SNOW

――――窓の外を覗けば、一面真っ白な雪。

雪の夜、独りでいるのはいやだった。
しんしんと降り積もる雪の音がひどく淋しくて。
…淋しかった、から……

―――独りでいるのが、イヤだった……


「室内にいても、息が真っ白になるね」
窓の外を見つめていた僕に、君は背後から声を掛けて来る。振り返れば、両手にマグカップをそれぞれ持っていた。
「そうだね」
手にマグカップを渡される。そこからは炒れたてのコーヒーの香り。ふわりと湯気が立って、とても暖かかった。その暖かさが小さな幸せを感じさせる。
「ありがとう、速水」
両手で掴むには少し熱かったけれど、それでも冷え切っていた指にはとても心地よかった。つんとしていた指先に、柔らかな暖かさが灯る。凍えて冷え切った、指先に。
「ミルクと砂糖は、入れる?」
「僕はブラックでいいよ…って君は意外と甘党なんだね」
君はたっぷりとミルクと砂糖を入れている。それが何だか可笑しかった。そんな些細な事でも、君の事を知れるのが嬉しい。
「うん、これで君にキスしたら凄い甘いキスだね」
君の事を、知りたい。どんな些細な事で言いから。僕は、君が知りたいんだ。
「…速水…君何言って……」
「眼鏡、取ってあげる。湯気で曇っちゃうからね」
君の手が伸びて、そして僕の眼鏡を取った。そしてそのまま。そのまま僕の唇を、塞ぐ。それは。

―――それはとても、甘かった……


耳の奥から、しんしんと。
しんしんと、聴こえてくる雪の音。
その音に埋もれる前に。
埋もれてしまう前に、君の。
君の唇の暖かさが、引き上げてくれた。


「…速水…眼鏡…返して……」
「イヤだ、今は」
「どうして?」
「君の瞳、見たいから」
「…速水……」
「君の瞳をじかに、見たいから」


カタンと音がして、君はテーブルの上にマグカップを置いた。それと同時に僕の眼鏡も置く。そこまで取りに行くには車椅子をこがなければならないけれども、今の僕にはそれは出来なかった。両手で持っているコーヒーカップがそれを許してはくれない。
「…速水、眼鏡返してくれ」
見上げながら頼んでも、君はくすくすと笑うだけでそれを叶えてはくれない。それどころか僕の手が自由にならないのをいい事に、またキスをしてきた。甘い、キスを。
「ダメ、今君の瞳に僕だけ映ってるから」
両手が僕の頬を包み込み、また君は微笑う。その顔はひどく無邪気だったけれど、少しだけ意地悪だった。そして何処か楽しそうで……
「何時も僕は…君だけ見ているよ…」
多分今僕の頬を包んでいる君の手はとても熱いだろう。この言葉を君に告げるのにどれだけ僕の勇気が必要なのか。どれだけ僕は…恥ずかしいのか……。
「でもそれは眼鏡越しだもの。眼鏡すら、僕には邪魔だから」
無茶苦茶な事を君は言う。僕は眼鏡が無ければ君の顔をはっきり見る事が出来ないのに。それなのにそんな事を言われても、僕にはどう答えていいのか分からない。
「―――眼鏡すら嫉妬しているんだ」
笑って、近付く顔。そこまできてやっと、僕は君の顔をはっきりと捕らえる事が出来る。レンズ越しじゃない君の笑顔。何も隔てるモノは無い君の笑顔。

―――ダメだ…やっぱり僕は…君が、好きだ……


「…今は…眼鏡はいいから……」
「ん?」
「…このカップ…テーブルに置いてくれるか?」
「どうして?」
「―――君の……」

「…君の背中に手を…廻せないから……」


その言葉に君はまたひとつ柔らかく笑った。こんなに間近で見た君の笑顔に、僕の心臓の鼓動は高鳴り続ける。なんかこんな事で情けないと思いながらも、それでも僕は君に恋をするのを止められないんだ。
「そんな事なら」
僕の手からカップを取り上げてテーブルの上に置く。そうしてゆっくりと君は僕の前に屈みこんだ。そのまま僕は背中に手を、廻す。見掛けよりもずっと。ずっと広いその背中に。
「…コーヒーも暖かいけど……」
背中に腕を廻したまま胸に顔を埋めた。そこから聴こえる心臓の音が、僕の睫毛を揺らす。とくんとくんと聴こえる優しいその鼓動に。
「…速水…君も…暖かい……」
そしてそのまま目を閉じれば、そっと。そっと君の指が僕の髪を撫でる。その心地よさと暖かさと、そして。そして命の音が、今の僕の全てになる。


窓の外から、聴こえていた雪の音。
降り積もる雪の音が。何時しか。
何時しか君の鼓動でかき消される。
優しいこの、命の音で。

―――ずっと…埋もれていたい…と、思った……


淋しかったはずの気持ちがゆっくりと消えてゆく。
胸の中にあった孤独が静かに消えてゆく。
それは君の、腕の中の優しさと、暖かさが。

僕の孤独を、溶かしてくれたから。


END

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