空からそっと降って来る白い雪が。ふわりと降って来るその雪が。
少しだけ心に小さな隙間を作って。冷たい空気が染み込んで来たから。
―――だから、あたためて、ほしかった。
ドアを開けようとしたら鍵が、開いていた。しかし来須はその事を別段気にする事もなく自分の部屋へと入ってゆく。何もない部屋に取られて困るものなどないし…それにこの部屋の鍵が開いているとすれば、何よりも先に、思い浮かぶ事があるのだから。
「遅いっ」
開けた途端、予想通りの声が来須に向かって聴こえてきた。今回は微妙に不機嫌になっている。相変わらずの我侭振りは、苦笑する以外になかったが。
「―――訓練をしていた」
ため息とともに付けていたマフラーをテーブルの上に置いた。マフラーなんてモノは本来なら自分には必要のないものだったが、目の前で我侭を言っている相手が無理やり買ってきて押し付けたものだ。
―――見ているだけでこっちが寒くなるからしろ、と。
そう言われて押し付けられたものだから、しない訳にはいかない。しないと、拗ねて怒るので。それを宥めることが何よりも大変なのだ。
「そんな事は知っている。でも普通クリスマスくらいは…恋人と甘い時間を過ごそうって思わないのか?」
着ていたコートを来須が脱いだ瞬間に、ここぞとばかりに瀬戸口が抱きついて来た。背中に手をぎゅっと廻して、離さないとでも言うように。外にいて冷え切っている身体には心地よかったが、今の時点で引っ付かれても身動きが出来ないのでどうしようもない。
「こら」
宥めるように髪を撫でてやってその身体を引き剥がそうとして…そして。そしてその手が一瞬、止まった。
瀬戸口の背中越しに飛び込んで来たのは、クリスマスツリーだった。三十センチくらいのオモチャだったが、綺麗に飾り付けされている。
それだけならば別にどうと言う事はない。今日はクリスマスだし、多分色々な家でもこうしてツリーが飾られているだろう。が、しかしそれが何もない…本当に必要最小限しかない来須の部屋にあると、妙な違和感と存在感があるのだ。
「クリスマスって感じだろう?途中で見掛けて買って来たんだ」
来須の視線に気付いた瀬戸口が嬉しそうに言って来た。普段こんな俗世な事に全く興味のない癖に、その意外な行動に来須の方が驚いてしまった。と言ってもその表情が変わる事はなかったが。
「一生懸命飾り付けしちゃった、案外楽しいな」
誉めてと言わんばかりに見上げてくる紫色の瞳に、一瞬来須はどう答えるべきか悩んだ。がしかし、あまりにも無邪気に見上げてくる恋人の顔に…自分の方が折れるのは時間の問題だった。
「…まあ…お前が楽しかったなら」
ご褒美とばかりに髪を撫でてやれば、無意識に擦り寄ってくる。何時も、そうだ。触れられる事が何よりも好きな瀬戸口は、こうして猫のように触れるたびに擦り寄ってくる。
それが人肌恋しさと、離れる事への不安からだと気付いたのは何時だっただろうか?
長い間彼は独りだった。何時も廻りには人が集まっていたけれど、でも独りだった。人の輪にいながらも、何時も何処かそこから外れて。そして自分自身ですらも、他人事のように見つめている。そんな彼に気付いて、そんな彼を放っておけなくて。何時しか手を、差し伸べていた。
口許だけで微笑い、他人を受け入れているように見せかけ、全てを拒絶していた彼を。何時しか自分でも驚くほどに気にかけて…そして放っておけなかった自分。
「君の為にしていたから、楽しかった」
腕の中で微笑う、その無邪気な笑顔を見ていたら。本当に微笑うその顔を見ていたら。彼をきつく抱きしめずには、いられなかった。
初めから無意識にその風を追いかけていた。
優しい風。ふわりと包みこむような風。
そこに入りたくて。その中に入りたくて。
何時も無意識に俺はその金色の髪を、紫色の瞳を。
何時しか俺は追いかけていた。
執着なんてもう出来ないと思ったのに。
誰かを求めるなんて出来ないと思ったのに。
何時も一定以上は関わらないようにしていた。
関わって傷つくのも裏切られるのも、孤独を感じるのも。
もう全てがイヤだったから。だから口許だけで微笑って。
