―――お前の声が、聴きたい。ずっと、聴いていたい。
何時もふとした時にかられる衝動に、俺は自分を押さえきれなくなる。抑えきれない激しい思いに全身を侵され、そして。そして後はただひたすらに。ひたすらに求めるだけ。
「…声、聴きたい……」
お前の声が、聴きたい。今この瞬間に、聴きたい。そう思ったら自分を止められなかった。
こうして少しの間でも、ほんの僅かでも離れているだけで。離れるだけで、どうしようもないほどに湧き上がる想いが。抑えきれない渇望が、何時も。何時も繰り返し俺を蝕み、そして狂わされていると気付いても。気付いても、止められないのもまた分かっていた。
「…聴きたいな、お前の声……」
静かだけど胸に染み入るその声。お前の、声。俺を呼ぶその声を。その声を、聴きたい。聴いて、そして。そしてその声に支配されたい。俺の全てを絡めとって欲しい。
「―――お前の声で、イキたいな……」
俺の全てはお前のものだから。お前だけのものだから、俺を壊すのも犯すのも、自由にしていいのは…お前だけ。
何もないお前の部屋に電話を置いたのは、俺だった。そんな機械を置いたところでどうなる訳でもなかったけれど。それを置くことで俺は多分お前を…縛りたかったんだろう。置くことで何時でもお前を確認出来るからと。離れていても距離があっても、確認出来るからと。そんなバカみたいな事にすら拘った自分が滑稽で可笑しかった。
そして今俺はその電話機の前にいる。お前の部屋で、持ち主の帰りをただひたすらに待つ俺。お前がここに帰ってくるのを…待つ俺。
「―――来須……」
名前を呼んでもその声は返ってこない。お前の声は…返ってこない。それでも俺は名前を呼んで。呼んで、そして受話器を取った。耳に当てれば聴こえて来るのは、微かな機械音だけだったけれど。それでも俺は目を閉じ、その音を聴いた。規則的に耳に届く小さな機械音を。
空っぽの部屋、持ち主のいない部屋。残されたものは何もなくて、お前の跡すら何処にもなくて。唯一残されたものが『俺』だった。俺の中に残されたお前だった。
―――何時帰ってくるか分からない、お前をこうしてただ待つことしか俺には出来なくて…。
戦いが終われば消える事は分かっていた。お前が消えゆくことは分かっていた。それでも俺が望んだ。俺が願った、俺が求めた。お前を、ただひたすらに求めた。
永遠なんて俺達にはない。未来なんて俺達にはない。あるのはひとときの安らぎと、そして。そして失った後に訪れるただひたすらの絶望。それでも、俺は。
俺はお前を求めることを、止められなかった。お前を願うことを、止められなかった。
そして今。今こうして俺は待っている。戦いが終わり、全てが終わり、そして。そして消えたお前を、こうして。こうして待っている。空っぽになったお前の部屋で。
待つことには慣れている。ずっと待っていた。
ただひとつ俺が欲しかったものを、求めて。
俺はずっと。ずっと、待っていた。永遠とも思える時を。
与えてくれたのは、お前。お前だけが俺に、唯一のものを与えてくれた。
欲しかったものはただひとつ。ただひとつだけ。
何の見返りも何の駆け引きもなく、ただひとつの。
ひとつの想いだけが。それだけが、欲しかった。
ただひとつの想いだけを、与えてくれたのはお前だけ。
だから俺は、待っている。こうして待っている、帰らないお前をずっと。ずっと待っている。
それでも無償に湧き上がる衝動を止められない。激しく求める想いを止められない。お前の声が、聴きたい。お前の声が、聴きたい。お前に、逢いたい。
「…来須……」
名前を、呼んだ。機械音だけが流れる受話器に俺は名前を呼んだ。お前の名前を、呼んだ。
「…来須…俺…お前に……」
受話器を持ったままその場にしゃがみこんだ。ワイシャツだけを無造作に羽織っただけの俺に、板張りの床はひんやりと冷たい。剥き出しの脚に、フローリングの無機質な冷たさだけが伝わった。
「…お前に…抱いて…欲しい…お前の熱さで…俺を…ぐちゃぐちゃに掻き乱して欲しい……」
その冷たさが、イヤだった。イヤ、だった。俺の身体が芯から冷える前に。凍えてしまう前に、お前の腕で、お前自身で俺を。俺を暖めて欲しかった。
