空を近くに、感じたい。
あの蒼い空の近くへと行きたい。
きらきらと光る太陽のそばまでゆきたい。
動かなくなってしまった僕の脚ではムリだと分かっているけれども。
それども僕は、あの空を感じたい。
暖かい太陽の匂いを、感じたい。
見上げたその背後に見えた空の色がとても、綺麗だったから。
「一緒に布団を干してくれませんか?」
初めこの人は何を言っているんだろうと思った。何故僕がこの人と布団を干さなければなにないのだろうと。
その言葉に僕はきょとんとした。車椅子に座っているせいもあるだろうが、目の前に立つひどく背の高い彼の顔を見上げながら。けれども見上げた先の彼の顔は、ひどく真剣だった。
「…何で?……」
そのあまりの真剣さに、僕はつい聞き返してしまう。すると彼ははっと気が付いたようにこう言い直した。
「あ、いえ…そのよかったら僕の家に遊びに来てくれませんか?」
―――どうして布団を干す=遊びに来てになるんだろうか?
その頭の中の図式に僕は首を傾げずにはいられなかった。彼の家に遊びに行くと言うことはすなわち布団を干すと言う事なのだろうか…だったら一体どんな家なんだ?
「いや、ですか?」
僕が頭の中の公式を解こうとする前に、頭上から声が降って来る。身長に似合わず情けない声につい、また顔を見上げてしまった。
―――あ、なんか凄く傷ついた顔している。まるで僕が悪いみたいじゃないか、これじゃあ…。
まるで捨てられた猫のような瞳で僕を見つめてくる。一体僕が何をしたと言うんだ?!そう心の中で叫んでいたが、口は全然別の言葉を言っていた。
「いやなんて、言ってないよ」
言ってみてから後悔しても後の祭。目の前の大きな男はまるで子供のように嬉しそうに微笑った。…なんか犬、みたいだ……。
「じゃあ来てくれますね」
本当に嬉しそうに僕を見つめてくる。なんだかこっちもつられそうな笑みだった、から。だから僕は、つい。
「…う、うん…」
…つい、こくりと頷いてしまった……。
空を、感じたい。
近くに、感じたい。
こんなにも遠くなってしまった空を。
どんなに伸ばしても届かない空を。
もう少し近い場所で。
もっと近い場所で、見つめたい。
蒼くて、そして優しい空の色を。
――――太陽の光を、感じたい……
「やった!」
「えっ?!」
僕が疑問符を唱える前に身体がふわりと、浮いた。
まるで空に浮遊しているような感覚。
まるで宙にぽっかりと浮かんだような、感覚。
それは。それは僕がずっと忘れていた感覚。
「…あ……」
空が、近い。
まるで手を伸ばせば届くような。
届くような、空。
そして眩しいほどにきらきらとしている太陽。
暖かい、太陽の光。
こんなにも近くに空を見たのは何時ぶり…だっただろうか?……
そんな事を先に思ってしまって自分がどんな状態なのか気付かなかった。気が付いた時には後の祭だった。僕は彼に俗に言う「お姫様だっこ」をされていた。その力強い腕の中に、僕は女の子のように抱かれていた。
「…お、おい降ろせよ……」
その扱いが恥ずかしくて、抗議の意味も込めて睨み付けながら言ってみた。けれどもそんな僕に彼は心底不思議な顔で見下ろしてくる。
「どうしてですか?」
こんな風にまじかで見る彼の顔はひどく綺麗だった。無理もない、僕は。僕はこんなに彼を身近で見たことなんて…なかったから……。何時でもどんな時でも僕は『見上げる』事しか出来なかったから。
「どうしてもこうしてもないっ恥かしいだろうがっ!」
彼の顔に見惚れてしまった自分が恥ずかしくてわざとぶっきらぼうに言ってみた。けれどもその頬が微かに熱いのが自分でも分かる…なんで男相手にこんなに僕はどきどきしているんだろうか?
「いやです。せっかくOKしてもらったのに…もう少しこのままでいさせてくださいね」
けれども彼はそんな僕の気持ちなどお構いなしにひどく綺麗な顔で微笑うと、嬉しそうにそう言うのだった。
手を伸ばしたら、もしかしたら。
もしかしたらこの空にも。
この空にも、届くのかもしれない。
無意識に手を伸ばした先に、彼の長い髪があった。僕は躊躇いながらもそっと触れてみた。それはひどく柔らかい髪、だった。指を絡めてみたら、するりと擦り抜けた。
「僕の髪、気に入ったのですか?」
「…違う…ただ…手持ち無沙汰だったから…」
「だったら」
「僕の背中に手を、廻してください」
そう言ってにっこりと笑うその顔を見ていたら、僕は何も言えなくなってしまった。あまりにも嬉しそうに、笑ったから。あまりにもしあわせそうに、微笑ったから。
「…落ちるのが、イヤなだけだからなっ……」
それだけを言うと僕は顔を見上げられなくなって俯いた。そしてそのままそっと彼の背中へと手を廻す。その背中は広くてそして…暖かかった。
だから僕はしばらくそうして彼の背中に抱きつきながら、ゆっくりとその背中越しの空を見つめた。蒼い、蒼い、空を。
「しばらくこうしててもいいですか?」
その言葉に小さく僕は頷いた。あまりにも嬉しそうに微笑う、その顔と…それに……
―――それにこうして空を近くに感じるのは…ひどく心地よかったから……
END