そして人の輪にいながらも、何時も何処かで外れていた。
その輪の中にいながら、一番遠い場所にいた。
でもそんな俺に君は。君は気付いて、そして。
そして振り返ってくれたから。
俺がずっと無意識に追いかけていた背中が振り返って、そして手を差し伸べてくれたから。
「なんかさ、クリスマスをこうしてちゃんと過ごしてみるのもいいかなあって」
抱きついていた身体が離れたと思ったら、冷蔵庫からシャンパンを取り出してそのままグラスに注いだ。このグラスも瀬戸口が買ってきたものだ。自分が来た時にグラスがないのはイヤだとか言って。気付けば細々とした物は、全て彼が購入してきたものだった。
ツリーの前にシャンパンの入ったグラスと、二人分のケーキをトレーの上に置いて…ってケーキも買ってきたらしい。苺の乗ったショートケーキを。そのままベッドを背もたれにして瀬戸口は座ると、来須を手招きした。
「そんな事したことないし、別にどうでもよかったけど…君とならしてみたいって思ったんだ」
着ていたコートを脱いで、瀬戸口の向かい側に来須は座った。ツリーと瀬戸口のコンビネーションは奇妙な気もするし、ひどく似合っている気がした。
「だから、な。乾杯」
渡されたグラスを手に取って、言われるままに瀬戸口の差し出したグラスに自らのそれを重ねる。カチャンとガラスの触れ合う音がした。
「―――ケーキ」
それを一口飲んだ所で来須はトレーにグラスを戻すと、まだ美味しそうに飲んでいる瀬戸口に一言尋ねた。
「ん?何?」
「食うか?俺の分も」
「って甘いの苦手だっけ?」
「いや、お前のが好きそうだ…それに」
来須はフォークで自分の分のケーキを掴むと、そのまま瀬戸口の口に放り込んだ。一瞬びっくりした瀬戸口だったが、そのまま美味しそうにケーキを頬張る。食に関してひどく関心のない彼だったが、来須といる時だけは…別だった。
誰かと一緒に『食べる』と言う事が、味よりも味覚よりも瀬戸口には重要だった。そしてその相手は目の前の彼以外は意味がない。
「お前の美味しそうに食べている顔を見るのは…悪くない」
「だったらさ、あーん」
わざと大げさに口を開けてねだる恋人に…それが照れ隠しだと分かっているから。分かっているから来須には可笑しく、そして愛しく。
「しょうがないな」
そんな子供染みた行為にですらも、付き合った。それを瀬戸口が望む限りは。
我侭になったと、自分でも思う。
ガキみたいな事ばかり言っている自分に気付く。
でもそれは、君が。君が俺のどんな我侭も。
そっと微笑って、許してくれるから。
―――だから俺は益々我侭になってしまうんだ……
「このツリー来年も、飾れるかな」
指先でツリーの葉を弄りながら、瀬戸口はポツリと呟いた。約束は自分たちには出来なかったれど、未来を語ることは出来なかったけれど。それでも。
「―――ああ……」
それでも希望を言うのは、願いを述べるのは無駄じゃないから。絶対に無駄なんかじゃないから。
「あっ!」
瀬戸口の声に視線を移せば先ほどまで弄っていたツリーの葉が折れてしまった。その葉を残念そうな表情で瀬戸口は手で弄ぶ。その顔がひどく。ひどく来須には、切なく見えて。
「…瀬戸口?……」
名前を呼ばれて見上げてくる瞳は。その紫色の瞳は、何処か淋しげで。何処か、哀しげで。
「…なんかさ…こんな風に簡単に折れちゃうのって……」
―――俺達の約束みたいだな…と、呟きかけて止めた言葉に。その言葉に来須は否定の意味を込めてその唇を塞いだ。
約束も、未来も、語ることは出来なくても。想う願いを…止めることなんて出来はしないのだから。
…こうして願うことを…誰も否定なんて出来はしないのだから……
…ずっと一緒に…いたい、と……
「想い出だけで生きていけたら、さ。きっと苦しみなんてなくなるよな」
見掛けよりもずっと華奢な瀬戸口の身体をその場に来須は押し倒した。フローリングの板張りだけの剥き出しの床はひんやり冷たかったが、今はそれ以上に抱きしめてくれる腕の暖かさが、瀬戸口には必要だった。この腕だけが、必要だった。
「君の思い出だけで、俺の全部埋められたら」
