最後のお姉さん達を送って店に戻る頃には、うっすらと空が明けていた。その薄紫色の空を、目を細めながら瀬戸口は見上げて、そしてひとつ息を吐いた。
―――酒臭せぇ……
あれだけ飲んだのだから、当たり前だ。何時ものことだから慣れているとはいえ、それでも今日は飲みすぎた。浴びるほど飲んでも酔わない自信はあったのに…それでも酔ったのは全て『あいつ』の、せいだ。
一週間前からそいつは突然店にいた。背の高い金色の髪と蒼い瞳の、男。明らかに日本人とは言いきれない容姿の男は、驚くほどに…綺麗だった。悔しいが目の前に立っているだけで、その存在感が圧倒的なのだ。
が、しかし。しかし彼はこの店のホストではない。給料の安いバーテンとして雇われている。あれだけのルックスならば黙っていても、女が寄って来ると言うのに。
現に店に来る何人もの女が、あいつを指名してきた。しかしホストとして契約をしていない以上、ご指名は不可能だったが。
しかし俺としてはそれが気に入らない。この店No.1ホストとしてのプライドと、そして。そして何よりも。何よりも…俺は……。
綺麗な指先が、シェーカーを振って。そして差し出すカクテルを。そのカクテルを俺はムキになって飲んでいた。
他の奴が作るのには見向きもせずに。ただひたすらにあいつが作るカクテルを飲みまくっていた。
あいつは無表情に淡々と俺が注文したものを作る。どんな無理難題も顔色一つ変えずに。
それが俺にとって気に食わなかった。少しでも困った顔をすれば俺も。俺も許そうと思ったのに。
なのにあいつは顔色一つ変えなかった。表情は相変わらず無表情で。それがどうしてもイヤだったから、俺は。俺はムキになって飲み続けた。
―――それがこの…ザマ、だ……。
酔いの抜けない身体で店へと戻った。後はただ帰るだけだったが、それも億劫だった。気だるい身体を持て余しながら店に戻ると、そのままどさりとソファーの上に座る。他のホストたちも従業員ももういなかった。
…俺が最期だったらしい…って売れっ子ホストを差し置いて皆帰るなよ…薄情な奴らめ……
と思っても後の祭だった。とにかく俺は酔っ払っていたし、そして疲れていた。このまま帰るにも億劫だったので少し仮眠を取ろうと目を閉じる…その時だった。
「―――帰らないのか?」
「わっ!」
背後から聴こえてくる声に、思わず俺は飛び起きた。他の人間だったらこんな反応はしないが、相手が…その声の主が……。
「な、なんだよっ脅かすなよっ!」
「すまん」
起き上がった先の綺麗な蒼い瞳。思いがけず見つめたその綺麗な顔に、不覚にも俺は見惚れてしまった。金色のさらさらの髪も、低く良く通る声も。全部、俺にとっては。
「脅かすつもりは、なかった。ただそんな所で寝ると風邪を引くぞ」
それだけを言って背中を向けると、お前はカウンターに残っていたグラスを取るとそのまま洗い始めた。後片付けをする為に残っていたのだろう。律儀な奴だと思った。けれどもそんな事をこいつにさせている事が…何故か俺は無償に腹に立った。
「手伝う」
気付いたら俺は立ち上がって隣に立つと、お前の手からグラスを奪っていた。自分でも何しているんだろうと思った。酔っ払っているせいなのかもしれないし、それとももっと別な思いなのかもしれないし…それは俺には分からなかった。分からなかったけれども、とにかく。とにかくお前に俺はそんな事をさせたくなかったのだ。
「いい、お前はもう上がれ。疲れているだろう?」
グラスを取り返そうと、その手が俺の手に触れた。大きな手、だった。暖かい手、だった。綺麗な指先だった。そして。そして俺を覗き込む瞳が…その、蒼い瞳がひどく。ひどく綺麗で、そして心配そうに俺を見て、くれたから。
――――無表情なお前の瞳が…初めて見せてくれた感情だったから……
「…来須…銀河……」
名前を初めて、呼んだ。ずっと『おい』とか『お前』とか『バーテン』とか…そう呼んでいたから。だからこうして。こうして自らの口からその名前を零すのは。