無意識にダイヤルした番号。
繋がる訳ないと分かっていても。
分かっていても押した、番号。
―――俺が与えたお前の携帯の、番号……
『…来須…俺……』
口から零れる声はひどく甘く熱い。欲情しているのが受話器越しにも明らかに伝わった。今お前は電話の向こうで、潤んだ熱い瞳をして俺の名を呼んでいるのだろう。俺を求めて、耐え切れずに…堪え切れずに。
「―――瀬戸口、どうして欲しい?」
『…俺を…滅茶苦茶に…してくれ……』
聴こえてくる声は甘く切ない。あのまま壊せばよかった。記憶もぬくもりも何もかもを壊せばよかった。俺とお前を繋ぐものを全て断ち切ってしまえれば…よかった。
「…今お前はどんな格好をしている?……」
けれども全てを断ち切れば、何もかもを想い出すらも壊してしまえば。お前が、壊れる。お前が内側から壊される。ばらばらにお前が、壊される。
『…ワイシャツ一枚だけだよ…下着も…付けてない…風呂上がってそのままだから…俺…』
壊せなかった。壊すことは出来なかった。例え永遠に逢うことが叶わなくても、俺とお前を繋ぐ唯一のものを、この記憶を護る事で。お前が俺を待ち続ける事で。
それでお前がこうして。こうして『生きる』事が、出来るのならば。壊れずにすむのならば。
これは俺が聴いている幻聴でしかないと分かっている。それでも俺は止められない。この番号を押す時だけ、お前の声が、聴こえる。聴こえてくる。それが、俺が都合よく聴こえるようになった幻聴。クスリを打ち続けて、やっと。やっと叶えられるようになった、幻。
「…ねえ…だから…触ってくれよ…お前の大きな手で……」
俺の指がゆっくりと自らの胸の飾りに触れる。それは既に触れる前から痛いほどに張り詰めていた。お前の声だけで、俺は。
『触る前から、こんなにして…お前は…』
「…あっ…だって…俺…ずっとお前…待っていんだ…」
『本当だな、痛いほどに張り詰めている。指が触れただけでこんなんだ』
「…あぁっ…はぁっ…ん…」
『摘んでやる、痛いか?』
お前の言葉通りに俺は指でソレを摘んだ。親指と人差し指でぎゅっと摘んで、そのまま指の腹で転がした。何時も、お前がしてくれているように。
「…痛くない…気持ち…イイ…だからもっと…もっと…触れて……」
『しょうがない奴だ、お前は。どこに触れてほしい?』
「…胸と…わき腹と…後…臍のくぼみ…キス…してくれ…な…お前の舌で…舐めて……」
『―――分かった……』
「…あぁぁっ…んっ…はぁぁっ……」
指を身体中に滑らせた。余すところなく全身に、感じる部分に。指を、手のひらを、身体全部に滑らせて。
「…あっ…んっ…はぁっ……来…須っ…あぁぁ……」
『瀬戸口、指を舐めろ』
「…あっ…んっ…はむっ…ん……」
『充分濡らせ、いいな』
「…んっ…は…んんっ……」
言われた通り指を口に含み何度も濡らした。ぴちゃぴちゃと音を立てながら、自らの指を舐めて濡らした。卑猥な音が室内に響く。それだけで俺は、感じた。
「…濡らした…ぜ…だから……」
『―――ああ、自分でほぐせ』
「…前…じゃなくて…後ろかよ…」
『後ろだけでイケるだろ?』
お前の言葉に俺は自らの濡れた指を後ろに忍び込ませた。入れた途端に媚肉がぎゅっと指を締め付ける。刺激を求めていたソレは、こんな些細な刺激にも逃さないようにと必死だった。
「…くっ…ふっ…くうんっ……」
『きついか?瀬戸口』
「…はぁっ…平気…だ…っこれくらい…はんっ……」
くちゅくちゅと音を立てながら、俺は自らの指で中を掻き乱した。媚肉を引っかきながら、ぐいっと押し広げる。
「…だって…お前のはもっと……」
後ろを弄っているだけで、俺自身が震えながらも勃ち上がった。けれども俺はソレには触れずに、奥だけをひたすらに甚振った。
「…もっと…ふぁっ…あぁんっ……」
汗が、零れてくる。顔が、上気する。うっとりと恍惚の表情のまま、俺は。俺は自らを慰めているのだろう。受話器を片手に、最奥を自らで慰めて。
そんな姿を誰かが見たら、俺をどう思うだろうか?惨めだと思うか?それとも憐れむか?欲情、するか?