片手を背中に廻して、折れた葉を持った手を来須の顔面に上げた。そしてそのまま悪戯をする子供のようにその葉で来須の顔を撫でた。作り物のもみの木の葉は本物と違って、決して皮膚を傷つけることはなかったが、ちくちくする感触は避けられなかった。
その感触に少しだけ…瀬戸口にしか分からない微妙な表情の変化をさせる。それが、何よりも嬉しくて。嬉しかったから調子に乗って何度も顔を撫でたら、ため息とともにその葉を取り上げられてしまった。
「―――全くお前は……」
呆れたように来須は言うと、不満そうに見上げてくる瞳を宥めるために、キスをした。触れ合うだけのキスを何度か繰り返しながら、葉を片手で持ったまま瀬戸口の服を脱がし始めた。離したらまた。また悪戯をするのが目に見えているから。
「…んっ…来須……」
唇が離れた瞬間に零れるのはただ一人の名前だけだった。そうしてその声に答えるようにまた唇が塞がれる。それの、繰り返し。でもそんな時間が何よりも、かけがえのないものだから。
「…はぁっ…ん……」
意識がぼーっとする頃になってやっと唇が開放される。その頃には瀬戸口の上半身はほぼ脱がされていた。シャツは全開で、辛うじて腕だけが通されていると言う状態にされていた。
「…来須…あっ……」
名前を呼ぶと同時に指先が肌に触れる。大きなその手に触れるだけで瀬戸口の背筋はぞくぞくとした。彼に触れられているというだけで、それだけで身体が反応を寄越してしまう。更に。
「…あっ…やっ……」
更にその指にはさっき瀬戸口から取り上げた、もみの木の葉が掴まれている。指が肌に触れるたびにその葉も肌を滑って、ちくりと言う感触を瀬戸口に伝えた。
「…来須…それっ…あっ……」
行き来する指先と更に葉の感触。皮膚を傷つけることはなくても、微妙な痛みを肌に与える。微妙な痛み。ちくり、ちくり、と。
「どうした?瀬戸口」
「…それ…離せよ……」
葉を持っている方の手に指を絡めて、瀬戸口は言った。けれども来須はその手をやんわりと離すと、そのまま瞼に口付けて。
「離したらまた悪戯をするだろう?」
宥めるように瞼に何度も唇を落としながら、葉を持ったままの手で身体を指が滑ってゆく。胸の飾りに葉が擦れると、それだけで瀬戸口の身体がぴくんっと跳ねた。刺のような、針のようなソレが、胸の果実を刺激して。
「…あぁっん…やんっ……」
何時もと違う感触が。何時もと違う刺激が、瀬戸口の身体を普段よりも追いつめた。零れる声の切なさと甘さは、速度を増し。背中に廻される腕の力が強くなって。
「―――俺よりもこっちのがいいか?」
「…あっ…違っ…あぁっ……」
来須はわざとその葉で瀬戸口の胸を突ついた。その痛いのか痒いのか分からない微妙な刺激に、身体は来須の予想以上に反応を寄越す。言葉では違うと言っても、蠢く肢体が何よりも雄弁にそれを告げていた。
「…あぁ…あ…ん…やだっ…来須……」
首を左右に振りながらも、突ついた胸は自らに押し付けてくる。無意識だろうが、その身体が刺激を求めているのは明らかだった。
来須はしばらくその葉で胸を弄りながら空いた方の突起を口に含んで、甘噛みをした。そのたびに腕の中の肢体はぴくんぴくんと波打って。
「身体の方は、口より正直だ」
「…ああんっ!」
何時の間にか葉を持っていない方の手が、瀬戸口の下肢に辿り着くと、ズボンの上から自身をなぞられた。それだけなのに、布越しのソレは反応を寄越す。
そのまま来須は瀬戸口のズボンのベルトを外すと、下着ごと引き下ろした。脚を立てさせて、ズボンと下着を完全に脱がせる。
中途半端に腕に通されているシャツと履いている靴下だけが、瀬戸口の身を隠すものの全てだった。けれどももう、そんなモノは何の役にも立たないことは良く分かっている。自分を翻弄し、そして昇り詰めさせられるその腕の前では。
「…あぁっ…はぁっ…あ……」
剥き出しになった自身を包み込む手のひら。大きくてそして強い指先が、瀬戸口の意識を追いつめ、そして真っ白にさせる。どくんどくんと脈打ち、先端から先走りの雫を零れさせながら。
「瀬戸口」
耳元に息を吹き掛けらけながら、囁かれる声に睫毛が震える。それと同時に自身から手が離され、行き場を無くした熱がぶるっと身体を震えさせた。