「どうした?瀬戸口」
名前を呼び返されるだけでどきりと心臓が高鳴った。そんな声で、そんな風にお前から名前を呼ばれるとは…呼ばれるとは思わなかったから。
「…お前は…どうして、こんな事している?…」
ひどく似合わないと思った。格好が合わないとかそう云う事じゃない。こう云う世界には明らかに似合わないと思ったのだ。長身にバーテンの黒服はイヤになるくらいに似合っている。どんな女の子でも必ず見惚れるほどに。男だって…現に俺だって…見惚れてしまうほどに。金色の髪も蒼い瞳も、そこにいるだけで絵になって緊張してしまうほどに。
けれども。けれどもお前には水商売が…いや違う…こんな『欲望』まみれの場所が相応しくないんだ。
「―――金が必要だったから」
当たり前の答えと言うか…分かりやすい答え。確かに金が必要なら、水商売が一番だ。俺も現に金のためだけに働いているのだから。金のために。
「ならどうしてホストはしないんだ?お前だったら幾らでも女の子が寄って来るぜ。ナンバー1も夢じゃないのに」
「…俺には出来ない…」
「え?」
俺の問いかけにお前の手が再び俺の手に触れて、そのまま。そのまま掴んでいたグラスを取り上げた。そしてそれを流し台の上に置いて。
「愛していない者へ嘘でも愛は…囁けない…本気で惚れた相手以外には……」
真剣な瞳が俺を見下ろして。そして。そしてそのまま俺は。俺はその腕の中に抱きしめられた。
腕を上げて、引き剥がそうとして。
引き剥がそうとして振り上げた筈の手が。
その手が、お前の背中に廻り。俺は。
俺はその広い感触を、確かめていた。
―――自らの手のひらに、その背中の感触を。
「…離せ…よ……」
そう言っても、言葉で言っても。俺の手はお前の背中に廻されている。廻されて、そしてぎゅっと。ぎゅっとしがみ付いている。言葉とは裏腹に俺は。
「―――離して欲しいのか?」
耳元で囁かれる声に俺はぎゅっと目を瞑った。今その顔を見てしまったら俺はどうなるか分からない。どうしていいのか分からない。
ホストなのに。愛を振りまく伝道師なのに。誰か特定の相手に。特定の相手に心を奪われることは…そう特定の…相手に……。
「お前はずっと俺を見ていただろう?」
耳たぶを軽く噛まれるように、囁かれた言葉に俺は否定が出来ない。否定、出来なかった。そう始めから。始め、から。お前がこの店にやって来た時から、ずっと。ずっと俺は。
ずっとお前だけを、見ていたから。
何時も変わらない無表情。お前が笑った顔なんて一度も見たことない。
お前が表情を変えたのなんて俺は一度も見たことない。
だから見たかった。お前の顔を。色々な顔を見たかった。
だから困らせようとした。無茶苦茶なオーダーをしてお前を困らせようと。
けれどもお前は平然としていて。俺だけが。俺だけがムキになって。
…だから、俺は。俺は……
「―――俺を買うか?瀬戸口……」
抱きしめられたまま、そのままカウンターの上に降ろされた。冷たい感触が背中に当たる。スーツの上からでもそれが感じられた。
「…来須……」
多分俺は酔っていて…そう酔っていたんだ。だから余計なことも…心に押し止めていたものも…全部…全部…曝け出されて。
「…欲しい…お前が…欲しい……」
何時もなら何でもなく通り過ぎていくはずのもの。どんなに欲しいものが出来ても、決して本気になる前に近付かないように心の予防線を張って、堪えてきたもの。それが。それが、今。
「…お前が…欲しい……」
今溢れて、そして俺を飲み込んで。飲み込んで、止まらなくなっていた。
「…あっ…」
スーツのボタンは全て外されたが、脱がされなかった。高いスーツだからシワになったらクリーニングに困るけれど、でも。でもそんなモノすらどうでもいいほどに俺は今お前が欲しくて。
「…はっ…あぁ……」
中に来ているダークレッドのシャツもボタンだけを外された。胸元だけをはだけさせられ、そのまま浮かび上がる鎖骨に口付けられる。ラインを舌で辿られて、時々きつく吸い上げられて、紅い痕を付けられて。
