――――このまま。このまま、君をこの場所に。
君を閉じ込めておけるならば。君をそばに置いておけるならば。
それならば何も。何も傷つく事も、怖い事もないはずなのに。
なのにそれが許されないから。許されはしないから。だから気付けば、僕は。
僕は君を泣かせることしか、出来なくなっていた。
本当はずっと。ずっと君に微笑っていて欲しかったのに。泣かせたくはなかったのに。
優しく抱きしめて、そして。そして好きだって、ずっと囁いていられたならば…よかったのに。その髪を撫でて大事なんだって告げられていられればよかったのに。
「こんな事されても、君は僕から逃げないんだね―――ううん、逃げられないの?」
乾いたシーツの音と共に狩谷の身体が、ベッドの上に投げ出される。脚が不自由なせいで受身の姿勢が取れずに、そのまま身体はシーツの波に埋もれていった。
「本当は僕から、逃げたいんでしょう?」
髪を掴み顔を上げさせると、速水は狩谷の眼鏡を取り外した。そうすれば少しだけ、ほんの少しだけ自分の顔が彼にはぼやけて見えるだろうと思って。今誰よりもひどい顔をしている自分の顔が、少しだけ。それがただの気休めでしかないと分かっていても。
「逃げないよ、速水…僕は……」
見つめ返す漆黒の瞳は、少しずつ壊れてゆく。それを速水は止める術を知らない。止められるはずもない。壊しているのは他でもない自分自身なのだから。彼を『竜』として選んだのは自分自身なのだから。
「僕は君から、逃げないよ」
自分の意思が自由になる両腕で、狩谷は速水の背中にしがみ付いた。それは細い肩だった。細くて力を込めたら、壊れそうなほどの。でもこの両肩には誰よりも重たい運命が圧し掛かっている。誰よりも逃れられない、深い運命が。そう、世界の選択が彼を選んだのだから。
「…逃げないよ…速水……」
肩に顔を埋めてしまったせいで狩谷の表情は見えなかったけれど、それでも速水には伝わった。速水には、分かった。彼が泣き顔で今、微笑っている事を。全てを諦めた顔で、それでも瞳だけが、縋っている事を。
ずっと君とともに、いられたならば。
優しくして、大事にして。そして。
そしてずっと。ずっと、抱きしめているのに。
でもそれは出来ない。君を殺さなければ物語りは完成しない。
矛盾しているのは分かっている。それでも止められない。
「―――逃げないよ、速水。君が好きだから」
君を殺すと決めたのは僕。君を選んだのは僕。なのに。
「逃げないから、だからもうそんな顔をしないで」
なのに失いたくない。なのに、君だけは失いたくない。
「もうこれ以上、傷ついたりしないで」
失いたくないんだ。けれども君を殺したいんだ。
しがみ付いて来る腕をそのままに速水は狩谷をベッドに再び押し倒した。乱暴とも言える動作で衣服をは剥ぎ取ると、色素の薄いその肌に唇を落とした。どこかひんやりとした冷たさを感じるその肌に。
「…ふっ…んっ……」
尖った胸の果実を口に含み、舌先で転がした。空いた方の突起は指先で摘み、そのまま捏ね繰り回した。両方の性感帯を刺激された身体は、ひくひくと小刻みに揺れてゆく。それと同時に身体に熱が灯り、ひんやりとした冷たさが消えていった。
その瞬間が、何よりも速水にとっての安らぎだった。何よりもの安堵できる瞬間だった。そして理由のない不安に駆られる瞬間だった。冷たい肌にぬくもりが灯るこの瞬間が。
「…速水っ…ふぅ…はぁっ……」
細い腕、華奢な身体、色素の薄い肌。そのどれもこれもが、哀しく愛しく、もどかしい。声にするには、あまりにも複雑過ぎて言葉に出来ない想いが全身を支配する。けれども胸に湧き上がる感情はあまりにも単純だった。ただ好きだと、それだけが沸き上がる。
「―――狩谷」
自分は今どんな顔で彼の名前を呼んでいるのだろうか?それを知りたくて瞳を開かせれば、泣きそうな自分の顔が映し出された。今にも泣きそうな、情けない自分の顔が。それがひどく滑稽で、ひどく虚しく思えた。自分で決めた事なのに、運命の選択が決めた事なのに。なのに未だにこんな顔しか出来ない自分が。
「…狩谷…狩谷……」
自分の最も愛する者を竜に選んだのは自分自身。彼を殺す事を選択したのは自分自身。運命が自分に選ばせた。最初から決められたシナリオが自分の口から彼の名前を言わせた。
「…速水…好きだよ…僕は君が……」
優しくしたいのに、優しく出来なくて。残酷にしたいのに、残酷に出来なくて。どっちつかずで中途半端で。だから余計にこんな風に気を使わせ、傷つけてゆく。それでも自分をどうにも出来なくて。どうにも、出来なくて。
「好きだから、そんな顔…君がする理由は何処にもないんだよ」
抱いているのは自分の方なのに、その両腕で抱きしめられているような気がした。
何もかもを諦められたならば。何もかもを捨てられたならば。
そうしたらもう何も苦しくない。何も苦しくはないのに。なのに。
なのにそれでもどうしても。どうしても心の何処かで諦められない自分がいる。
―――全てから逆らう事など、無意味だと分かっていても。頭の中で、理解していても。
細い腰を掴むとそのまま一気に貫いた。その衝撃に顔が苦痛に歪んだが、それでも構わずに速水は身を進めた。深く中を抉り、肉を擦れあわせる。その摩擦が痛みと快楽を生み、狩谷の表情をひどく淫らに見せた。
「…ああっ…あぁぁっ……」
濡れた唇が悲鳴のような喘ぎを零し、それが欲しくて速水は唇を自らのそれで塞ぐ。下を絡めあわせ、濡れた音を響かせて。上も下も繋がって、ぐちゃぐちゃになるまで。
「…んんんっ…んんんん…っ……」
死のうかなと、ふと思った。彼を殺した瞬間に、自分も死のうかと。そうしたらその瞬間このシナリオは終わる。自分という名の運命が決めたシナリオを、終わらせる事が出来る。けれども。けれども、それは許されないだろう。許されはしないのだろう。それでも。
「…はぁぁっ…あぁぁ…速水っ…はや…みっ……」
それでもそんな夢想を描く事ぐらい許されていいはずだ。そんな叶わない夢を願う事ぐらい。
「…狩谷…好きだ…好きだよ……」
「―――あああっ!!」
ひくんっと強く自分を締め付ける内壁の刺激を感じながら、速水はその中に白い欲望を大量に吐き出した。
このままで。このままで、いられたならば。
もう時なんて進まずに、世界なんて動かずに。
なにもかもがこのまま。このまま止まってしまって。
全てが前に進まず、後に戻る事もなく。ただ。
ただこの場所に。ここに、いられたならば。
―――赦されない望みを願い、叶わない夢を追いかける。
「…どうしたら…君が…微笑ってくれるのかな?…速水どうすれば君の苦悩を…取り除けるんだろう……」
狩谷の呟きに答えはない。それでも言葉にした。
言葉にしなければ伝わらないものがあるから。だから。
だから無意味だと分かっていても、言葉にする。
世界の選択に逆らえないと、知っていても。
「…どうしたら…微笑ってくれる?……」
それは速水の願いでもあった。それはふたりの願いでもあった。けれども。
けれどもそれだけが。それだけがどうしても、叶えられない事だった。
END