「…来須……」
「どっちがいい?」
「―――あっ!」
囁かれた言葉の意味を確認する前に、瀬戸口自身が手ではない何かになぞられた。それがもみの木の葉だと気付くのは、すぐだった。ちくちくとした感触が自身を撫で上げ、先端の割れ目の部分に当たる。それだけで敏感な自分の身体は反応をした。もう限界はそこまで来ている……。
「指よりも…こっちのがいいか?」
その声の調子が何時もと微妙に…本当に微妙だけれども違って。違ったからやっと。やっと瀬戸口は気付いた。何故彼がこんな事をするのか。自分にこんな事を、するのかを。
「…君が、いい……」
嬉しかった。ただ単純にそれだけを、想った。他の事が考えられなくなった。ただ嬉しいと。嬉しいって、それだけが自分を支配して。
「…君じゃなきゃ…イヤだ……」
…その言葉に君が微笑ったのは…絶対に俺の気のせいじゃ、ないよね……。
「―――ああんっ!!」
指で強く扱かれて、その手のひらに大量の欲望を吐き出して。
そして零れ落ちる快楽の涙を拭う舌が。涙を掬い上げる舌が。
――――何よりも…嬉しくて……
「…悪戯しないから…離せよ、これ…」
指を絡めながら言った瀬戸口の言葉に来須は、今回は素直に従った。ここまでの状態になってしまえば彼に余裕がない事は分かっていたし、それに。それに、何時でもどんな時でも。
「…そしてちゃんと…君の両手で…俺を抱いてくれ……」
この身体を翻弄するのも、この身体を抱くのも、この両腕だけだから。自分のこの、両腕だけだから。
「―――ああ、でもこれで」
「…これで?……」
「この葉にも、想い出が出来ただろう?」
口の端だけを歪めて微笑う来須に、瀬戸口は耳まで真っ赤になりながら。ぷいっと視線を外して一言、言った。来須にしか聴こえない小さな声で…バカ、と……。
腰を抱かれそのまま一気に貫かれる。侵入する時は未だに痛みを伴うが、けれどもそれ以上の快楽を知っている媚肉は、いとも簡単にほぐれ来須を内側へと迎え入れる。
「…あああっ…ああんっ!……」
シャツが捲れて剥き出しになった背中に冷たい床が当たる。けれども与えられる熱の感触の方が勝って、その冷たさも忘れた。腰を揺さぶられるたびに脚が床に擦れて、履いていた靴下が脱げてゆく。かかとまで下がってしまった所で、瀬戸口の両足が宙に浮いた。来須がその脚を抱えて自らの肩の上に乗せたので。
「…はぁぁっ…あああっ…あああっ!!」
そのせいでより深く来須自身を瀬戸口は受け入れることになる。綺麗な眉が苦痛と快楽の狭間で歪んだ。けれども瀬戸口は自らの脚を来須に絡めて、もっともっとと刺激を求めた。
「―――瀬戸口、いいか?」
その激しさに限界を感じた来須が瀬戸口に尋ねれば、夢中になって首を縦に振った。彼も、求めていた。来須自身を何よりも、求めていた。そして。
「ああああああっ!!」
そして限界まで自身で瀬戸口の身体を抉ると、そのまま体内に欲望の証を注ぎ込んだ。
降り続ける雪の中、一人出歩いていたら、ふと。
ふと、心にぽっかりと穴が空いたような気がしたんだ。
その淋しさが、その孤独が、イヤで。イヤだったから。
だから君に。君だけに、埋めて欲しくて。
―――どんな形でもいい…想い出というものを…作りたかったから……
「背中、痛くないか?」
「…平気…だからさ…もうちょっとこうしていて…」
「ベッドにいかなくてもいいのか?」
「…ううんいい…今はこうして…君の…」
「…君の鼓動を、聴いていたい……」
摺り寄せるように胸に頬を重ね目を閉じる瀬戸口の髪を、そっと。そっと来須は撫でてやった。そうする事で無意識に微笑う口許が、愛しかった。
外から聴こえてくるのはしんしんと降り続ける雪の音だけで。後は互いの命の音、だけで。
その音だけが、何時しか二人の世界の全てになって。そして。
「俺がクリスマスプレゼント、とか言ってもいい?」
「…全く…お前は……」
「いいだろ?嬉しいだろ?」
「そうだな。それ以外欲しいものは想い付かなかった」
「―――お前、以外……」
そして、ふたりだけが、世界の全てになる。
END