「…あぁんっ……」
痕を、付けられている。そう思ったら身体の芯が疼いた。お前が俺の身体に所有の痕を刻んでいるという事が。それだけで俺は感じた。
カシャンと金属音がした。俺の首のペンダントがお前のカフスボタンに当たったからだ。その音ですら今の俺にはひどく甘美に聴こえる。
「…来…須……」
うっすらと目を開けてその名を呼べば、蒼い瞳が俺を見つめ返す。この瞬間に全てを溶かされたいと思った。本当に、思った。お前の瞳に俺だけが映っている瞬間に。
「…これ…取ってもいいか?……」
少し震える手をお前のネクタイに当てて、そのまま外した。前のボタンを数個外して、肌に直接触れた。冷たいお前の肌に。
ベストは脱いでいなかったから、触れられた部分は胸より上の鎖骨の部分だけだった。けれども今は。今はそれだけで。
「―――俺に触れるよりも……」
「…あっ!……」
手を離されたと思ったら、そのまま胸の果実に口を含まれた。柔らかい舌が俺の突起を嬲る。その感触に睫毛が震えた。
「…あぁ…ぁぁ…っ……」
ちろちろと舌先で舐められながら、もう一方の突起を指で摘ままれる。指の腹で転がされれば、ぷくりとソレは立ち上がった。
「敏感だな」
「…ああんっ…あんっ……」
お前が巧いからだ、と言葉にしたかったけれどそれは叶わなかった。唇から零れる甘い吐息が、それを許してくれなくて。どんな言葉も甘い声に摩り替えられてしまう。
「…あぁぁっ…あ…あっ!!」
胸の突起を唇に含まれたままで、指が俺自身に触れた。ズボンの上からだったが、明らかに形を変化させている俺自身に、お前の指が触れる。
「…やぁっんっ…ダメだっ…あぁ……」
「何故だ?」
つうっとお前の唇から一筋の唾液の線が零れた。それがぽたりと俺の胸に落ちる。お前の唾液によってたっぷりと濡らされた胸の果実に。
「…脱がせ…ろよ…ちゃんと……」
「ちゃんとどうして欲しい?」
軽くくすぐるように、指が触れる。布越しに、脈を打ち始めた俺自身に。それだけで俺は。俺はもう…。
「…ちゃんと…触って…くれっ……」
酔っているからだ。俺は酔っているから、こんなにも。こんなにも恥ずかしい言葉をお前に言っている。そう、酔っているから俺は。
「…じかに…触って…くれ…お前の手で……」
「分かった」
お前の手が俺のズボンのベルトに掛かり、カチリと音とともに外される。そしてそのまま下着ごとズボンを脱がされた。冷たい空気が脚に、自身に当たってぶるりと俺を震わせる。
けれどもその冷たさもすぐに。すぐにお前から与えられる熱で、焼けるほどに熱くなるのは分かっているから。
「そそる格好だな」
見下ろす視線は何時もと変わらない。ただ静かとも言えるアイスブルーの瞳が、俺を見下ろしている。そんな言葉を吐きながらも、視線は顔色は…変わらないお前。
―――そんなお前の表情を見ている方が…俺は…欲情する……
スーツとシャツを胸元まではだけさせられて、そして下半身は何も身に着けていなくて。剥き出しになった脚と自身が、お前に曝される。お前だけに、曝される。
その格好がそそるって言うなら…お前の為にならこのままでいいかもと思った。バカみたいだけど、今本当にそう思った。
「…そそってくれよ…欲情してくれよ…俺に…俺はもう…こんなになってる…」
「本当だな」
くすりとひとつ口許だけで微笑われて、そして自身をその手のひらに掴まれた。大きな手のひらが俺を包み込む。指先が形を辿る。それだけで俺自身はどくんどくんと脈打った。激しく熱を持った。
「…あぁぁっ…ああんっ…はふっ……」
「俺が欲しいか?瀬戸口」
「…はぁっ…ぁ…欲しい…欲しいよっ…あっ!!」
自身から指を離され、そのまま圧し掛かっていた身体が離れた。そしてそのまま俺の脚を広げて、その間にお前は忍び込む。最奥の秘孔を剥き出しに暴き、ソコに舌を忍ばせた。
「…やぁっ…あぁっ…そんなトコ…はぁぁっ……」
