――――ふたりきりの、甘い時間。
「貴方の脚が動かない事に…僕はこんな時に不謹慎にもよかったと思ってしまいます」
僕を抱きかかえながら、君は言った。確かに不謹慎だ…嬉しそうに言う言葉ではないだろう?
「こうして理由無しに貴方を抱く事が出来るから」
嬉しそうに笑って、腕に込める力が強くなった。本当に…君は不謹慎だ…けれども。
「理由がないと抱けないのか?」
背中に腕を廻して、君にしがみ付いた。広い背中は何故だろう…とても安心するのは。暖かく広い背中が、ひどく。
「あ、いえそんな事はないのですが…貴方が嫌がるかもしれないから」
―――安心、する…君の背中が…君の腕が…だから。
抱きかかえられながら、窓の前に連れて行かれた。最上階のホテルから見下ろす景色は何だか模型のような世界だった。おもちゃみたいだな、と思う。
「今日本で一番高い場所ですよ、ここは」
窓の景色を僕に見せながら、君は楽しそうに言った。あまりにも楽しそうだったから、ちょっとだけ意地悪をしたくなって君の髪を引っ張った。けれども君は笑っている。楽しそうに。
「つまらない」
「どうしてですか?」
「何で髪引っ張ったのに痛がらないんだよ」
「貴方になら何されても平気なんですよ、僕は」
そんなモンなのかな…とちょっとだけ思いながらも、僕は唇を尖らせて拗ねてみた。けれどもやっぱり君は笑っている。その顔があまりにもしあわせそうだったから、やっているこっちの方がバカらしくて止めてしまった。
その代わりもう一度長い髪に触れて、指先で弄ぶ。なんかじゃれているネコみたいだな、これ…。
「髪で遊んでいるのもいいですけど…景色見てください」
言われてもう一度その夜景を見下ろした。やっぱりミニチュア模型のような街並みが広がるだけだった。
「貴方に見せたかったんです。日本一高い景色を」
「どうして?」
「何時も貴方は見上げてばかりだから…見下ろす景色を見せたかったんです」
「って…遠坂…そのためだけにこのホテルの部屋…借りたとか?」
「はい」
僕の質問ににっこりと答える君に僕は呆れずにはいられなかった。確かにこいつは、尋常ではない金持ちだ。金持ちの思考は貧乏人には理解できないモノがあるらしいが…しかしそれだけの為にこんな高い部屋を借り切るなんて。それに大体――
「――だからってこのホテルの部屋全室を借り切る事ないだろう……」
「モノはついでですよ。それに貴方との時間を誰にも邪魔されたくない」
「………」
思わずその言葉に目が点になってしまった。そう言うモノなのだろうか?いや普通絶対に違うと思うのだが…でも……。
「今日は僕と貴方で貸切ですよ」
でも君が本当に嬉しそうにそう言うからそれでもいいな…と思ってしまった。
―――誰にも邪魔出来ない、甘い時間。
砂糖菓子よりも、マーマレードよりも甘い。
とても甘い、時間。
何時しかその甘さに溶かされて、何も。
何も見えなくなってしまう程に。
「…わ、身体くらい洗えるって……」
抱きかかえられたまま、僕はお風呂へと連れて行かれた。二人で入っても充分に余るスペースの広さに、驚かずにはいられない。やっぱり一流ホテルは違うんだなと改めて思う。
いいって言う僕の言葉を無視して、君の手によって服が脱がされた。その間にナンか変なことをされないだろうかと思ったが、そこら辺は妙に律儀で丁寧に僕の服を脱がしていったのだ。更に脱いだ服を折りたたむと言うマメな所を見せたりするのが、凄い。
僕の服を脱がして、自分も脱いだら再び抱きかかえられながら、バスルームへと連れて行かれた。そのまま僕の身体を洗おうとする。
「せっかくなんだから、いいじゃないですか」
「…せっかくって……」
「今日くらいは僕に何でもさせてくれませんか?」
何だかんだで何時も君は僕に何でもしてくれるのに…今更だと思う。今更だけど少しだけ嬉しかったりするのは、少し僕もはしゃいでいるのだろうか?
「手、上げてください」
そう言われて素直に従う自分は…やっぱり嬉しいのかも…しれない。
抱き上げられながら湯船に入れられると、そのまま後ろから抱きしめられる格好になった。大きな腕に抱かれるとひどく安心する。子供じみているかもしれないけど、そんな風に思わずにはいられなかった。
「髪に泡がついてる」
「あ」
君の大きな手が髪に伸びて、泡を取った。そのまま優しく撫でられるととても心地よい。このままずっと撫でていて欲しいなんて…女の子みたいだろうか?
「貴方の髪、いい香りがします」
「だって今シャンプーしたばかりだろう?」
「そうですね」
「君の髪だっていい匂いがする…って同じ香りだけどね」
くすりと笑いながら言えば、上からそっと唇が降りてくる。その甘やかなキスに、睫が震えた。
「ずっと、こうしていたいけど…のぼせてしまいますね」
「のぼせたら君が介抱してくれるんだろう?」
「けれどものぼせたら」
「―――のぼせたら…これから先に進めない……」
耳元にそっと息を吹きかけられるように囁かれた言葉に、僕はかあっと頬が熱くなった。別にこんな場所に来たのだから当然その先は…は思っていても、口に出されると妙に恥ずかしい。なんか僕が自ら期待しているみたいで。
「出ようか」
そう囁かれながら、そっと抱き上げられる。僕はただ両腕を首に廻して、答えることしか出来なかった。
火照った身体に冷たいシーツの感触はひどく心地よかった。濡れた身体を拭かれて、そのままベッドの上に寝かされる。お互い、何も身に付けていない状態で。
「…なんか今更だけど…恥ずかしい……」
こんな明るい場所でこう言った行為をすることがなかったから、改めて自覚するとひどく羞恥心が芽生えてくる。
「どうしてですか?貴方はこんなにも綺麗なのに」
「…どうして君はそんなに歯の浮くようなセリフを言えるんだよ…」
耳まで真っ赤になっているのが自分でも分かる。それでも君は相変わらずしあわせそうに微笑んで。
「―――それは貴方に恋しているからですよ」
その顔がやっぱりあまりにも嬉しそうだったから…僕は何も言えなくなってしまった。後は僕はその広い背中に腕を廻して、君の唇を受け入れる以外には……。
触れ合う肌の熱さと、重なり合う吐息。
君に貫かれる痛みが何時しか快楽に変わってゆく。
その波に身を委ねながら僕は。
―――僕は意識を手放していった……
目が覚めた瞬間に、優しい瞳とかち合った。
「…あ、僕……」
「大丈夫ですか?」
「――大丈夫って君のせい…だろう?」
「そうですね、ごめんなさい。無茶させました…貴方がとっても可愛かったから…」
「…もうどうして君はそう言う事ばかり……」
「貴方が好きだからですよ」
くすりとひとつ笑って、そっと甘いキスをくれた。目覚めのキスにしてはひどく甘すぎて、気持ちよくて…。
「…このまま…眠っても…いい?……」
その言葉に僕の身体を抱き寄せて、髪を撫でてくれた。僕は広い胸に頬を当ててゆっくりと瞼を閉じる。そして伝わるぬくもりを感じて。
「おやすみなさい」
―――その言葉を合図に、目を閉じた。
「これで貴方の寝顔も独りいじめ、ですね」
END