――――嘘をついて、傷ついて。嘘をついて、救われる。
何時も口付けは、切なさが伴う。
睫毛が触れた瞬間に、泣きたくなる。
何時も涙が零れないように、耐えるのに必死だった。
好きなだけではどうなもならない事が、ある。
どうにも出来ない事が、あるって。
僕は君を好きになって初めてその事に気が付いた。
抱いて、抱きしめて。そして内面から崩壊するこころを掬い取ってください。
「…遠坂……」
瞼を開いた先に見えた顔が微かにぼやけているのに安心感を憶える。君とキスする時に眼鏡を取るのは…君のやさしい笑顔の全てを焼き付けたくないから。
焼き付けてしまったらきっと僕は。僕はどうしようもなく苦しくなってしまうから。
「どうしたんですか?」
目を閉じ、そっと胸に頬を充てた。聴こえてくる心臓の音が、暖かく心地いい。この音を永遠に聴いていられたなら…しあわせなのかな?
「ううんなんでもないよ。ただ名前を呼んでみたかっただけ」
この音に包まれて。全てを包まれていたならば、僕はしあわせなのかな?
―――しあわせって、なんだろう?
好きな人と一緒にいられる事?ずっと、いられる事?
だったら僕はそれだけは叶えられない。
叶わない。しあわせにはなれない。
君とずっと一緒にいる事だけが、出来ないから。
君が、好きなのに。
君だけが、好きなのに。
それは嘘じゃない。
それだけが本当の事なのに。
どうして僕はそれだけが、言えないの?
―――君に嘘を付き続ける……
「幾らでも呼んでください。僕はずっと貴方の声を聴いていたい」
僕も聴いていたい。君の声をずっと聴いていたい。優しい君の、声を。
「じゃあ言わない」
「どうしてですか?」
「君が困った顔が見たい」
胸に埋めていた顔を上げて、君を見上げる。優しい瞳。優しすぎる瞳。だから僕はこんなにも苦しくなるんだ。君の瞳がもう少し冷たい色をしていたなら…こんなにも切なくなる事もなかったのに。
「僕を困らせるのは簡単ですよ。貴方が僕の前から消えればいい」
「消えて欲しいのか?」
「いいえ。そんな事させません」
長い指が僕の髪を撫でる。近付く君の顔。ぼやけている輪郭がくっきりと結ぶ瞬間。こんなに近くで僕は君を見ていたくないのに。これ以上苦しくなりたくないのに。それなのに僕は君から目が離せない。
「貴方が僕の前から消えたなら…僕は地獄まで貴方を追い駆けますよ」
―――だったら僕を…追い駆けて……
追い駆けて欲しい。
何処までも僕を、何処までも。
探して欲しい。僕がどんなになっても。
君だけは。君だけは僕を見付けて。
―――僕がどんなになろうとも…君だけは僕を見付けて……
「自分でも怖いくらいです。こんなにも貴方が好きで」
「…遠坂……」
「貴方をこのまま閉じ込めて自分だけのものにしたいと、本気で思っています」
「………て………」
「え?」
「……閉じ込め…て………」
そうしたら。そうしたら、僕は。
僕は君だけの事を考えていられる。
他の全てのものから逃れて。
ただ独り君の事だけを。君だけを。
白い羽に埋もれていたい。誰にも見つからないように。君以外に見つからないように。
「怖いんだ…僕の意識の中に僕ではない何かが入ってくる…何か分からないものが…でもそれは…それは確かに僕自身なんだ……」
君の事だけ考えていられたら。
君の事だけを想っていられたら。
そうしたら僕を取り込もうとする意識すら。
僕を呑み込む意識すら。
遠くへ飛んでいってしまうだろう?
白い羽に、埋もれて。
そして眠りたい。
ただ君のそばで。君の腕で。
静かに眠りたいんだ。
――――しあわせ…は…何処にあるの?……
「閉じ込めますよ、本当に」
指が、絡まる。視線が、絡まる。
「鎖繋いで何処にも貴方が逃げないように」
身体が、絡まる。こころが、絡まる。
「閉じ込めますよ」
螺旋階段を巡るように、ふたりが絡まる。
絡めて、絡め取って。
こころも、からだも、全て。
僕が何処にも逃げないように。
僕が何者にも捕らわれないように。
ずっと、ずっと、僕を。
僕を抱きしめていて。
――――しあわせって、なに?
「…いいよ……」
差し出した手を君は取って、そのまま指先に口付けた。そこから広がる甘い痛みに、僕は瞼を震わせる。甘く、切ない、痛みに。
「いいよ、閉じ込めて」
―――その瞬間君の瞳に映るのは、僕だけだった。
―――しあわせって、なに?
それでも。それでもやっぱりこの瞬間は、しあわせ。
君の瞳に僕だけが映ってる瞬間は、何よりもしあわせ。
―――誰よりも、きっと。
「僕が何処にも行かないように…そうしたら僕は…きっと、しあわせ……」
…きっと…しあわせ……
END