「…あぁっ…ん…はぁっ…ん…来須……」
お前は欲情してくれるか?こうして聴こえるのは声だけで。俺達を繋ぐのは声だけで。それでもお前は、感じてくれるか?俺の声に、感じてくれるか?
『もう充分か?瀬戸口』
「…あぁ…もお…平気…だからくれよ…お前のを俺の中に…なっ…来須……」
ちゅぷりと音ともに俺は指を引き抜いた。そして熱い想いでその名を呼んで、手に持っている受話器を入り口に当てた。そしてそのまま受話器を自らの中へと突っ込んだ。
唯一お前と俺を繋ぐものが、声だけだと。
声だけが、俺達を繋いでいるものだと。
触れ合えない俺達を、唯一繋いでいるものだと。
『ああああああっ!!!』
引き裂かれるような音と、お前の悲鳴が受話器越しに聴こえてくる。その声はひどく扇情的で、そしてひどく雄を誘う声で。
『…あぁぁっ…ひぁっ…あぁ……』
ずぶずぶと濡れた音が伝わる。機械を挟んでの音なのに、妙にリアルに耳に届いた。そしてその時のお前の顔も、お前の表情も。俺にとっては手に取るように分かるから。
『…あぁっ…来須っ…来須…あぁぁ……』
俺の名前を呼ぶお前。俺だけを呼ぶお前。ずっと、それだけを。その名前を呼び続ける時間は後どれだけ続くのだろうか?お前が俺を求める想いは、どれだけ続くのだろうか?
…そして俺がお前を求め続け想い続ける日々は……
互いに分かっていることだった。
この執着も、この想いも、消すことは出来ないと。
永遠は俺達にはなかったけれど、この渇望だけは。
互いへの執着だけは、愛だけは、永遠だと。
共にいられないと分かっていても、それでも。
それでもお互いへの想いは、永遠だと。それだけが。
それだけが俺達にとっての唯一の永遠で。
それが俺達にとっての唯一の約束されたものだった。
お前は全てを幻覚と幻聴だと想い、また独りになるだろう。でもその全てを俺は。俺だけはずっと憶えている。お前の声も、お前の喘ぎも。
今こうして受話器から伝わるものが、お前にとっての幻聴で、俺にとってのリアルだということを俺だけが…知っているから。
冷たい異物が俺を貫く。そこに熱さがない。お前のあの焼けるような熱さが。お前の激しい動きが、それがない。
「…来須…来須…あぁ……」
それが伝える。それが、伝えている。今聴いていたお前の声が、俺が作り出した幻だと。俺が作った幻だと。こうして粘膜から伝わる冷たさが現実だと、それだけを俺に。
「…あぁぁぁっ…あああ…来須っ!!」
それだけを俺に伝える、から。それだけが、唯一の『現実』だから。
白濁した液体を床にぶちまけた。それはリアル。それは本物。お前への想いだけが、本物。
永遠が、想いだなんて。
お前への消せない想いだなんて。
随分と、ひどい仕打ちだな来須。
だけど。けれども、もしも。
もしもこの想いすらも消されて。
俺の中にお前が全部消えてしまったら。
そのほうが、もっと。
…もっと…残酷だと…分かっているから……
夢でも幻でも、幻覚でも、幻想でも。
繋がっていれば。お前と何処かが繋がっていれば。
永遠に逢えなくても。距離がふたりを引き離しても。
「…愛している…来須………」
受話器に向かった込めた言葉。
ただひとつの言葉。それが、俺の。
俺の『永遠』だ。俺の、永遠だ。
―――お前への想いが…狂っても壊れても…俺が消せないものだから……
もう受話器から声は聴こえない。それでも床に散らばった精液は消えることはなかった。
END