お前の視界に完全に曝されながら、舌がぴちゃぴちゃと音を立てながら中へと入ってくる。滑らかな舌が、俺の中を濡らして犯してゆく。
「…あぁっ…やぁっんっ……」
濡れぼそり、ひくひくと淫らに蠢くようになって、舌が俺から外された。そしてゆっくりとお前がソコから離れると、再び俺の上に圧し掛かって来た。俺は咄嗟にその背中に手を廻した。触れたかった、から。この背中にずっと。ずっと触れていたかったから。
「奇遇だな、瀬戸口」
髪をそっと撫でられた。その優しい感触に。その感触に俺は。俺は濡れた瞳のままお前を。お前を見つめたら。そうしたらそっと。そっとお前は微笑った。何よりも綺麗に、そして優しい顔で、微笑って。
「―――俺も…お前が欲しかった…瀬戸口」
降りて来た唇の優しさと正反対の激しい猛りが、俺の中を貫いた。
摩擦と突き上げられる動きでシャツとジャケットが背中から捲くれ上がる。それでも俺は構わなかった。構わずにお前の背中を必死で掴み、脚を腰に絡めて深く刺激をねだった。
「…あぁぁっ…あああっ……」
俺だけが乱されているのがひどくそそった。お前はズボンのファスナーだけを降ろして、俺を貫く。鎖骨の所までしか外れていないボタンと、今俺を貫くソコだけしか、露出していないお前に。俺だけがこんなにも乱されて、抱かれているって事が。それがひどく。ひどく俺の欲望を煽って。それが、俺を激しく煽って。
「…来須っ…来須っ…あぁぁっ……」
繋がった個所から濡れた音が聴こえてくる。俺の喘ぎと混じり合って、濡れた音が。その間もお前は顔色一つ変えずに、俺を貫くから。激しく、貫くから。
…その表情と裏腹に…内側から溶かされそうなほどに熱く俺を…抱くから……
溶かされたい、内側から。
お前に溶かされて、そして。
そしてぐちゃぐちゃになって。
内側から乱されて。何もかも。
何もかもが、溶け合えたら。
「ああああ――――っ!!!」
どくんっと音ともに俺の中に熱い液体が注がれる。それを感じながら俺も。俺も自らの腹の上に、欲望をぶちまけた。
「…汚れ…た?……」
俺の吐き出した液体は自らのシャツの上に零れて染みを作っていた。ダークレッドのシャツに零れる白い染み。それがひどく卑猥に見えた。
「お前の服だけだ…すまない」
謝られて逆に自分の方が済まなそうな気分になった。お前を買ったのは俺で、そしておまえを欲しがったのも俺。全部俺がねだったものなのに。
「…いいよ…お前のが汚れてなかったら…さ…っ!……」
言葉は最期まで声にならなかった。お前の舌が俺の中に注がれた欲望を舐め取ったから。足許に伝う液体を、そして秘所から溢れてくるソレを。
「…やめっ…ダメ…だって…あっ……」
けれども舌は止まることなくソコを全て綺麗にされた。そのせいで再び俺の身体に火が付いたのは言うまでもなく…。
「…ってお前…どーしてくれるんだよ…俺…また…つーか料金外だぞっ!…」
熱を抑えるのに必死だった。それでもじわりと湧き上がって来る火照りを抑えきれない。一度快楽に火が付いた身体はそう簡単には静まってくれる筈もなく。静まって、くれないから。
「誰も俺を金で買えとは言っていない」
「―――え?…」
そんな俺にお前は。お前はその良く通る声で、そっと。そっと俺に囁いた。
「…『お前自身』で…俺を買ってくれ……」
「…お、おい…それって…お前…え……」
「始めはホストになるつもりでここに来た。でも俺はお前を見た瞬間に」
「…来須?……」
「…ホストには…なれなくなった…お前が…俺は……」
「…お前に…惚れた、から……」
多分俺はその時酔っていて。滅茶苦茶に酔っていて。
そう俺はお前に…お前に酔っていたから…だから……
「…だったら…買ってやる…買ってやるから…だから……」
―――俺のものになってくれ…そう言う前にそっと。そっと唇が塞がれた。
それが契約とでも言うように。お前が俺のものになるって言う…契約のように。
「…俺だけの…もんだから…な…一生…俺が買うからな……」
END