―――何時もこころに、花束を。
君の、笑顔。何時も僕だけに向けられる、君のやさしい笑顔。
その笑顔をずっと。ずっと僕は見ていたいと。
…見ていたいな、と…思った……
突然僕の目の前に花束が、出てきた。それを君は僕に差し出す。女の子じゃないのに君はえらく真面目な顔でそれを差し出すから。
「…遠坂…」
困った顔をしてしょうがなく受け取ると、君は嬉しそうに微笑った。って僕は女の子じゃないんだって…。
「我が姫君に」
手を取ると騎士のように口付けられた。まったく何を考えているんだか…僕は男だからっ!と反論してみたが、君はくすくすと笑うだけだった。
「はい、分かってます。それでも貴方にこうしてみたかったんです」
「してみたかったって…そんな実験のように」
「実験じゃないですよ。子供の頃家政婦が読んでくれた本にあったんです。愛する姫君に花束を渡す騎士の話が…それがプロポーズだったんですよ」
「プロポーズって…僕は男だって」
「それでも僕には貴方だけです。貴方がいるから僕は一生結婚はしません」
「…そんな先のことなんて…分からないだろう?」
真剣な瞳に耐えきれずに僕は、視線を外した。俯いてその顔を見るのを背けてしまう。けれどもそんな僕の頭上に静かに声が降ってくる。
「分かりますよ、だって僕にとって貴方は」
「―――ただひとりのひと、だから」
その声の優しさとその中に含まれるひどく真剣な響きに、僕は思わず顔を上げる。そして僕は、後悔をした。君の瞳を見てしまったから。
…ひどく真剣なその瞳を……
「貴方が好きです」
僕はこんな瞳を見たのは初めてじゃない。僕が歩ける頃には、たくさんの女の子達がこんな瞳を僕に向けていた。けれども。けれども脚がこんなになってから、その瞳を僕に向けたのは君が初めてだった。
「…遠坂……」
だから、僕は後悔する。その瞳が何時しか向けられなくなるのではないかと言う不安。いとも簡単に瞳の色は摩り替わってしまうのではないかと言う恐怖。
―――それが何よりも僕を、不安にさせる。
「そんな目、しないでくれ。真剣な瞳は、僕は嫌いだ」
「どうしてですか?」
何時しか瞳の色が、変わるから…と言葉にしようとして、僕は止めた。君の瞳が今度はひどく淋しそうに、なったから。捨てられた猫のように、淋しそうに。
「僕の言葉は貴方には信じられないのですか?」
「…違う…」
「だったらどうしてですか?」
そんな顔をされると僕の方が責めているような気がする。それが切なくて僕は。僕はそのまま君の髪に指を絡ませた。何時からかこれが、僕の癖になっていた。君の長い髪に指を絡める事が何よりも、安心出来ると気が付いたから。
「…君の目が…」
―――僕を見なくなるのを見るのが、イヤなんだ……
それならば初めから。初めから、真剣な眼差しを向けられない方が、いい。
逆説的な僕のこころ。
君を見ていたいと思う気持ちと、君を見ていたくないと言う気持ち。
矛盾しているけどどちらも。どちらも僕にとっては真実だった。
どちらも本当の気持ちだった。
君の笑顔が好き。
君の瞳が嫌い。
そんな事を言う僕は。
…僕はただの我が侭な子供なのだろうか……
「僕は貴方しか見えていない。言葉では信じられませんか?」
真っ直ぐに見つめてくる君の瞳。揺るぎ無い強さで。それは確かに僕だけを、見ている。
「どうしたら僕を貴方は信じてくれますか?」
頬に伸ばされた手は暖かく、そして優しい。本当は分かっている、君は嘘を付く人間ではない。君は僕にだけは嘘をつかない。だから今。今君が僕に告げている言葉は真実なんだ。
―――けれども。けれども、その先は?
この先、君は僕を見てくれる?この先、君は僕を好きだと言ってくれる?
周りにいた人間は全て手のひらを返したように、僕の廻りを去っていった。今まで僕を取り巻いていた人達は、あっさりと消えていった。そして僕は。僕は独りになった。
そんな僕に振り向いてくれたのは、君。君だけが僕に手を差し出してくれた。けれども、もしも。もしも君の手が何時しか別の人に向けられたならば?
「…どうしたら…貴方の目から…孤独を消す事が出来るのですか?……」
そっと触れた手が僕の顔を包み込むと、そのまま真剣な瞳を真っ直ぐに向けられる。怖いと思った。このまま僕はこの瞳に取り込まれてしまうのではないかと。けれども逆に思う。このまま僕はこの瞳に吸い込まれてしまいたいと。このまま、僕の全てを。
「どうしたら貴方の瞳から?」
その問いに答える前に、僕は。僕は自分から君にキスをした。
手の中の花びらが揺れる。
君がくれたこの花束も何時しか枯れ果てるだろう。
そして君のこころの花束も。
枯れてしまうかも、しれない。
だって未来は誰にも分からない。
この先の事なんて誰にも分からないんだから。
―――君の未来なんて……
「…きっと消えないよ…遠坂……」
「僕では駄目なのですか?」
「…違う…それは僕が…」
「…僕が…君だけを…好き…だから……」
その言葉に君は、息が出来なくなるほどにきつく抱きしめた。
君が、好きだから。
だから不安になる。
だから失うのが怖い。
ただそれだけの事なのに。
それだけの事なのに。
僕はこんなにも怯えている。
―――何時から僕はこんなにも弱くなってしまったのか……
「いいですよ、僕を殺しても」
「…遠坂?…」
「もしも貴方が僕に不安なら、僕を殺してください」
「……」
「…だから……」
「僕の言葉を信じてください」
その言葉にどうしてだろう?どうしてだろうか?僕の頬には何時しか涙が一筋零れていた。ぽたりと、ひとつ。ひとつその涙が零れ落ちていた。
「やだよ、殺したら」
「はい?」
「…その笑顔…見られなくなるだろう?……」
涙で濡れた僕の顔を撫でながら、君は微笑う。僕が一番好きな笑顔で、微笑う。それはとても。とても嬉しそうだったから。だから僕は。
……もっと君を見ていたいと…思った………
END