の裏の月は嫌になるくらいに鮮やかだ。
「―――目、開けて」
耳元に囁かれた言葉に言葉で答える変わりに瞼を開いた。うっすらと輪郭のぼやけた視界。背中越しに見える淡い月の光も、ぼんやりとしている。瞼の裏の月はあんなにも。あんなにも鮮やかだったのに。
「駄目だよ、ちゃんと僕だけを見て」
まるで無邪気な子供のような笑みで君はそう言った。まるでと付けた時点で君は子供じゃない。そして本当は無邪気でもない。それは僕が一番分かっている事。他の誰よりも僕が。僕が知っている、事。
「月なんて瞳に映さないで。僕以外映さないで」
眼鏡は君の手によって奪われた。だから僕は真っ直ぐに君を見る事が出来る。君だけを見つめる事が出来る。微かに歪んだ世界だから。ぼやけた世界だから。だから君の視線を反らす事無く受け止められる。俯く事無く、見つめられる。
「―――速水……」
こうやって零した名前も、君だけに聴こえるように。君だけが聴けばいいように。ただひとつの、僕の本当の想いで、この名前を呼ぶ。
あの時、風が吹いて。強い風が、吹いて。
そして僕の髪先から零れていった花びらは。
ひとひらのそれは、一体。一体何処まで。
何処まで飛んでゆけたのだろうか?
――――それともすぐに落ちて、枯れていったのだろうか?
可笑しいね。レンズ越しに見た世界はとても鮮やかで鮮明なのに。なのに僕の記憶の中ではいとも簡単に滑り落ちている。けれどもこうしてぼやけた世界の中で見つめている君の顔は、ずっと。ずっと僕の脳裏からは消えないのだろう。ずっと、死に逝くその瞬間まで。
「可哀想だね、君は。僕が君を選んでしまったから」
伸ばされた両腕が背中に廻り、そのままそっと抱きしめられた。優しい腕。優しい声。何処までも君は僕に優しい。優しくて、そして残酷だった。
「もっと違う道が、君にはあったかもしれないのに」
そんな言葉は今更だと思った。君に出逢った時から、僕の前に道は一つしかなかった。真っ直ぐに伸びた道。君へと伸びた道。それは深い闇だけが続いてゆく道。光など何処にもない道。
それでも。それでも僕は、立ち止まる事すらしなかった。後を振り返る事すらしなかった。ただ差し出される君の手を掴みたくて必死に。必死にここまで辿り着いた。永遠に戻れない場所まで辿り着いた。
「でも、ごめんね。ごめんね、狩谷。好きだから…ごめんね……」
頬を滑る暖かな指先。重なる唇の感触。それは全部。全部、刻まれる。僕の身体に、心に、魂に、刻まれる。消えない印となって、君のモノだというシルシになって。
「…速水…僕も、好きだから……」
唇が離れて、そして見つめあって。ぼんやりとした世界の中、君だけが僕の目に鮮やかに映し出されて。君だけが、綺麗で。ずっと、綺麗で。
「…うん…狩谷…好きだよ…君だけが…君以外何もいらないから……」
僕の中に刻まれた君の言葉と、君の笑顔は。それは僕にとっての永遠だった。君にとっては今この瞬間でしかなくても。それでも僕にとっては、ずっとだった。
君にとって、僕は。僕は、あの時の花びらのように。
一瞬だけ絡まって、そして消えてゆく存在。
その中で、僕は。僕は君にとって、一瞬になるのか。それとも。
―――それとも、永遠になれるのか?
なれなくてもいいよ。その分僕が。僕が想うから。
溢れて零れる想いを、全部。全部、僕が。
僕が持ってゆくから。僕だけが、死に場所へ持ってゆくから。
君が生きてゆく世界に、これからの未来に僕がいなくても。いなくても、君が強くなれるように。
しあわせなのは、僕のほう。好きな人の為に生きて、好きな人の為に死ねるのだから。僕の苦しみは一瞬でしかない。僕の痛みはほんのひとときでしかない。でも君の苦しみや痛みは、これからも先に続いてゆく。生きている限り、続いてゆくもの。
「僕の命は君にあげたんだ。だから全部僕は、君のものだよ」
この瞳も、髪の先も、唇も。身体も、つま先も、命も。全部僕という存在は君の為に存在している。それはとってもしあわせなことだって思えるから。しあわせ、だって。
「…狩谷…僕だけの狩谷……」
誰かのために生きるのが一番楽な生き方だって、誰かが言っていた気がする。その為に生きれば他のことは何も考えなくていいから。自分で選ばなくていいから。沢山の選択肢を選ぶ苦悩も、それを選ばなかった後悔も知らなくていのだからだと。
確かにそうかもしれない。僕は一番楽な生き方に流されているのかもしれない。だって何も考える必要がないんだもの。君以外の事を考える必要がないんだもの。君だけを想って、君だけを好きになって、君のことだけを考えて。それだけで時が過ぎてゆく。それだけで僕の命が過ぎてゆく。君に殺されるその瞬間まで。君に殺されるその時まで。僕は君のことだけを、考えていればいいのだから。
それ以外の生き方なんて知らなくていい。それ以外の選択肢の結果など、必要ない。
君の背中に腕を廻した。抱きしめられる腕の力が強くなるのを感じながら。その強さに胸が締め付けられるのを感じながら。
「うん、僕は君だけのものだよ」
他の選択肢も、それ以外の生き方も、君に選ばれなければ。君に殺される運命を望まなければ、得られたものだった。けれども。けれども僕は知っている。嫌になるくらいに、分かっている。
この道を進む以外の選択肢を選ぶ事は、僕にとって『後悔』でしかない事を。
「―――好きだよ、速水……」
本当はどうでもいいんだ。何もかもがどうでもよかったんだ。だって僕は。僕は君が好きだから。結局僕の中にあるものは、それだけだったんだから。
星が、落ちる。僕の手のひらに、落ちてくる。
落ちた星のかけらは。てのひらの、それは。
―――――ちっぽけな、僕の運命のカタチ。君という光から零れた、小さな僕。
END