――――抱きしめる腕の強さに、ひどく泣きたくなった。
きつく、抱きしめられて。
息が出来なくなるほどに、強く。
強くその腕に抱きしめられて。
僕の全てを閉じ込めようかとするその腕の強さが。
僕には何よりも嬉しくて、何よりも哀しい。
―――どうして愛していると、言えないの?
「…遠坂……」
好きか、嫌いかと聞かれたなら。僕は迷わず好きだとそう言うだろう。君の事が、好きだと。けれども愛していると聞かれたら。聴かれ、たら?
「どうしたのですか?」
見上げれば何時も優しい瞳が僕を見返す。その瞳の優しさに気付いたのは何時、だった?
―――何時から、だった?
「君の髪、さらさらだね。好きだよ」
こうして君の髪に触れるのが、好き。こうして君の髪に指を絡めるのが、好き。
好きと言う言葉ならば、こんなにも簡単に言えるのに。こんなにも簡単に口から零れるのに。
「…好き……」
髪に触れて眼を閉じた。君の大きな手がそっと僕の頬に触れる。この手の感触も、好き。暖かい手のひらも、好き。
――――なのにどうして僕は、愛していると言えないの?
目を閉じて、君のぬくもりを感じた。
その暖かさが僕の全てになるように。
僕の世界の全てになるようにと。
目を閉じ、君を感じる。
僕の髪を撫でる、指。どこまでも優しい手のひら。この手に包まれている限り、僕はしあわせになれる。
「――貴方から言ってくれるとは思いませんでしたよ」
降り積もる声も、優しい。耳に心地いい。全てが僕にとって居心地のいいもの、居心地のいい場所。君のそばに要れさえすれば、僕は唯一の安らぎを得ることが出来るんだ。
「僕言っていなかった?」
「はい、初めて聴きました」
その言葉に顔を上げれば包み込むような眼差しが僕を見つめる。その瞳も僕は…大好きだよ。
「嬉しい?」
「嬉しいです」
躊躇いもなく君は、まっすぐに好意を伝えてくれる。僕が疑う間もなく、強い気持ちで僕の中に入ってくる。疑うことすら、出来ないほどに。
「ならもっと言ってあげる、君が好きだよ」
子供みたいに笑いながら僕は言った。前にこんな風に笑ったのは、何時だっただろうか?あまりにも遠い昔のような気がするのが不思議だった。そんな時は経ってはいないのに。だって僕が歩けなくなる前は、何時もこんな風に笑っていたのだから。
―――何時も、笑い転げていたのだから……
「嬉しいですよ」
君も微笑った。何時もの大人びた笑みとは違う子供みたいな顔で。そんな君の顔始めて見たけど…キライじゃない。そんな君も好きなんだ。
嘘じゃない。嘘じゃない、僕は本当に君のことが好きなんだ。
笑い合って見つめ合って、そして。そしてキスをした。いっぱいいっぱい、キスをした。
ねえ、どうしてかな?
どうして僕は。
僕はしあわせになれないんだろう。
どうしてなんだろう。
この手を取ればしあわせは約束されるのに。
この腕の中にいれば、何も悩むことはないのに。
それなのに、僕はどうして。
―――どうして君を、選べないの?
『―――君は…僕のものだよ……』
聴こえてくるのは、彼の声。
心の底から、心臓の奥から、聴こえるただひとつの声。
その声に怯えながら、その声を望む僕。
矛盾した倒錯した想い。
けれどもそれから逃れられない。
―――逃れたくは…ない……
しあわせになれるんだ。
君を選びさえすれば。
君の手を取りさえすれば。
僕を蝕むあしきゆめさえも。
―――その腕が護ってくれるだろう…・…
『誰にも渡さないよ』
僕を呼ぶただひとつの声。
僕を縛り付けるただひとつの声。
それに捕らわれ僕は呑まれてゆく。
その先が闇でしかないと分かっていても。
その先に未来などなくても。
それになれるのは、僕だけなんだ。
「…遠坂…ありがとう……」
―――速水…僕は君から逃れられない…
「僕を好きになってくれてありがとう」
―――君の絡めた糸から逃れられない……
「…そして…ごめんなさい……」
―――逃れたくは、ない……
頬から零れ落ちた涙は、誰に向けられたものだろうか?
ただ君は何も言わずに、その大きな手で僕の涙を拭ってれた。ただ優しく、優しすぎるほどに、君は。君は僕のそばにいる。
「それでも僕は貴方が好きなんです。そんな貴方を愛しているんです」
こんな僕の、そばにいる。
貴方が捕らわれたものは僕には分かっている。
貴方達を結ぶ決して消すことの出来ない絆も。
それでも僕は貴方に惹かれ、貴方を愛した。
だからもしも、貴方が。
貴方があしきゆめに捕らわれたのならば。
―――僕もその場所に行くから……
「ずっと貴方のそばにいます」
「…遠坂……」
「だって貴方は」
「…貴方は、本当は誰よりも淋しがり屋だから……」
もう一度、僕らは見つめあって。
見つめ合って子供のように笑った。
声を上げて、ひどく無邪気に。
―――ふたりで、微笑いあった。
END